浜木真紀子(はまき・まきこ/50)さんの人生は、光と影が交錯する物語のようだ。がんと胃の全切除を経験しながらも笑顔と挑戦を絶やさない姿は、同じく闘病する人々に勇気を与え続けている。
【写真】手術前から現在まで、浜木真紀子さんのフォトヒストリー
浜木さんの病前の経歴は華々しい。富山特産大使(旧ミス富山)に輝き、23歳で結婚、上場企業で働きながら子育てと日々を謳歌していた。しかし37歳の春、突然の体調不良が彼女を襲った。
「独立起業のために日々不規則な生活で奮闘していたことから、軽いストレスとたかを括っていました。しかし、診断は胃がんステージ2b。胃の全摘手術という過酷な現実に、世界が真っ暗になりました。なぜ私がこんな目に遭うのか。私はこれからどうなってしまうのか。毎日涙に暮れていました」
手術は成功したが、消化器官を失った身体はダンピング症候群に苛まれた。カロリーのある食物・糖分を口にすると激しいめまいや動悸に襲われるこの症状は、その後5年間も続いた。160cmで50kgあった体重は35kgまで落ち、「このまま何も食べられなくなるのでは」という恐怖が心を支配した。一時は自死すらよぎったという。
「二度と以前のような食事はできないのではないかと不安に駆られ、毎日インターネットで『胃切除 術後 食事』と調べました。ある日、とある術前と変わらぬ食事を楽しむ男性のブログを見つけました。そのとき初めて、『いつか私もこうなれるのではないか』と望みを持ちました」
「美しさとは強さ」闘病支えた決意
浜木さんを支えたのは「美しく強い自分でありたい」という信念だった。術後わずか1週間のころ、リハビリのための近隣施設への散歩では2時間かけて化粧とおしゃれを施し、誰にも病の影を感じさせない歩みを貫いた。それは、浜木さんにとって強く生きるための決意であった。しかし、食事はやはり恐怖の象徴となり続けた。
「ダンピング症候群がおさまってからも、未消化の食物が腸に詰まり、虚血性大腸炎で2度の救急搬送を経験しました。この恐怖とは今もずっと闘い続けています」
ダンピング症候群の再発抑制と痩せゆく身体を支えるため、チョコやプロテイン団子を持ち歩き、1時間ごとにカロリーを補給。プルーンやビタミンを混ぜた流動食を工夫し、命をつなぐ。これは現在も続く欠かせない習慣だ。
届け希望の光、輝く舞台へ
術後5年、がんの第一次寛解と呼ばれる時期を越えた浜木さんは、「美魔女コンテスト」に挑んだ。そこで華やかな外見とは裏腹に秘めてきた病歴を初めて世間に公表した。かつて自分がもらったように、「同じ境遇の人に希望を届けたい」との決意を込めた挑戦だった。
「生き残った自分の可能性をすべてやり尽くしたい。そして、その様子を世界に発信することで誰かの希望になりたい。残りの人生をそう生きることに決めた瞬間でした」
見事ファイナリストに輝いた浜木さんは、さらに高みを目指した。水着審査のためのトレーニングがきっかけで、健康美を競うボディコンテスト「ベストボディ・ジャパン」にも挑戦。富山大会で見事グランプリを獲得した。そこには壮絶な努力があった。
「普通にしていたら痩せていってしまう体重を健康域に戻すため、大腸炎の恐怖と闘いながら親子丼や鰻丼を頬張り、ハイカロリー飲料を1日に何度も飲み、最後は食材をすべてミキサーにかけて流し込むこともしました。無茶なことをしましたが、健康美という自分と対極にある概念に挑戦することを通じて、一生懸命に生きていると感じたかった。そして、私にとっては美しさの追求というのはやはり生きる源であると思いました。」
術後10年を迎えようとする今、浜木さんは今日もSNSで10万人以上のフォロワーに向けて、日々の小さな喜びを発信し続ける。1時間ごとの補食や様々な服薬とは、生涯の付き合いになるかもしれない。やはり食べることは今でも恐ろしい。しかし、少しずつ食べられるものも増えてきた。何気なく映される外食の写真は、回復の記録であるとともに、闘病者へのエールでもある。
「今年の目標はまだ決めていませんが、どんな挑戦も全力で楽しむと決めています」
浜木さんの笑顔と不屈の精神は、同じ闘病を抱える人々に語りかけ続けている。「あなたもいつか、こんなふうに生きられる」。
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取材:にしかわ花 写真提供:浜木真紀子
『IRONMAN』『FITNESS LOVE』『月刊ボディビルディング』寄稿。広告・コピーライティング・SNS運用。ジュラシックアカデミーでボディメイクに奮闘している。
-ベストボディ選手, コンテスト
-BBJ, ベストボディジャパン, 美魔女コンテスト