フィットネス コンテスト

ボディビルに人生を100%注ぐ!━━刈川啓志郎の“一極集中力”の秘密

5年以内に日本選手権優勝――それは夢ではなく、必ず達成すべき目標だった。刈川啓志郎は、人生を100%ボディビルに注ぎ込み、緻密な計画と非情な選択で突き進んでいる。その思考をたどる。

取材・文:にしかわ花 撮影:岡部みつる 取材協力:マッスルメディアジャパン Web構成:中村聡美

ここが違う!
〝彼女とその両親にも『必ず約束どおりに日本一になるから、僕の可能性を信じてついてきてほしい』とお願いしました〞
刈川啓志郎 2024年日本男子ボディビル選手権3位

刈川の持ち味は大腿部のカット。レッグエクステンションも歯を食いしばって追い込んでいく

目標を100%達成できる攻略法

どんな目標でも、達成までに必要なプロセスは共通している。それは非常にシンプルで、高い再現性がある。目標を決める→逆算して課題と条件を洗い出す→進捗確認と修正を繰り返す→達成まで繰り返す。

必要なのは、「揺るがない目標、達成への緻密な計画力、柔軟かつ非情な取捨選択力、目標への一極集中力」。その好例が、ボディビルにおける刈川啓志郎に詰まっている。

「5年のうちに日本選手権優勝」という目標

刈川にとって、日本選手権優勝という目標は、夢や憧れではない。達成するべきものとして、当初から明確に位置付けられていた。

「僕は熱中すると、他に何も手につかずやり込む性格です。小学校から始めたサッカーも、高校3年で怪我で断念するまでは、早朝にキックの練習をし続けました。トレーニングもやるからには極めたいと思っていました。トレーニングを極めた方が集まるのが日本選手権であり、その究極がミスター日本なら、目指すのはそこだけでした」

目標がブレないこと。それは達成のための第一条件だ。目的地が明確であれば、経路を模索できる。

緻密な計画性

最初の一年間で取り組んだのは、トップ選手のトレーニングの模倣と大会への挑戦だった。その結果で得たのは、『マッスルゲート東京ベイ大会』ボディビル新人の部&75㎏超級優勝、『関東学生ボディビル選手権大会』優勝、そして、『全日本学生ボディビル選手権大会』で〝2位〞だった。

刈川はその成績から自分のボディビルにおいての立ち位置を把握し、日本選手権優勝までの期限を5年に設定した。5年の理由は2つ。1つ目はボディビルに全力を投じられる期間の限界。

「僕にとってボディビルは100%打ち込める環境が大前提です。大好きで、ずっと続けていけば今以上の身体にはなれる。でも、今後就職して普通の生活を送り、『もっと打ち込める環境があれば』と思いながら挑戦するのは耐えられない。90%でも95%でも駄目で、100%で取り組むことができないなら、やらないほうがいいと思ってしまう」

限られた期間での達成には、適切なスケジュールで進捗している必要がある。刈川はその基準を、「2024年の東京選手権優勝と、日本選手権ファイナリストになること。翌年の2025年に日本選手権の表彰台」に設定していた。間に合わなければ、その時点で見込みなしとして、ボディビルをやめる。「東京選手権を制して、日本選手権のファイナリストに入り、ミスター日本となる」。刈川が立てたこのプロセスのモデルとなったのは、横川尚隆、相澤隼人だ。若くしてファイナリストの壁を破り短期間で日本一に駆け上った成功例を踏襲することで、同じく成功できると考えた。

期限の理由の2つ目が、自分の現在地とチャンピオンとを比較しての逆算だ。

「当時、チャンピオンだった相澤隼人選手と自分の違いを研究しました。たとえば、規定ポーズをとってみて何が足りないかとか、何が違うかとか。そのときはまだボディビルの解像度が低かったので、ほぼ筋肉量のみの比較でした。いろんな部位の筋肉量を、これまでの自分の成長スピードから逆算して、どのくらいで追いつけるのかなどを考えました」

