8月31日に新潟県で行われた『JBBF日本マスターズ選手権』。85歳以上級に出場した齋藤忠男(さいとう・ただお/85)選手が、見事3位入賞を果たした。ステージを終えた今、齋藤選手の胸に残るのは大きな達成感だという。
【写真】85歳の復活劇!齋藤忠男さんのビルダー魂を感じる、鍛え上げられた身体
齋藤選手が大会に挑んだ目的は「健康の増進と体力の維持向上」。ステージに立つと決めると、それまでの準備期間では、規則正しい生活・充実したトレーニング・厳しい食事管理を徹底して実践しなければならない。
「自分をコントロールする力や、配偶者である妻への感謝とサポートの力を日々強めなければならないと感じました。生きていくために精神力と体力は必要不可欠であり、それらを身につけ、さらに磨くにはステージを伴うボディビルが最適だと確信しています」と語る。
ボディビルダーとしての再出発
今大会で、齋藤選手がこだわったのは「フリーポーズ」だった。BGM選びから歌詞の意味、振り付けの構成や練習に多くの時間を注ぎ込んだ。選んだ楽曲はホイットニー・ヒューストンの『Greatest Love of All』。
「これを選んだのは、自分に足りていない人生を今からでもやり直せるかなあ、と思ったから。『多くを愛しなさい、人を愛しなさい、そのためにまず自分を愛しなさい』という意味の一節を1分間のフリーポーズの中に入れました。正直、動きや脚の力の入れ方などを忘れていましたが、ほぼ完璧にできたと思います」
82歳のときに一度ボディビルの引退を決意したものの、3年ぶりに復活したのは「同世代の選手たちも頑張っている」と感じたから。特に今回の80歳以上級で優勝した杉尾忠選手や、85歳以上級で優勝した金澤利翼選手の存在は、齋藤選手のモチベーションになった。
大会前夜にはパニック状態に
一方で、大会前夜には不安が襲った。たびたび起こる『夕暮れ症候群』が発症し、「明日ステージに立てるのだろうか」とパニックに陥ったという。この病気のことを知っているのは、齋藤選手の長女と、ある先生の2人だけ。
長女は「大会に出ても出なくても、ここまで来ただけで勝利者です。後は父さんが自分で決めてください」と涙ながらに語ったそうだ。そして「こんな遅い時間に何を言っているの、弱虫!すぐにボディカラーリングに行って早く休みなさい」と愛の喝を入れてくれた先生。その翌朝、齋藤選手は選手受付の列に並んでいた。
3位という結果は何よりの「幸せをたくさん感じる、うれしい立ち位置。他の4人の選手に、心からのリスペクトと慈しみを感じました」と穏やかに話す。9月1日の夕方、自身が住む愛媛の家に戻った。愛する奥さんにメダルをかけて表彰。奥さんからも「よく頑張ったね」と表彰を受けたそうだ。
齋藤選手は大会を終えた心境を、JBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)・辻本俊子会長の言葉に重ねた。
「ボディビル・フィットネス競技の選手たちは、大会当日はもちろんのこと大会出場を目指すまでのそれぞれのストーリーがあります。だからこそ感動を与える競技だと思います」
今回出場した選手は約200名。「200ある物語のうち、私の歩みもまたその一つであると実感しました」と齋藤選手。85歳を超えてなお挑戦し続ける姿は、多くの人に勇気と希望を与えている。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピング講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
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取材・文:小笠拡子 大会写真:中原義史
執筆者:小笠拡子(おがさ・ひろこ)
ボディビルにハマり、毎年筋肉鑑賞への課金が止まらない地方在住のフリーランスライター。IRONMAN・月刊ボディビルディング・Woman’s SHAPEなどで執筆・編集活動を行う。筋肉は見る専門で、毎月コツコツ筋肉鑑賞貯金をしている。
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