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教師・教育者部門のステージに立ちたい 脊髄の炎症、歩行困難からの復活 40代小学校教師の挑戦

洲本さん「当たり前のように思えた日々は、実は奇跡の連続だった」

3年前、当時42歳の洲本朋子(すもと・ともこ)さんは「心も身体も変わりたい」と思いながら日々を過ごしていた。そんなとき、トレーナーさんのサッシュを目にする。そして、「自分にもできるのかなぁ」と自信もなく、不安の中で、ベストボディ・ジャパンへの挑戦を歩んでゆく。

【写真】白肌の映える洲本朋子さんのビキニ姿

突然、歩行困難に

洲本さんは幼いころからの夢であった小学校の先生になり、3人の子どもにも恵まれていた。しかし、仕事後には、疲れからか甘いお菓子を食べ、いつしかメリハリのない身体になり、そんな自分にも嫌気がさすようになったという。

「心も身体も変えたいと思い、ベストボディ・ジャパンに挑戦しました。2021年に初出場、2022年には高松大会でグランプリと心と身体の変化だけでなく、成績もついてきてとても充実していました」

ところが、洲本さんは2023年1月に脊髄の炎症で入院を余儀なくされるのだ。

「人生の一番いいときに突然病気になりました。急に立つことも歩くこともできなくなり10日間の入院。懸命の治療も功を奏さず、病院でできることはなくなり退院。退院後も立つ・歩くのリハビリの毎日でした。できていたことができなくなる恐怖、涙が流れない日はありませんでした」

2カ月半の病気休暇の後、洲本さんは杖をついて教育界に戻る。大好きな筋トレどころではなく、懸命に生きる日々が続いたというが、新しい目標が洲本さんに元気を与えた。

「ベストボディ・ジャパンのジャンル別&職業別大会に教師・教育者部門が新設されることになりました。私の人生そのものである教育者。その部門のステージに立ちたい一心でリハビリを頑張り、筋トレも再開しました」

『私はまだ社会の仲間だ』と思わせてくれた

不思議なもので、そのころから洲本さんの身体は少しずつ向上していく。ベストボディ・ジャパン&ジム仲間からは「さな」の愛称で親しまれている洲本さんに、応援メッセージが届いた。

「『さなさん、また同じステージに立とう』『一緒にトレーニングできる日を楽しみにしています』などのメッセージを選手仲間やトレーナーさんからいただきました。病院と家にこもり、社会から疎外されたような感覚に陥っていた私。メッセージは『私はまだ皆の中にいる』『教育界に戻る、ステージに戻る、仲間の中に戻る』と生きる勇気をもらいました」

身体に後遺症はあるものの、ステージに立てるまでに回復した洲本さん。ベストボディ・ジャパンのジャンル別&職業別西日本大会、教師・教育者部門で惜しくも優勝は逃したが、洲本さんにとってはかけがえない宝物になったようだ。

「銀でしたが、私にとっては金です。健康や仲間のありがたさ、当たり前に思えたことも奇跡の連続だと感じました」

洲本さんは、この病気と生涯つき合っていくという。「病気になったから」でがなく「病気になったからこそ」と人生を歩んでゆきたいと語る。そして「この経験を教育界に生かす」と語った。

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取材・文:FITNESS LOVE編集部 写真提供:洲本朋子

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