勝つ者と敗れる者。その分岐点は、肉体の差だけではない。その違いを生む要因の一つが「勝者のマインドセット」だ。嶋田慶太の歩みは、無意識のうちに、その型をなぞるように積み重ねられていた。
取材・文:藤本かずまさ 撮影:中原義史 Web構成:中村聡美
ここが違う!
〝鈴木さんから4㎏のダンベルでサイドレイズのフォーム修正をしていただいたとき『僕の身体は伸びしろしかない』と思ったんです〞
嶋田慶太 2024年日本男子ボディビル選手権2位

ワンハンドのダンベルロウイングは、ストレッチポジションでも、下半身で支点を作れるよう、両足を揃えて行う
勝者に共通する思考の枠組み
同じような準備を重ね、同じようなフィジカリティー、同じようなスキルを備えていても、スポーツには必ず「勝者」と「敗者」が生まれる。その明暗を分けるのは、果たして何か。
アスリートの世界では、心のあり方が結果を左右する、とも言われる。スポーツ心理学の文脈で語られる『勝者のマインドセット』と呼ばれるものだ。そこで引用される要素は多岐に渡るが、いくつかの共通項がある。主だったところを列挙すると、第一に「自己効力感」、つまり「自分にもできる」という確信。第二に、「プロセスを重視する姿勢」。そして第三に、「失敗を糧に変える力」。
実際に、試合に勝つ選手の思考はこの枠組みに沿っているケースが多く、アスリートが残した〝名言〞と呼ばれるものも、そのほとんどはこの3つのどれかに分類できる。たとえば、イチローの「小さなことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただ一つの道」などは、「プロセスを重視する姿勢」を端的に表した典型例だ。
自己効力感から始まった挑戦の軌跡
嶋田慶太の場合、ボディビルダーとしてのキャリアの起点にあるのは「自己効力感」である。それは2013年8月、福岡で開催されたジャパンオープン選手権でのことだ。
ゲストポーザーは、時の日本選手権王者の鈴木雅。観客として会場を訪れていた嶋田は、舞台に登場した鈴木の圧倒的な肉体とステージングに衝撃と衝動を覚え、「俺も、あのようになりたい」という強い意志を抱いた。
「なれない」ではなく、「なりたい」。それは、達成できるかもしれない可能性を自身に見出した、自己効力感が芽生えた瞬間だった。日本選手権の頂を目指す挑戦が始まったのは、そこからだ。

背中の第1種目はラットフレクサー。リストストラップを装着してセットを開始したが、ハンドルが滑るのが気になり、途中でパワーグリップに付け替えた
「セミナーで『モチベーションはどう保つのか』と聞かれると、僕はいつもこの鈴木さんとの出会いを語ります。けれど、多くの人にとっては、わずか一日の体験でそこまでの目標を掲げるのは難しいかもしれません。ではどうすればいいのか。その答えは、僕にもまだ見つかっていません。ただ、僕には最初から『やれる』という希望が心の奥にあったからこそ、あの思いに突き動かされたのかもしれません」鈴木のステージングがトリガーとなって、心の奥に潜在していた何かが意識の表面に昇った、ということなのかもしれない。こうした自己効力感は、その後も嶋田が岐路に立つたびに、進路を示す羅針盤のような存在であり続ける。
ただ、これはまだチャレンジの入り口に立ったにすぎず、ここから嶋田は日本選手権出場までのステップを、自分なりに描き始める。同年11月に地元のボディビルジムに入会し、翌14年に大会デビュー。西日本選手権(4位)、福岡県選手権(男子&ルーキーズ優勝)、福岡県クラス別選手権(70㎏超級&オーバーオール優勝)、九州選手権(優勝)と、経験と実績を積んでいく。
「まずは県大会、ブロック大会、そして全国へというプロセスは考えていました。そのうえで、日本全国のどの県やどのジムに強い選手がいるかを自分なりに調べ、その選手たちと闘うには何が必要かという答えを、当初の段階で明確に持てていたと思います」
相手の強さを発見することは、同時に自分の弱さを理解することでもあり、それはこの先の道を進むうえでの大きな手掛かりにもなる。初年度に感じたのはバルクの不足。では、絞りで勝負するか?欠点のないバランスにすぐれた身体をつくって比較審査で競り勝つか?思考を巡らせながら、闘い方を模索した。
翌15年には西日本選手権で優勝。だが、いよいよ全国大会に……というタイミングで肩を痛めてしまい、16年からの2年間は戦線から離脱する。
そして、18年にコンテストの舞台に復帰。そのプロセスの先に待っていたのは、打ちのめされる現実だった。
痛烈な敗北が刻んだもの
18年7月、嶋田はジャパンオープン選手権で復帰するも、ノーパンプのままピックアップ審査に臨み、予選敗退を喫した。それは慢心と驕りがもたらした、痛烈な敗北だった。
悔しさを有酸素運動にぶつけて、1週間で1.3㎏を落として挑んだ日本クラス別選手権75㎏級。そこでは表彰台に滑り込んで3位に入り、「絞れば闘える」という感触を掴む。そして同年10月、ついに日本選手権の扉を叩く。
だが、これまで重ねてきた歩みは、そこで無残に打ち砕かれた。巨獣のような筋肉をまとった合戸孝二、木澤大祐、松尾幸作。その肉体は、嶋田に無言の戦慄を植え付けた。ファイナリストたちの圧倒的な実力の前に立ち尽くした彼は、ここが絞りやバランスだけでは闘えない世界であることを身をもって知った。

