2012年のロンドンオリンピックで日本競泳女子史上初、1大会で3個のメダル獲得。21歳にして偉業を成し遂げた鈴木聡美選手。以降も記録の停滞やコロナ禍などの困難に背を向けることなく競技を続け、32歳で自己ベストを更新(100m平泳ぎ)、日本競泳史上最年長の33歳でパリ五輪出場、200m平泳ぎ4位入賞を果たした。彼女を今日も飛び込み台に向かわせる原動力とは――。
[初出:Woman'sSHAPE vol.29]
同大会メダル3個獲得の偉業と待ち受けていた不振のトンネル
━━今日は「続けること」をテーマのひとつに、競技人生を伺っていきたいと思います。
「練習やトレーニングを続けるのって、たしかに難しいですよね。私も1人だったら続けられないし、やらなくていいならやりたくない、逃げたいほうですけど(苦笑)。でも、逃げてしまったら自分の競技力が落ちることは目に見えているので」
━━競技を続ける意味や継続のヒントなども、後ほどぜひ教えてください。鈴木選手が最初に脚光を浴びたのは、オリンピック初出場で3個のメダルを獲得した2012年のロンドン大会。21歳のときでした。
「メダルを取った達成感は多少ありましたが、100m平泳ぎで自己記録を出せなかったことに納得がいかなくて。全体3位で次のバタフライに引き継いだ(400m)メドレーリレーにしても、もっと順位を上げるつもりでいたんです。200m平泳ぎで銀メダルと自己記録の大幅更新を果たせたのは嬉しかったですが、全体としては複雑な思いを抱きながらのオリンピックレースでしたね」
━━その4年後の2016年に100m平泳ぎでリオ五輪に出場するも準決勝敗退、次の東京五輪を目指すわけですが、外野からは不振の時期が続いたようにも見えました。ご自身ではどんな心境だったのでしょう。
「今思い返すと、心技体の不一致が長く続いたような時期でした。2018年のパンパシフィック水泳とアジア大会では成績を残せたのですが、それ以降は私自身が泳ぎたい泳ぎと、監督が目指す泳ぎがうまくマッチしなくて、意見がぶつかりながら停滞したことが多かったですね」
━━大学時代から指導を仰ぐ神田忠彦監督とは、どのような意見の相違があったのですか。
「一例ですが、2018年のアジア大会で久々にベストに近い泳ぎとタイムが出たので、私としてはその泳ぎをベースに続けていけば来年に向けてもいいステップが踏めるんじゃないかなと考えました。でも、監督は『もうその泳ぎはできたのだから、フォームの改善など新しいことにどんどんチャレンジしていこう』と」
━━自身の感覚と、先を見据えた監督のビジョンがかみ合わなかった。
「たぶん他のスイマーもそうだと思いますが、感覚的に一度よかった泳ぎを崩すのって、すごく勇気がいることで。新しい泳ぎに慣れるまではタイムだって当然落ちますし、『うわ、落ちちゃった、嫌だな』という思いがどうしても出てきてしまうんです。私もそれを恐れてなかなか変化を受け入れることができず、結果的に2019年、20年、21年と長いトンネルに入っちゃいましたね」
「もう引退したほうがいいのかな」決断を踏みとどまらせた師の言葉
━━コロナ禍で東京五輪が延期された時期とも重なりますね。
「すごく、しんどかったですね。周囲は『オリンピックどころじゃないでしょ』という意見が強くて。監督は私をオリンピックに行かせてあげたい。でも私は……もう言ってしまえば行きたくない、というより行くのが怖い。それくらいコロナを恐れてしまって、競技に専念できなくなっちゃったんですね。これはもう私、引退したほうがいいのかなって」
━━当時30歳。以前より選手寿命は延びていますが、それでも競泳選手が区切りを考える年齢ですね。
「会社(ミキハウス)にお世話になってきたぶん、仕事で貢献したほうがいいのかなと思いましたし、『自分の立ち位置って何なんだろう』と泣きながら考えることもありました。でも、監督からは休んでいいとは言われなかったですし、練習中こそ『もう引退しろ』と何回も言われましたが、それでも本当に見放されたと感じたことは一切なかったんですね」
━━長年の師弟関係だからこその叱咤激励だったのでしょうね。
「それがわかったから、どんなにタイムが悪くても『何かやらなきゃ』と一歩進む。そんな勇気の一歩をちょっとずつ踏み出していくことで頑張る姿勢を見せたかったし、それを見ていたから監督やトレーナーも見放さないでいてくれたんだと思います。悩みを全て打ち明けたとき、監督が『いや、大丈夫でしょ。だって身体は全然問題ないでしょ』と言ってくれたんです。その『大丈夫だよ』という言葉が、一番踏み留まったキーワードだったのかなと思いますね」
━━心強いですね。「引退しろ」という厳しい言葉もかけつつ。
「そうなんです。しっかりと芯のある言葉を、どストレートにぶつけてくれる方なので。逆に言うと、ストレートすぎてショックを受けることもありますけど(笑)、でも、いくら言い返そうが、全く正しいことなので、ぐうの音も出ないです」
