かつて甲子園で注目を集めた球児が、還暦にしてもう一度“全国の檜舞台”に立った。しかも今度は、バットではなく鍛え抜かれた肉体を武器に。
1990年代に東京のボディビルシーンを席巻しながらも、野球チームの存続のため現役を退いた紙田由起夫(かみた・ゆきお/60)さんが、30年の時を経てボディビルの全国大会『日本マスターズ選手権大会』に出場。60歳以上級を制し、さらに60歳以上のオーバーオール戦も勝ち抜いて、日本一の称号を手にした。
「まさか自分が」還暦での快進撃
2025年8月、新潟市で開催された第37回『日本マスターズ選手権大会』。年齢別にクラス分けされた本大会は、40歳から89歳までの選手が集う中高世代の日本一を決めるボディビルコンテストだ。
この大会で大きな話題をさらったのが、60歳以上級で初出場・優勝を果たした紙田さんだ。しかもその勢いのまま、60歳以上級〜85歳以上級までの優勝者同士で競うオーバーオール戦をも制覇。
「まさか自分が優勝するとは思っていなかったので、ただ呆然としています。すごい選手の方々と並ぶ現実に、いまだ実感が湧きません」
そんな謙虚なコメントとは裏腹に、ステージ上の紙田さんは“60歳とは思えないバルクとキレ”を誇示。SNSでは「こんな還暦がいるのか」「異次元すぎる」と驚きの声が相次いだ。
桑田・清原世代と戦った球児のもう一つの物語
紙田さんは1965年生まれ。高校時代は埼玉の名門校・所沢商業でレギュラーを務め、甲子園では当時PL学園のスター選手だった桑田真澄・清原和博両選手と対戦経験を持つ(結果は1回戦で2-6で負け)。
高校卒業後も社会人野球で活躍しながら、1993年にボディビル競技へ挑戦。わずか7カ月のトレーニングで東京オープン(現・東京ノービス)を制し、翌年には東京クラス別優勝、東京選手権2位、ジャパンオープン3位と、驚異的なスピードで頭角を現した新人だった。
しかし、所属する職場野球部が存続の危機にあったため、競技生活を中断。指導者として少年野球やリトルシニアの現場に立ち続けながら、月6回のジム通いだけは地道に続けていた。
奇跡の再会と、もう一度の挑戦
転機は2020年、コロナ禍で訪れたゴールドジムでの“偶然の再会”だった。かつて指導を受けていたボディビル界のレジェンド・小沼敏雄さんがトレーナーとして在籍していたのだ。
「30年ぶりに再会して、まさか覚えていてくださるとは思わなかった。『また出てみたらどうだ?』と声をかけてもらって、最初は恐れ多かったですが、だんだんとやる気になっていきました」
復帰にあたり、YouTubeで現在のトレーニング理論を学び直し、海外選手の動画も徹底研究。若いころのように高重量を追うのではなく、「効かせるトレーニング」へと方針を転換した。
「アセンディングセット(漸増法)を導入し、中重量・高回数でボリュームを稼ぐようになりました。昔、身体に叩き込まれた“効かせる感覚”が今も生きていると感じます」
「挑戦に遅すぎるはない」還暦からの希望
紙田さんの目標は「優勝」ではなかった。あくまで、身体を追い込み、変化していく過程そのものが楽しみだったという。
「トレーニングは私にとってストレス発散。ボディビル大会はその延長線上です。限界までやったあとの爽快感があるから、続けられるんです」
60歳を迎えての日本一。その背景には少年野球の指導者としての常々言っていることが関係していた。
「“明確な目標を持って、一生懸命に向かうこと”。少年野球の子どもたちにも伝えてきました。年齢は関係ありません。何歳からでも変われます」
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材:にしかわ花 文:FITNESS LOVE編集部 撮影(大会):中原義史 撮影(トレーニング):舟橋賢