ベントオーバーロウイングは、バーベルではなくダンベルで。同じ動作をアンダーグリップで保持したバーベルで行うと、ストレッチポジションで手首に負担がかかる。ダンベルで実施することで、関節への負担を逃がしながら、関節の可動域を最大限に生かすことを狙う
「僕には、筋肉量が圧倒的に足りていない。日本選手権で闘えるようになるには、筋肉量を増やすために、トレーニングに人生を全振りするしかないと思いました」
当時の嶋田は、福岡郊外の自宅からクルマで片道1時間半かけて、博多のゴールドジムに通っていた。そうした日常に限界を覚え、日本選手権が終わった10月のうちに会社を辞し、福岡市内へ転居。環境を変えることこそ、自らを変える第一歩だと信じて、行動に移した。日本選手権のファイナリストに初めて名を連ねたのは、その翌年、19年のことだった。
屈辱の4㎏が教えてくれたこと
「敗北は頭で、勝利は心で受け止めよ」という言葉がある。これはスポーツの現場などでときおり聞かれるフレーズで、「敗北は理性的に分析して学びに変え、勝利は感情として喜びを味わい、心に刻む」という意味である。
敗北の受け止め方によって、その先に待つ未来は変わる。アスリートの世界では、それは特に顕著に現れる。
19年、日本クラス別選手権75㎏級を制した嶋田は、同年の世界選手権に出場。決勝に嶋田の姿はなく、結果としては敗戦だったものの、筋量でまさる海外の選手たちを目の当たりにして感じたものは、絶望ではなく、希望だった。
「世界選手権では圧倒的なサイズの選手ばかりでしたけど、バランスやプロポーションに欠ける人もいました。だから、100パーセント負ける、ということはないと思ったんです。関節の締まりやウエストの細さといった、自分にしかない武器を生かせば闘える。むしろ、どう勝てるかを考えるのがすごく楽しみで、日本に帰ってきたときには『ボディビルって夢があるな』と感じていました」
その帰路、嶋田は福岡へ直行できず、フライトの都合で東京に一泊することになった。ちょうどその時間に鈴木雅がいるということで訪れた、ゴールドジムイースト東京16。㎏のダンベルを手に、シーテッドのサイドレイズを行っていた嶋田に、鈴木が声をかけた。
「鈴木さんに『なんで座ってやってるの?』と聞かれて、僕は『反動を使いたくないので丁寧な動作を意識してます』と答えたんです。すると、『嶋田くんは立ってやったほうがいいと思うよ』と」根本的なフォームのダメ出しである。「ファイナリストにこんなこと言うのは失礼なんだけど」と、前置きしたうえで、鈴木はさらに言葉を続けた。
「『4㎏のダンベルに持ち換えて』と。そして、サイドレイズのフォームを修正していただいたんです」
16㎏から、わずか4分の1の重さに。受け止め方しだいでは、屈辱的な重量変更だ。
「でも、これは鮮明な記憶として残っているんですが、そのときに『僕の身体は伸びしろしかない』と思ったんです。偶然見てもらったサイドレイズでこれだけの気づきを得られたんだから、これから先、もっと多くのことを改善できるんじゃないかって。そう強く感じました」
サイドレイズができていない、という外的な失敗が伸びしろに変わり、その伸びしろを内的な確信、すなわち「自分ならできる」という自己効力感が支える。そして、その「自己効力感」が、新たな「プロセス」の起点となる。
同年12月、嶋田は再び東京に向かい、鈴木のパーソナル指導を受けた。そのときに残したメモは、いまも大切に保管しているという。
「プロセス」が自信をつくる
プロセスを重視する。それは、「日々、小さな勝利を積み重ねていく」という言葉に言い換えることもできる。ラッキーパンチがないボディビル競技において、それは特段大きな意味を有する。積み重ねなくして、大きな勝利が得られることは絶対にない。