そして、最優先課題は上半身の筋肉量だと推測した。2022年に全日本学生で敗れた宇佐美一歩と比較しても、圧倒的に上半身が不足している。今よりトレーニングの強度を上げることと、よりトレーニングに集中できる環境が必要だった。そこで、刈川が取った手段は恋人の藤崎茉璃奈さんへの全面協力の依頼である。

「まず、これから先は普通の恋人らしいことはできなくなるし、ボディビルを第一にした生活になることを正直に話しました。その代わり、必ず将来は保証するという約束を、具体的な将来設計で提案しました。2024年からのスケジュールが達成できなければ、その時点でやめる。でも必ず約束どおりに日本一になるから、僕の可能性を信じてついてきてほしいとお願いしました。日本一になって引退。その後はボディビルの経験を生かして、2人の生計を立ててみせるという人生プランです」

茉璃奈さんだけでなく、その両親にも説明を行い、自身の将来性を担保に協力を仰いだ。

「ご両親は、娘の人生の選択を尊重すると言ってくれました。でも、本心は不安だったと思います。約束どおり2024年の予定を達成して、ジュラシックカップで賞金の300万円を手に入れたとき、やっと少し安心してもらえた気がしました」

こうして、有名なプレートの付け外しも委ねるつきっきりの補助と、寝食を共にした生活全般の世話という最良の環境で、目標に向けて再進行する。

アップデートを重ねて成功確率を上げる

だが、肉体の進化スピードは2022年を終えた時点で予測を大きく下回っていた。このペースでは間に合わないと判断した刈川は、また素早く環境をアップデートする。「とてつもなく高いレベルから自分を見て、進化を加速させてくれる存在」を2人求めた。その選択が、2023年の全日本学生優勝と、2024年の日本選手権3位の躍進に導いた。

「ちゃんとお話ししたのが新宿でセミナーを行ったときで、その後、指導してほしいと声をかけてきたのが出会いです」

刈川の肉体にブレイクスルーをもたらしたのは、鈴木雅(※1)。世界的活躍を見せたレジェンドボディビルダーは、刈川を「本物のボディビル狂」と評する。2022年からコンディショニングを担当。2024年暮れからはトレーニングフォーム指導にも携わる。

「刈川選手は姿勢の悪さ(肩関節や肩甲骨、胸郭、骨盤帯の位置の悪さ)が、肩の痛みや筋肉の発達の強弱を強くしていました。まず胸郭と骨盤帯をニュートラルな状態にするために、体幹の強さの構築や腹圧をかけられるようになるアプローチをしつつ、根本原因となっている足部の状態の改善と、肩のポジションを修正するエクササイズを行いました」

姿勢が改善し、トレーニングの安定性が向上。自己流ではない適切なフォームを獲得したことで、筋肉量は劇的に増えた。鈴木は、刈川の成長要因をこう分析する。「競技に打ち込む人は自分の考えに固執し、知らないものは受け付けないことも多い。また競技を極める以外に余計な概念を持つことも多い。刈川選手はそれがない。こちらの提案を貪欲に試し、良くなると感じればすべてを受け入れる。受け入れたものは、どんなに面倒な作業でも愚直に続けられる。取捨選択を見極める力の高さが、現在の戦績につながっていると思います」

コンディショニングに注力したことでトレーニングの精度は向上を見せているという

もう一人は、吉田真人(※2)。「個人指導を依頼したいと、電話を2度かけてきました。当時は本人を知らなかったが、骨があるなと思いました。会ってみたら学生離れした素質を持っていて、特に大腿部のセパレートやカットは、同時期に横浜マリンジムに在籍していた、川崎一輝選手や吉岡賢輝選手と並べても遜色ない存在感を持っていた。何より、志が高かった。横川尚隆選手か、それ以上だと思いましたね」

