9月13日(土)、岩手県・盛岡市民ホールで開催された『オールジャパン・マスターズフィットネスチャンピオンシップス2025』(以下、マスターズ)。40歳以上の年齢別の日本一を決める大会だ。
「2022年の舞台を最後に引退を決めていた」と話す吉嗣奈津希(よしつぐ・なつき/49)さんが復活。マスターズの「ビキニフィットネス45歳〜49歳160cm以下級」で優勝を果たした。
【写真】50歳目前とは思えないボディラインを持つ吉嗣奈津希選手
子宮頸がんから復帰した理由は「息子と共にシーズンを過ごすため」
2022年の1月、吉嗣選手は子宮頸がんで婦人科系の器官を全て摘出する手術を行った。摘出後、その年のマスターズで2位に。そしてグランドチャンピオンシップスまで挑戦。そこで「幕を下ろそう」と決めた。
「身体のしんどさというより、節目を感じたんです。その後は子どもたちのダブル受験などもあって」
選手としては一度ピリオドを打ち、選手育成やサポートを行ってきた吉嗣選手。今年復帰したのは「限定」だそうだが、そのきっかけは「息子が競技デビューをするから」だと言う。
「息子と一緒の舞台に立ちたいと思って、限定復帰することにしました。ただ、息子が出るのはマッスルゲート。私は審査員をさせてもらっているので、出られないから『復帰をやめようか』とも思っていたんですが、息子が『JBBFで復帰したらいいじゃない、一緒にシーズンを過ごすことに変わりはない』と言ってくれたんです」
その言葉で、「母はJBBF、息子はマッスルゲート」で頑張ることに。息子の吉嗣迅さんは9月7日の『マッスルゲート福岡』で、競技デビューながらメンズフィジークジュニアで2位、新人の部168cm以下級で3位となった。
1kg減でウエスト-2cmの秘密
「病気をしたことで体重が落ち、逆にビキニらしい身体になりました」と話す吉嗣選手。もともと、「マッシブすぎてビキニらしくない」という評価もあったそうだ。
吉嗣選手が言うビキニらしさとは、ウエストの細さや関節の細さ。マッシブな自分の身体をどこまで抑えられるかが課題だったという。
吉嗣選手の初戦は6月に大阪で行われた『キングオブフィジーク』(以下、キング)。「元気になったおかげで、“強い私”が出てきて(笑)」と笑う。
そのため、オールジャパンまでに作り直したそうだ。特に注力したのはウエストを細く仕上げること。
キングのときは56cmだったウエストが、マスターズでは54cmに。これは自身の中でも最小値だそうだ。しかし体重は「1kgしか減っていない」という。
その秘密の裏側にはコンディショニングがあった。
「お腹周りをとにかく柔らかくすること。横向きになってストレッチポールに乗り、肋骨を閉めるように圧をかけるんです。フォームローラーや100均で売っているような小さなコンディショニングボールも便利です」
10月の『グランドチャンピオンシップス』にも挑戦するという吉嗣選手。舞台は違えど、息子と共にシーズンを過ごすために復帰した2025年はかけがえのない時間になることだろう。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
次ページ:50歳目前とは思えないボディラインを持つ吉嗣奈津希選手
取材・文:小笠拡子 撮影:中原義史
小笠拡子(おがさ・ひろこ)
ボディビルにハマり、毎年筋肉鑑賞への課金が止まらない地方在住のフリーランスライター。IRONMAN・月刊ボディビルディング・Woman’s SHAPEなどで執筆・編集活動を行う。筋肉は見る専門で、毎月コツコツ筋肉鑑賞貯金をしている。