
2024年パリオリンピックフェンシング男子エペ 個人決勝でヤニック・ボレル(フランス)選手に勝利し金メダルを獲得(写真:青木紘二/アフロスポーツ)
「長期的な目標はロスオリンピックですが、今は目の前の大会一つひとつでベストを出すことに集中しています」
パリオリンピック・世界選手権のエペ個人で、日本フェンシング史上初の金メダルを獲得した加納虹輝。
剣を取る右腕が左腕より明らかに長い。そんな過酷な非対称性競技において、彼はいかにして頂点に立ったのか。
「フィジカルは戦うための最低限の土台」と語り、宿命的な左右差と向き合いながら、緻密な戦略を具現化するための肉体を磨き続ける王者のトレーニング哲学に迫る。
取材・文:藤村幸代 撮影:丸山剛史 Web構成:中村聡美
エペ特有の「弾む」動き
その土台となる部位
━━練習お疲れ様でした!すぐお隣りでサーブルの選手も練習していましたが、種目によって動きにかなり違いがありますね。
加納 一番パッと見て分かる大きな特徴は、フルーレやサーブルは前後の動きがかなり多く、しっかり腰を落として重心を下げて動く点です。一方でエペは、重心を下げる選手もいますが、基本的には軽く弾んでいるような感じで動くのが大きな違いですね。
━━その動きの差は、やはりルールの違いからですよね。
加納 フルーレやサーブルは基本的に先に動き出した方が攻撃権を手にできるので、いつでもアタックという突きの動作に繋げられるよう、しっかり腰を据えます。エペはそのルールがないので、いつでも前後にパッと反応できるよう、かかとをあまり地面につけずにジャンプ系の動きになるんです。
━━体格にも違いがあるような……。エペの選手の方がシュッとしている印象です。
加納 世界的に見れば、リーチが有利なエペはむしろ大柄な選手が多いですね。ただ、下半身に関してはフルーレやサーブルの選手の方が、常に腰を据えて動く分、筋肉がしっかりしているので、比較するとエペには下半身が細身の選手が多いかもしれません。

━━競技の中で特に使う部位や負担がかかる場所はどこでしょう。
加納 いろいろありますが、やはりハムストリングなどは酷使しますし、常に剣を握っているので前腕もよく使います。あとは脚、特に右利きなので右脚の腿は絶対的に使いますね。
━━筋力トレーニングもそれを踏まえてということになりますね。1週間の平均的なトレーニングスケジュールを教えてください。
加納 月・火・木・金は午前9時半からと午後4時からの2回、フェンシングの練習が入るので、その合間に1時間半ほどトレーニングを入れます。体幹は毎日ですが、上半身と下半身を週2回ずつ。月・木が上半身なら、火・金は下半身というサイクルです。
━━体幹トレーニングではどんな種目を?
加納 メインはプランクで、フロントとサイドはトレーニングの前に必ず行います。プランクってシンプルな動作ですが、大学1年から見てもらっているトレーナーに「これが一番大事だから」と勧められ、ずっと大切にしています。フロント2分、サイド各2分を2セット。最初は1分も持ちませんでしたが、徐々に増やして今は2分が定着しました。

加納選手のメインのトレーニング種目であるプランク。大学1年から見てもらっているトレーナーさんから「これが一番大事だから」と勧められ、ずっと大切にしていると言う
━━継続できているのは、プランクの成果を実感しているから?
加納 この種目は劇的な変化こそ感じづらいですけど、フェンシングは非対称な動きが多く、どうしても左右差が出るので、ヘルニアなどの腰の怪我を抱える選手がすごく多いんです。でも僕は一度も腰を痛めたことがないので、もしかしたら長年のプランクの効果があるのかもしれません。
シャフトを水平に持てない。トレーニングは左右差との戦い
━━上半身と下半身のメニュー(別表参照)の中で、特に重要視しているものはありますか。
加納 上半身では三頭筋のディップスです。高校時代は肘の痛みに悩みましたが、大学に入ってこれを始めてから一気に調子が良くなりました。僕にとってトレーニングは「怪我の予防」という側面がすごく強いですね。下半身はストレッチを兼ねて、まずワイドスクワットをやりますが、実はスクワットが超苦手で(苦笑)。身体に左右差があって、バーベルを水平に保つのが難しいので、トレーナーについてもらっても100㎏、自主トレでは60〜70㎏程度でやっています。
━━競技特性を考えると、あえて左右差を直さない方がいいという考え方もありますか?
加納 ただ、やはりある程度は修正した方が怪我のリスクは減ると思うんですよね。改めてトレーニングを振り返ると、レッグエクステンションなども含め、僕は片脚ずつ行うメニューが多いですね。左右差から、両脚同時にやると強い右脚ばかりに頼ってしまうので。

