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85年の歴史を誇るアイアンマンマガジンの歴史とは?元発行人ジョン・バリック氏が語るボディビルへの情熱

『アイアンマン・マガジン』の写真が優れているわけ

私はもともとジョー・ウィダーの発行する雑誌でフリーランスのカメラマンの仕事をしていた。そのときに知り合ったのがマイク・ネビューだ。マイクも写真を撮っていた。私たちはその後、ふたりで『アイアンマン・マガジン』の共同発行人になったわけだけど、写真を撮影するという共通の仕事をしていたことが、私たちの『アイアンマン・マガジン』に多分にプラスになった。
マイク・ネビューを探し出してきたのはジョー・ウィダーだった。当時、マイクはアソシエイテッドプレス社の専属カメラマンとして仕事をしていて、あるとき、自分が撮影した写真をジョー・ウィダーに売り込んだ。写真を見たジョーは直ちにマイクを雇うことを決めた。1979年の話だ。
当時、私はすでにジョーのもとでフルタイムのカメラマンとして仕事をしていたんだけど、マイクと私を実際に引き合わせてくれたのは、同じくボディビルダーを大勢撮影していたアート・ツェラーだった。結局マイクと私はジョー・ウィダーの発行していた雑誌のフルタイム・カメラマンとして仕事を一緒にするようになったわけだが、当時、フルタイムのカメラマンと言えば、私たちふたりしかいなかったんだ。
私たちは一緒に世界を回った。1980年のオリンピアがオーストラリアのシドニーで開催されたときも一緒に撮影に出かけた。あのときの大会はアーノルドがカムバックすることが話題になり、私たちもかなり熱を入れて撮影を行ったものだ。
マイクの頭の中はいつも撮影のことでいっぱいだった。私が知っているカメラマンの中で、彼ほどクリエイティブな発想を持ち、撮影に熱中するカメラマンはいない。そのことをジョー・ウィダーはいち早く見抜いていた。だから私が撮影を依頼されるときは、ジョーは細かな指示を出してくる。でも、マイクに撮影を依頼するときは、ジョーはただ一言をマイクに言うだけだった。
「クリエイティブな作品を撮ってきてくれ」ってね。マイクのカメラマンとしての才能はそれほど天才的だったんだ。
マイクと私の撮影は明らかにタイプが違っていた。私は指示を受ければどこにでも撮影に出かけた。でも、マイクはいつだってこだわりを持ち、独自の世界観でモデルを撮影した。現在いるボディビル界のカメラマンたちは、誰もがマイク・ネビューの撮影能力を知っている。誰もが彼を目指してきた。そのたびにマイクはハードルを高くした。そうやって現在のボディビル界のカメラマンたちも年々レベルの高い撮影を行うようになったんだ。

アイアンマン・マガジンと他誌との違い

『アイアンマン・マガジン』には他誌と大きく異なる点がある。それは、他誌が多くのプロボディビルダーのトレーニング記事を紹介するのに対し、『アイアンマン・マガジン』は平均的なボディビルダーが実践できる内容をメインに紹介してきた点だ。プロボディビルダーのトレーニング記事と言えば、1回あたり2時間もかかり、それを週に6回行うという内容のものだ。確かに興味はある。でも、果たしてそんなトレーニングを実践できるだろうか?仕事を持ち、あるいは学校に通っている学生にとって、それだけの時間をジムで費やすわけにはいかない。
『アイアンマン・マガジン』には実践的なやり方が数多く紹介されていた。やたら長い、量の多いワークアウトには批判的だった。そんな傾向があったから、短時間&低頻度&高強度のトレーニングを推奨してきたアーサー・ジョーンズが記事を執筆してくれることになったのさ。ジョーンズは長時間のワークアウトは時間もエネルギーも無駄にすると主張していた。短時間で終わるワークアウト、その代わりできる限り強度を高めたワークアウトこそが筋発達を促し、結果を出すと強く主張した。そしてジョーンズの高強度トレーニングの理論は、何度も、何年にもわたり『アイアンマン・マガジン』で紹介されたんだ。
でも、実践的なやり方、結果を残すやり方を紹介するという姿勢は、初代発行人のピアリー・レイダーが作り出したものだ。たとえば初期の頃の『アイアンマン』には、ピアリーが執筆した『20レップス・ブリージング・スクワット』の記事が何度も掲載された。セットあたりに20レップスものスクワットを行うのかと驚くかもしれないが、20レップスのスクワットが脚のワークアウトを構成する唯一の種目だとしたら、それは決して量が多いとは思わないはずだ。逆にたった1種目で大筋群の脚を十分に発達させることができるのかと疑う人がいるかもしれないが、行うのはスクワットであり、他の種目とは違う。しかも推奨されたのはブリージング・スクワットであり、この1種目だけでも運動強度は非常に高い。つまり、選択する種目によっては1種目だけでも事足りるって考え方だ。他の種目を1種目だけやり込むというのとは訳が違っていた。そこが『アイアンマン』の特徴だった。理論的で実践的なトレーニングを紹介する、実に特殊な雑誌だったんだ。
たとえばラリー・スコットの話をしよう。彼がミスターオリンピアのためにトレーニングを行っていた頃、ラリーはフルタイムの仕事を持ち、しかも夜は学校に通っていた。ジムでトレーニングする時間を作り出すことができても、せいぜい1時間が限界だった。だから、ラリーは貴重なジムでの1時間を1分たりとも無駄にはしなかった。すべての種目はほとんどノンストップで行われ、ワークアウトの強度は猛烈に高かった。しかも扱う重量は決して軽いものではなく、たとえば腕のワークアウトで行ったプリーチャーカールでは84kgのバーベルや片側36kgのダンベルが用いられたし、ライイング・トライセップスプレスでも84kgが用いられていた。ラリーはもの凄く力も強かったんだ。
ビンス・ジロンダも長時間のワークアウトには否定的だった。彼はよく、長時間のワークアウトを行うと、テストステロンレベルが低下するとトレーニーたちに警告していた。量が多すぎるワークアウトは疲労回復能力を低下させ、疲労が回復されなければ筋発達は起きないと主張した。
初代発行人のピアリー・レイダーも筋発達を促すには基本的な種目を2、3種目選択し、それぞれを数セットだけで行うやり方を推奨していた。しかも行う数セットはできるだけ強度を高めることが大切だとも述べていた。
このように初代『アイアンマン』や後の『アイアンマン・マガジン』では、ジョーンズが登場する前から、短時間の高強度ワークアウトに賛同する人たちが大勢関わっていたんだ。

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