━━伸び悩む間、ジュニアの頃から活躍する選手も台頭してきますよね。焦りはなかったですか。
「コロナ禍の期間は正直ありましたね。メダリストだから勝った姿を見せなきゃいけない、私が引っ張っていかなきゃいけないという使命感や義務感にかられて、自分と向き合えていなかったことも低迷の原因のひとつだと思います。その悩みをフィジカル担当の永井トレーナーに打ち明けたとき、『じゃあ今、自分は何がしたいの?』と聞かれたんです」
━━何と答えたのですか。
「『水泳がしたいです。自己ベストが出したいです』。そうしたら『やっぱりそうでしょ。だったら他のことや他の選手のことは考えなくていいから、自分の本当にやりたいことを真剣にやろうよ』って、すごくシンプルな言い回しをしてくれて。そうか私、何を悩んでいたんだろうと」
━━神田監督の次は永井トレーナーに背中を押された。
「はい。そこからはだいぶ肩の荷が下りたような感じで、自分のスイムに集中できました。本当にありがたいですし、いいタイミングで、いい人に恵まれてきましたね」

大学時代から鈴木のスイムを指導する神田忠彦・山梨学院大学水泳部監督(左)と、フィジカルからメンタルまでトータルで鈴木を伸ばす永井裕樹トレーナー(右)と共に
32歳で自己ベストを更新
鈴木聡美流〝年齢の壁〞の超え方
━━本格的に筋力トレーニングを始めたのは2020年頃とか。
「永井トレーナーに教わり始めたのは16年のリオ五輪以降ですが、当初は身体の使い方や関節の可動域を広げる運動、基本姿勢の改善などがメインだったので、本格的に平泳ぎに特化した筋力トレーニングはコロナ禍に入って以降くらいですね」
━━具体的に、どのようなメニューからスタートしましたか。
「錘を持っての基本的なスクワットや、逆に錘を持たずに真上にしっかりと跳べるかどうかなど、基本姿勢から瞬発的な平泳ぎの動きをイメージしたトレーニングですね。そのほかも基本的な種目で、下半身ならレッグプレス、上半身では懸垂など背中周りの使い方を意識したトレーニングが中心ですね」
━━トレーニングを継続することで、成績に変化はありましたか。
「ありました。明確に表れ始めたのは2023年の年明けくらい。それまでは、ウエイトトレの動きをなかなかスイムにつなげられずヤキモキしていたんです。でも、ついた筋力を活かすために、あえて大きな泳ぎをしてみるとか、トレーナーに指摘されて身体の余計な力みを抜くなど試行錯誤を繰り返すうちに、トレーニングでついた力の加減がうまく取れるようになってきましたし、トレーニングの動きをスイムに活かすようなイメージトレーニングもできるようになってきました」
━━イメージトレーニングは頭のなかで?泳ぎながら?
「両方ですね。ウエイトではスイムをイメージしながら身体を動かし、スイムのときはウエイトで使った筋肉を意識して、その筋力を活かすイメージで泳ぐ。それが本当にかみ合って、記録にも反映されるようになったのが23年からですね」
━━同年7月の世界選手権では、100m平泳ぎで18歳のときの自己ベストを、実に14年ぶりに更新。2種目でパリ五輪出場を果たしました。「今の年齢でできるのはここまで」と自分で壁を作ってしまうことはなかったですか。
「今現在もそれの繰り返しですね。ぶち当たってます(笑)。でも、何て言うんだろう…わかりやすく伝えるなら、しんどいことはどうせやって来るんだから、諦めて早くやってしまおうと。どうせ楽な練習をやったところで過去の自分は超えられないので、じゃあやろうって」
━━頭ではそう思っても、身体がついてこないことが多いです……。
「私もそう。なので、自分でなかなか踏み出せないなら『いいからやれ!』と言ってもらえるような環境作りをするのも一つの手ですよね。私の場合、スイムは神田監督、フィジカルトレーニングは永井トレーナーに、強制的に身体を動かすようなシステムを作ってもらっています。『自分がやりたいから作ってもらったんでしょ。じゃあやりなさいよ』って、自分を叱咤できますからね」
━━ただ、年齢ってすごく便利な言い訳になりませんか。
「アハハ!はい、すごく分かります。でも、それを言い訳にしてしまったら終わりなのかなって。年齢に関わらず、たとえばレースや練習のとき、後半キツイなと思った瞬間に身体が反応してしまうので、それをなるべく考えずに最後まで息を上げ切るという意識の変革だったり、それこそメンタルトレーニングであったりは大事ですね」
━━良いコンディションをキープするために、生活面で気をつけていることはありますか。
「30歳を超えてからは特に睡眠の時間をなるべく確保するようにしていますし、泳いだあとはアイスバスに浸かる、浴槽がない場合は真水の冷たいシャワーを1分間浴びるなど、少しでも疲労軽減させる工夫はここ最近、けっこうやっています」
━━食事に関してはいかがですか。