右手のリーチが長い。競技特性上、左右差が生じる
━━やはり、左右で出力の差は大きいですか。
加納 もう全く違います。一番分かりやすいのがブルガリアンスクワットで、左の方が1.5倍くらいキツい。26㎏のダンベルを両手に持って10回ずつが基本ですが、調子によっては左は8回で限界が来ることもあります。ただ、片脚で上半身を倒すようなバランス系の種目は、なぜか左脚のほうが得意だったりするんですよね。
━━そうやって身体のバランスを繊細に感じ取りながら、トレーニングと向き合っているのですね。
加納 そうですね。なかなか一気に成長はしませんが、フェンシングを続けている以上、少しずつでも伸ばしていきたいですね。
パリで証明した「筋量アップ」の正解
━━東京オリンピックからパリオリンピックにかけて、トレーニングの内容で変えた部分はありますか?
加納 23歳で迎えた東京オリンピックの前までは、週6回トレーニングをしていましたが、パリに向けてそれを週4回に減らしたんです。その代わり、1回あたりの強度をグッと上げました。取材などで時間が削られたことがきっかけでしたが、たとえば今まで2時間かけていたメニューを1時間に凝縮して行うようにしたら、以前よりしっかり筋肉がついて。「これか」と。
━━効率を上げたことが功を奏したんですね。それまで、外国人選手とのパワー差を感じるような場面もあったのでしょうか。
加納 パワーに関してはトントンくらいかなと。でも当時は今より細くて64㎏くらいだったので、「もうちょっとやれる、まだパワーをつけられる」という感覚があったんです。
━━ただ、フェンシング特有のスピード感との兼ね合いもありますよね。
加納 たしかに、筋肉をつけすぎるとスピードや瞬発力が落ちるのは分かっていました。ただ、じゃあ「どこまでなら大丈夫なのか」という限界値はやってみないと分からない。なので一度、自分が行けるところまで肉体改造を頑張ってみたんです。その結果、瞬発力を殺さずにパワーも発揮できる、今の67〜68㎏がベストだという結論に至りました。

加納虹輝選手のトレーニングメニュー
━━その状態でのぞんだパリオリンピックでは見事、日本人初のエペ個人金メダルの快挙を果たしました。決勝の相手ヤニック・ボレル選手(フランス)は196㎝。対する加納選手は173㎝と日本代表の中でも決して大柄ではありません。体格差をどのように克服しているのでしょう。
加納 相手の視点に立てば、実は背の低い選手はやりづらい存在かもしれない。的が小さいし、スピードがあればなおさら厄介なので。だから小柄であることはデメリットどころか、むしろメリットになりうると僕は思っています。あとは戦術の組み立てですよね。同時に剣を出せばリーチの長い相手が先に突きますが、相手の剣をどかしてしまえば、あとは自分が突くだけ。いかに相手に剣を出させるか、そしてその剣をどう捕まえるか。相手も同時打ちを狙ってくる。そこをいかに「一緒に出す」と見せかけて裏をかくか……。
━━まさにチェスのような、高度な騙し合いの世界ですね。
加納 そうなんです。そういった細かい駆け引きが、僕が得意なところではあります。
フィジカルは戦うための最低限の土台
━━戦術や瞬発力のほかに、フェンシングに必要な能力は何だと思いますか?
加納 一番重要なのは、やっぱり「頭」だと僕は思っているんです。相手の動きを全て目で追うのは不可能だし、実は僕らも全ては見えていない。だからこそ、先を読んで予測し、フェイントで誘導して有利な展開をつくっていく。
━━だとすれば、やはり試合形式の練習は極めて重要ですね。
加納 はい。実戦練習を「ファイティング」と呼びますが、その中で何度もシミュレーションを繰り返します。試合で想定外の事態が起きても脳が勝手に予測し、身体が無意識に反応するレベルまで染み込ませるんです。
━━「頭」が最重要という中で、加納選手はフィジカルをどう位置づけていますか?
加納 戦いの舞台に立つための「最低限の土台」です。フェンシングでは、筋力に差がありすぎると駆け引きすら成立しません。極端な話、圧倒的なパワーで剣を叩き飛ばされて突かれたら、それだけで負けてしまう。フィジカルが同等であって初めて、頭を使った駆け引きができる。特に僕のように小柄な選手は、トレーニングで筋量を補い、土台を底上げしておくことが最低条件になります。
- コンディショニングも大切にする

━━土台づくり、そして怪我の予防。加納選手のトレーニング哲学がよく分かりました。ジュニア世代の選手たちへ、トレーニングに関するアドバイスはありますか。
加納 中学生までは、重いものを持つより「体幹」をしっかり鍛えてほしいですね。プランクや、動きの中で体幹を使うメニューを中心に基礎を固めること。色気づいた技(笑)は後からいくらでも学べますから。応用的な技術や本格的なフィジカルトレーニングは、高校生になってから少しずつ取り入れていけば十分間に合います。
━━加納選手ご自身の今後の目標についても教えてください。

加納 長期的な目標は2028年のロスオリンピックですが、今は目の前の大会一つひとつでベストを出すことに集中しています。フェンシングは年間に10回ほど国際大会がありますが、目先の1試合をクリアしていく繰り返しの先に、世界選手権やオリンピックがあると思うので、まずは目の前の課題をクリアしていくだけですね。
━━最後に、トレーニングを継続するためのコツなど、読者へのアドバイスもぜひお願いします。
加納 僕のやり方は、やっぱり「癖づける」こと。最初は地味でキツいと感じるプランクも、毎日続けて習慣にしてしまえばだんだん苦には感じなくなってくる。なので、毎日とは言わなくても、まずは日常の中に定期的に組み込んで、癖づけて、少しずつ段階を踏んでレベルアップしていく。それしかないと僕自身も思っています
かのう・こうき
1997年12月19日生まれ。愛知県あま市出身。身長173cm、体重63kg。日本航空株式会社所属。高校時代に出場したエペの大会で優勝し、フルーレから転向。2025年世界選手権男子エペ個人金メダル、団体金メダル、パリ2024オリンピック男子エペ個人金メダル、男子エペ団体銀メダル、東京2020オリンピック男子エペ団体金メダル