吉田は刈川の躍進の理由の一つを、「キャリアの早期からトップ選手と並び、客観的な自分の立ち位置を踏まえて学んできた部分は大きい」と語る。

「成績が伸び悩む選手は、客観的に自分を見る機会が少ない。比較競技であるボディビルは、『他の選手と並んだ状態で自分がどう映るのか』という視点での研鑽なくして、勝つことは難しい。自己満足の成長感ではなく、客観的に成長している必要がある。刈川選手はそれを理解していたから、僕のところに来たんだと思います」

もう一人、刈川の成長を促した影の立役者が、ちびめが(※3)だ。刈川が「目標までの期間が一年縮まった」要因として挙げた、ケアを担当。2022年から、筋膜リリースの提供を通じて、刈川の肉体の変遷を見続けた。個人的にも親交が深い。社会人としてのメールの書き方など日常での相談も受け、東京での母役として、多い時期は週に5日は顔を合わせていたという。〝母〞の目線で刈川をこう表した。

「刈川君は、必要だと判断すればどれだけ積み上げてきたものでも躊躇なく手放せる冷静さがあります。手放すと決めたときは、普段の義理堅い性格からは想像できないほど冷徹です。何カ月もかけて練習してきたポージングを一新することも、トレーニング方法を変えることにもためらいがない。思い入れとかこだわりとかの感情を入れないサイコパス感を思わせる非情な判断力を持っている。存在意義の全てを丸ごと競技にかけている危うさがあって、ボディビルを去ったあとの姿が想像できないです。だからこそ、『刈川選手』という独自の魅力にもなっているんですけどね」

全てを賭けて一直線に進む

極限の全力疾走中は、走ること以外を考える余地がない。だからこそ生み出せる速さがある。刈川はこれまでの自分の生活をこう振り返る。

「ボディビルのことを、24時間考えて生きています。この行動は筋肉にとって価値があるかを最優先の判断基準にしています。一つひとつは本当に些細です。たとえばゲームをするときブルーライト眼鏡をかけるんですが、それは眼鏡をかけると数分で眠くなるよう習慣化するためとか、常に姿勢を正すとか。小さすぎて自分でも何をしているか忘れるくらい、何をするにも最初に『筋肉に有利か不利か』で行動をふるいにかけています。その判断は、どんな生理的欲求よりも強いです。捨ててきたという表現は好きではないけど、僕はボディビル以外のこと、たとえば友だちと飲みにいくとか、学生らしい生活を送ったという経験はないですね」

限られた時間での日本選手権優勝という至難の業を、達成可能な〝揺るがない目標〞として捉え、ボディビルという競技に対しての深い洞察からの〝緻密な計画性〞を持ち〝、最善策を取り続ける取捨選択力〞で選んだ道を、人生をかけて〝一極集中〞で信じて突き進む。これが刈川の「毎日、100%やれることをやり切っていると言える」という自負心と躍進を支えている。

(※1)2010年から日本選手権9連覇、2016年にIFBB男子世界アマチュアボディビル選手権大会80㎏級優勝の実績を持つ

(※2)ボディビルダーとして国内外で活躍後、相澤隼人をはじめ、現在のファイナリストの多くのポージング指導をする。『ボディビル界の兄貴』と呼ばれる名コーチである

(※3)15年来のボディビル愛好家で、毎週末に欠かさず大会を観戦。トップ選手とも親交が深く、撮り続けた写真が『ボディビルのかけ声事典』 (公益社団法人 日本ボディビル・フィットネス連盟/2018)に起用されるなど、大会フォトグラファーとしても名高い。ジュラシック筋膜リリースのディプロマ所有

かりかわ・けいしろう
2001年12月27日生まれ。福 岡県出身。身長175.5㎝ 、体重83㎏(オン)、96㎏(オフ)。学習院大学4年生。2022年マッスルゲート東京ベイ大会ボディビル75㎏超級優勝、2023年全日本学生ボディビル選手権優勝、2024年日本男子ボディビル選手権3位

-フィットネス, コンテスト
-





おすすめトピック



佐藤奈々子選手
佐藤奈々子選手