「1日3食のなかで極力脂身は少なめにするとか、お昼にハイカロリーなものを食べたら夜は控えめにする。あとは1食のなかでお腹いっぱいにしないようにしています。学生の頃はお腹いっぱいになると幸せな気分になりましたが、最近は幸せより苦しいという気持ちが勝ってきてしまったので、内臓が疲れて疲労回復が遅れないよう、食べる量もちょっとずつ気をつけるようになりました」
なぜそこまで”過去の自分”を超えたいのか

ふだんは母校の山梨学院大学で水泳部員たちと練習する鈴木だが、この日は富山県総合体育センターで20代の男子選手と合宿中だった。朝6600m泳いだあと、午前中はフィジカルトレーニング。神田監督が「スイムのスタート時における蹴りの強さ」などその日のテーマを伝え、それに沿って永井トレーナーが鈴木にメニューを指示していく。トレーニング後、ほとんど休憩なしで再びスイムの練習へ。午後は身体に負荷をかけながら4000m近く泳いだ。全ての練習で男子選手と同じメニューをこなす鈴木を、永井トレーナーは「努力の天才」と評した。
━━先ほど「意識の変革」という言葉が出ましたが、意識の面でふだん心がけていることはありますか。
「年齢の話題になると、老けたとかオバハンとか言われるのが自分自身すごく嫌だなと思ってしまって。いつも20代のみんなと一緒に、同じメニューを練習しているんだから、自分も対等に見てほしい。そこも自分に言い聞かせて、なるべく年齢のことは出さないようにしていますね」
━━ふだんは母校である山梨学院大で練習しています。学生たちから競技の継続について相談を受ける機会も多いのでは?
「すごくポテンシャルがあるのに『私はダメだ、限界だ』という声が聞こえてくることもけっこうあるんです。でも、そんなわけないでしょって。私はみんなよりも才能がないから、何回もやってようやく今があるけど、みんなはすぐにできるはずだから、とにかくいろいろ試してごらんよって、相談を受けたときに話したりします。私は時間がかかってこの年齢になっちゃったけど、みんなは違うからねって(笑)」
━━長く続けているというよりは、時間をかけてここまでたどり着いたという発想なんですね。
「私の場合はそうですね。もちろん記録を出したいから水泳を続けているというベースは変わらないんですが、とにかく不器用な人間なので。『長く続けてすごいですね』って言われるけど、いや、実は違うんです、時間がかかっちゃっただけなんです!と」
━━現時点のご自身の目標についても、ぜひ教えてください。
「やっぱり自己ベスト更新。であれば、やっぱり世界大会に行きたい。世界のトップと争うことで自分の力がどのくらいの位置にあるかが明確に分かりますし、気持ちの面でも、この人に少しでも食らいつきたいというハングリー精神が芽生えやすいので。もちろん、国内でも私を奮い立たせてくれるような若い選手が出てきたら嬉しいですが、記録更新を目指すのであれば、やっぱりもう1度世界へ行きたいですね」
━━改めて、鈴木選手を日々のトレーニングや自己記録更新に向かわせる原動力とは?
「『過去の自分を超えたい』という思いがどうしても強いんですよね。パリ五輪代表選考会のとき、初めて100m平泳ぎで1分5秒台(1分5秒91)が出せたんですが、そのときも『すでに1分5秒台を出している青木玲緒樹選手に続いて、自分もその領域で泳ぎたい』という思いの強さが記録更新につながったと思います。そう考えると、気持ちのエンジンって強いんだなと実感しますね」
━━気持ちのエンジン。いい言葉ですね。では、どうして〝過去の自分〞をそれほどまで超えたいと思うのでしょうか。
「自分がまだまだやれるんじゃないかっていう自分への期待と……あとは自分もその景色を見てみたいという思いが強いかもしれないです。たとえば表彰台に立ったときの景色を見てみたいとか、あとは、その領域に入った泳ぎの感覚やスピード感を自分も体験してみたいとか。フィンをつけて泳いだときのタイムが男子と同じくらいなら、『男子ってこんな速いスピードで泳いでいるのか』と新鮮な発見や感動があるし、女子でも『あの子はこんな速さで泳いでるのか。すごいな、私も泳いでみたいな』って。それが叶うかどうかは、いかに限界を超えてスイムやトレーニングをやり切れるか次第ですが、少しでもその領域に近づきたい。一言でいったら……うん、やっぱり挑戦心かもしれないですね」
すずき・さとみ
1991年1月29日生まれ。福岡県遠賀郡遠賀町出身。ミキハウス所属。女子平泳ぎの日本記録保持者。2012年ロンドンオリンピックでは、日本競泳女子史上初の100m平泳ぎ銅メダル、200m平泳ぎ銀メダル、400mメドレーリレー銅メダルという3つのメダルを獲得。2024年パリオリンピック競泳女子200メートル平泳ぎでは4位入賞した。50m平泳ぎ:30秒10(日本記録)
取材・文:藤村幸代 撮影:丸山剛史 Web構成:中村聡美