筆者はインドネシアで2年ぶりに、あるヨガ講師と再会した。ヒマラヤの麓(インド・ウッタラーカンド州)で育ったビピン・シン・ファースワン氏(28)。ビピン氏は12歳のときにヨガと出合い、18歳まで父と同じ軍隊を目指していた。夜明け前から山を走り込み、森を歩いて薪を集め、母と草を刈り、秋には黄金色の稲束を家に運ぶ——そんな自然と共にある生活から一転、大都会の暮らしへ。軍隊の道とヨガの道、鍛錬の先にあるものとは……。ヒマラヤの静けさとは正反対の一年を終えたビピン氏は“どこにいても変わらないもの”を見出した。
※ビピン氏との出会いについては過去の記事をご覧ください。
子ども時代は人生の見習い
ビピン氏がジャカルタでの都会生活を終えるころ、私たちは再会した。大型商業ビルに囲まれ、セキュリティに完備されたプール付きの高層マンションでの生活も残りわずか。地上を走る小さな車を眺めながら、ビピン氏は自身の子ども時代について語り始めた。
「物心がついたときから、険しい斜面で働き続ける両親の姿を目にしてきました。強さと犠牲、故郷を守る責任、彼らの足跡は心に深い教えを刻みます。牛や水牛の世話、薪集め、収穫の手伝い、これらの仕事は特定の季節に限られるものではなく、川が谷を流れるように、一年を通して続きます。夏には森が緑で息づき、冬には雪が道を静かに清め、雨季には大地が香りを放ち、秋には黄金の田畑が祝福のように揺れていました」
「ヒマラヤの山々の懐に生まれた子どもたち、私たちは同じ布を織る糸のように、責任感という色で塗られています。一人ひとりの人生は違っても、幼い頃から私たちは知っています。『もっと早く成長し、もっと強く立ち、できるだけ早く家族の重荷を背負わなければならない』と」
結果や見返りに執着せず、心から行う。彼の子ども時代の経験は、彼が教えるカルマヨガ(無私の行為)の土台となった。
“戦場”はひとつの場所ではない
ビピン氏にとって家族を背負う父の軍服は、幼い頃から“誇りの象徴”だった。
「ヒマラヤの人々にとって、軍隊は最高の使命であり、名誉と奉仕の夢を育みます。私の心もその道に定められていました。父もかつて軍に仕え、その道を照らしてくれたのです。夜明け、ときには夜明け前の午前3時に起きて走りました。山には訓練に使える平地などなく、走るための道にたどり着くだけでも一つの試練でした。その一歩一歩が、試験であり祈りでもありました」
二度、挑戦した軍への入隊は叶わなかった。しかし時を経て、軍へ向かう道も、今のヨガの道につながっていたこと、そして、それらに挑む心は常に『奉仕』そのものだったのだとビピン氏は理解した。
「規律、集中、目的意識......自然が教えてくれた無限の知恵により、戦場はひとつの場所ではない、私の“奉仕”は魂にあると気づきました」
ヨガの教えが示すように、奉仕は職業や立場によって限定されるものではなく、意識と行為の質によって形づくられる。
虹のようなプリズム
現在、大都市からヒマラヤへ戻っているビピン氏。地に足をつけた生活の今、“雲の高み”を振り返る。
「人生は虹のようです。地面から生まれ、雲の高みに届き、やがてまた地面へと戻る。上昇と下降、その両方が人生の一部です」
彼はその虹に「プリズム」の存在を見る。プリズムは変わらない真実や隠れた調和であり、経験という光が意識の向け方によって見える色が変わるという。
これはヨガ哲学の“ドリシュティ(視点・見方)”の教えにも通じる。世界は内側の視点によって色を変えるのだ。
最も低い瞬間にこそ
「それに気がつくと、実際はもっとも“低い瞬間”にさえ、美しさが空気に織り込まれていることがわかります。いつも私たちを包んでいるんです」
最も低い瞬間、夢や努力が報われないと感じる時でさえ、それは虹の一部の“色”を見ているだけかもしれない。
行為を手放し、結果に執着せず、ただ今この瞬間に在る。山の静けさも、都会の喧騒も、呼吸とともに変わってゆく。ただ景色をまっすぐ見つめていきたい。