「日本一まで遠く長い道のりでした。結果が出ずに、もう辛い、もう辞めようと思ったことも何度もありましたが、心の隅っこにいる自分がどうしても夢を諦めなかった。この競技は、とてつもない忍耐、我慢、努力が必要な競技です。そして、一番難しいのがそれを継続するということです。何があっても、どれだけ傷ついても、継続するということです。だから、夢が大事なんです」
「忍耐、我慢、努力、全て強い心が必要です。心が折れたら続かないんです。どれだけ心が傷ついたときも、それよりももっともっと夢を思う気持ちが強ければ前に進むことができます。私はそうやって続けてきました。夢が、私をここまで連れてきてくれました。こんな素敵な夢を抱かせてくれたベストボディ・ジャパンに感謝の気持ちでいっぱいです」
『ベストボディ・ジャパン2024日本大会』(11月24日開催、両国国技館)、クイーンクラス(50歳~59歳)では小田晶子(おだ・あきこ/51)さんが初のグランプリを受賞した。選手6年目、ベストボディ・ジャパンの公認講師というプレッシャーもあっただろう。小田さんは夢に向かって強い心で邁進してきた。
骨格的に華奢で身長も高くないので、細く小さく見えないように今シーズンはかなりボリュームアップを心がけたという小田さん。
「フリーウエイトの比率、セット数や重量を増やし、体重は目標体重を下回らないように食事もしっかり管理しました。髪型にも広がりをもたせ肩幅の華奢さをカバーしました」
週5日のパーソナルトレーニングで筋トレ、有酸素、ピラティス。前夜から翌朝の朝食を準備し、お昼はお弁当を持参するなど、徹底した自己管理で身体を作ってきた。
「日本大会では細いな、という印象はなく、コンパクトながらもボン・キュッ・ボンのボディラインが作れたかなと思っています」
日本大会約1カ月前の関西大会でグランプリを取り、日本大会へ向けて着々と準備を進めていた矢先に思わぬアクシデントがあった。
「私はベストボディ・ジャパンの公認講師をさせていただいているのですが、日本大会20日前のグループレッスンで声を張り過ぎて声帯を痛め、2週間以上全く声が出なくなってしまいました。日本大会前の大切な時期に選手の方々にご迷惑おかけしてしまい、また自身も人とのコミュニケーションが筆談しかできず、精神的にかなり辛い時間を過ごしました」
選手である小田さんだからこそ、この時期のアクシデントが選手や自身に与える影響の大きさを感じたに違いない。
「なかなか人と会えずいろいろ相談することもできなかったのですが、逆にその時期自分自身にぐっと集中して日本大会に向けて自分で決断していったことがかえって良い結果につながったのかなという気はしています」
ステージでは、スキル面はどこまで追求しても100%完璧というところに到達するのは難しい、という小田さんだが、情熱という面では出し切ることができたそうだ。
「私の公認講師の師匠が、『アウェイの地なのに、会場中が小田コールに包まれていて、私は嗚咽が止まらなかった』と言ってくれました。でも私はファーストコールに呼ばれてからは歓声が全く聞こえなくて、ただただ光に溢れたステージに立つ喜びでいっぱいでした。これがステージを楽しむということなんだと、本当の意味で理解した瞬間でした。何も見えない、ただ光の道しか見えないあの景色を、一生忘れることはないと思います」
グランプリをつかみ取った小田さんは、「この6年間を振り返ったとき、日本一に向かってたどってきたその道のりこそが人生の宝物だと感じています」といい、今後も講師としての活動に意欲的だ。
「ベストボディ・ジャパンに挑戦して、身体も心も大きく変わりました。ベストボディ・ジャパンへの挑戦は人生を変えます。その魅力を一人でも多くの方に知っていただきたいし、夢に向かって挑戦する選手の方々を全力でサポートし、あの光のステージへと送り出したいと思っています」
もちろん選手としての目標もある。
「選手としては、8年後にプラチナクラス(60歳以上)でグランプリを取り、プラチナクラス初のオーバーオール(各クラスのグランプリの中から総合グランプリを決める)を獲ることです」
取材:あまのともこ 撮影:舟橋賢