パラレルワイドのラットプルダウン。ラットフレクサーでは大円筋を中心に攻めるのに対し、ここでは広背筋中部、僧帽筋中部を主に狙っていく
この取材日当日、第1種目としてラットフレクサーを行っていた嶋田は、セットの途中でリストストラップを外し、パワーグリップに付け替えた。マシンのハンドルが手のなかで微妙に滑るのが気になったのだとか。
「僕のなかで『面倒くさいから、やらない』というのはナシにしているんです」
滑ることに違和感を覚えながらも、残りのセットをこなしてしまうのか。そこでギアを付け替えるのか。些細なことではあるけれど、それは分岐点として極めて大きな意味を持つと、嶋田は考える。
「たとえば、パワーグリップをロッカーに置いたままにしていたとしても、そこで取りにいくのか、とか。トレーニング前のコンディショニングにしてもそうですが、僕は面倒くさいことにもしっかりと向き合ったほうが、答えを見つけられると思うんです。〝今〞を変えるには、新しいことをやっていくしかないですから」
こうした日々の克服も、日々のなかでの小さな勝利となる。
そして、「プロセスを重視する」とは、単に積み重ねることだけではない。「明確さ(目標や課題を曖昧にせず、何をすべきかをはっきりさせること)」「集中(明確化したものに焦点を当て、ブレずに取り組む)」「強度(明確にして集中した行動を、どれだけ高いレベルで遂行できるか)」の3つを伴って、初めて成立するものだ。

パッドがあるシーテッドのロウイングマシンでは収縮、パッドがない、いわゆるプーリーロウイングではストレッチを重視
今シーズンより、嶋田は階級を80㎏級に上げた。世界ではモンスターがごろごろといる階級である。「そこで闘っていくにはバルクアップは必要ですが、関節の締まりやプロポーションを崩さずに、見た目的には80㎏以上ある、85から87㎏くらいありそうな、メリハリがあってエッジの効いた身体づくりを目指しています」
そうした意識は、この日の背中のトレーニングにも随所に表れていた。ストレッチと収縮を使い分け、関節には余計な負担を乗せず、筋肉そのものを際立たせるように動かす取り組みが見られた。
そして、それらを高いレベルで遂行するために必要になるのが、根本的なメンタルの強さ。ときに昭和的だと揶揄されるこれらの要素も、嶋田は絶対に必要だと語る。「最後はやっぱり気合や根性といったものが大事だと思います。そこを忘れずに、頭でっかちにならないように意識しています」
課題を明確にし、フォーカスすべきことにフォーカスし、それらを高い強度で実践していくことは、新たな自己効力感の芽生えにもつながる。昨年の日本選手権では2位。優勝した木澤が引退したことで、嶋田が期待される順位は一つしかない。
「プレッシャー?ありません」
淀みなくそう答えた嶋田の目には、揺るぎない確信が光っていた。ただ、これまでプレッシャーと無縁だったわけではなく、その根源にあったのは過去の自分自身の姿。22年、鋭いストリエーションが刻まれた肉体で、前年の6位から2位に急浮上した22年度の日本選手権。あのときのコンディションを超えられるのか。かつてはそうした問いが、心に軋みを生んでいた。

これまでは一人でトレーニングを進めていた嶋田であるが、今はパートナーの道端カレンさんの存在も大きいという。フォーストレップスやレストポーズを駆使しながら、日々のメニューに取り組む。「『これで(身体が)良くならないわけない』という感覚もあって、それがすごく自信につながっています」(嶋田)
「でも、今シーズンは現時点で、去年の自分よりも圧倒的にいいという自信があるんです。また、順位についても、これはあくまで相手がいる勝負。だから、順位そのものに対するプレッシャーは、あまり感じていません」
「自己効力感」を下敷きにして「失敗」から気づきを得て、そこから「プロセス」を導き出す。嶋田の歩みは、「勝者のマインドセット」の型に忠実である。
自信とは、小さな勝利を積み重ねたすえに得られる戦利品のようなものであり、すべての可能性は、そこから芽吹く。
しまだ・けいた
1985年7月31日生まれ。福岡県田川市出身。身長167㎝。体重73㎏(オン)、77㎏(オフ)。パーソナルトレーナー。日本男子ボディビル選手権での成績は2019年・11位、2021年・6位、2022年・2位、2023年・3位、2024年・2位。