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「顔面蒼白で、絶望の淵にいました」女王・安井友梨に襲い掛かった試練【特別手記#1】

安井友梨選手(写真提供:安井友梨、大会写真:Igor & Jakub)昨年、ビキニフィットネス国内初戦のオールジャパンの3週間前に左足基節骨粉砕骨折という大ケガに見舞われ、医師から「全治一年」と診断されながらも、壮絶なリハビリを経て大会に出場し、国内戦全勝、その後のアーノルドクラシックヨーロッパ2023ではフィットモデル3冠を成し遂げ、続くフィットモデルワールドカップでも一般の部優勝に輝く快挙を達成。絶望的状況から“奇跡の復活劇”を我々に見せてくれた安井選手が、世界制覇までの道のりを赤裸々に綴ってくれた。(発売中の雑誌『月刊ボディビルディング2024年3月号』から一部抜粋)

【写真】痛々しく腫れた骨折後の写真&初戦のオールジャパンで見せた奇跡の肉体美

人生最悪の出来事

今振り返ると、なにもかも、毎日が奇跡の連続でした。

8月16日夕方16時。私は絶望の淵にいました。顔面蒼白の中、車椅子に乗せられて病院で頭を抱えていました。その数時間前、まったく予期しなかった試練が私に襲い掛かってきたのです。

ラットプルダウンのアタッチメントがロッカーから滑り落ち、私の左足親指を直撃しました。一瞬、時が止まったかのようでした。何が起こったかもよくわからず、「え、うそでしょ?」と思った、私。残酷なもので、時間が経つとともに、痛みも腫れも酷くなっていきました。目の前の現実を受け入れざるを得ませんでした。 骨折さえしてなければ、ひび割れで済んでいるならば、3週間後のオールジャパンも万が一可能性がある。

救急で運ばれ、診察を受けました。一縷の望みに掛けて、診断結果を待っていました。緊張のあまり、心臓の鼓動が耳にまで聞こえるかと思うほどになりながら。病院の医師からの診断によると、状態は想像以上に悪く、基節骨粉砕骨折でした。

基節骨がなにか、粉砕骨折がなにかも、理解出来る状態にはありませんでした。ただ、「3週間後のオールジャパンに出場出来るのか、出来ないのか?」、それだけ知りたかった。医師に何度も何度も繰り返し聞いても、答えは同じでした。

「3週間ではまともに歩くことはできません。大会出場は、無理です。即手術が必要な重傷ですので」

出血がひどく、血が止まらないため、3針縫いました。手術をすれば、半年は動けなくなり、全治一年。関節面まで亀裂が入っているため、手術は避けられないとのことでした。

ゲストを7箇所やり遂げ、競技人生過去一の身体を作り上げていました。まさに、今から最後の仕上げという時期。これからオールジャパンに向けて、自分の練習や大会に向け集中しようとしていた矢先。最後のゲストポーズ、熊本県大会の3日後でした。ゲストポーズに呼んでいただいた皆さんに、ご迷惑をおかけしなくてよかった。

「それだけがせめてもの救いだ」、そういう気持ちが浮かびました。

骨折1週間後の、超音波治療中の様子

骨折1週間後の超音波治療中

2023年は私にとって、全国から7箇所ゲストとして呼んでいただけた最多記録でした。女性で全国7箇所呼ばれた人はこれまでいないとも仰っていただけたことが、本当にうれしかったです。私には、勿体ない身に余る光栄な機会でした。

最後の熊本ゲストでは、私の競技人生最後のゲストポーズになるのではないかと覚悟して挑んでいました。全国の皆さんに直接お会いして、9年間の御礼を直接お伝えすること、チャンピオンとしての任務を全うすることが今年の目標でした。

今年のゲストで皆さまに一番お伝えしたかったことは、チャンピオンとしての責任と競技をどのように普及していくかについての私の思いでした。全国のゲストポーズで、その思いを会場にいる皆さまに次のようにお話させていただきました。

「私が目指すチャンピオンは、ただ強いだけのチャンピオンではありません」

私が連覇することで、日本のビキニフィットネスの発展を止めてはいけないとの思いがいつもありました。

「ボディビルと聞いて、誰でもどんな競技かわかるように、ビキニフィットネスと聞いて、誰でもわかる競技にしたい」

この強い思いを実現するためには、チャンピオンとして、どうあるべきか、そして、何をすべきかをいつも自問自答してきました。

しかしながら、私自身は、まだまだチャンピオンとしてやるべきことができていると皆さまに胸を張って言える状態には程遠く、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。それでもなお、皆さまから受けたこれまでのご恩を、どうしたら少しでもお返しできるかをいつも考えていました。その答えが、ついにわかりました。

「安井が"いて良かったという"よりも、安井が”いなければ困る”と言っていただけるようなチャンピオンになることだ」と。誰も”強いだけのチャンピオン”は求めていない。一人でも多くの方に私のことだけでなく、”ビキニフィットネスという競技を応援してもらえるようなチャンピオン”にならなければいけない。そんなお話を、全国の皆さんに直接お伝えしました。

私の競技人生においてのチャンピオン道は、ボディビル世界チャンピオンの鈴木雅選手がお手本です。鈴木選手を見て、いつか誰からも愛され尊敬されるチャンピオンになりたいと思ってきました。鈴木雅選手から教えていただいたのが、「ゲストは絶対に断ってはいけない。チャンピオンとしての責任だ」ということ。私は9年間ゲストを大会が重なる以外で、ただの一度も断ったことがありません。どんなにハードスケジュールでも、大会1週間前でも受けさせていただく。チャンピオンは自分を優先せず、競技の顔にならなければいけない。競技を普及する役目がある。それならば、私がやるべきことは2つ。ビキニフィットネスチャンピオンとして、メディアやブログ、各地でのゲストポーズ、講習会、セミナー等、可能な限りあらゆる場所で、ビキニのすばらしさをできるだけ一人でも多くの皆さまにお伝えし、ビキニフィットネスを応援していただけるように、競技普及に努めること。そして、日本代表として、ただひたすらに”世界一”を目指すことだと。

これまで、世界一を目指し7回チャレンジさせていただいてきました。今から8年前にはじめて世界選手権のステージに立たせてもらってから、数えきれないほどの予選落ちを繰り返し涙を流してきました。それでも、JBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)は、私を日本代表選手として、世界のステージに派遣し続けて下さいました。だから、私は結果で何としても恩返ししたいと焦りばかりが募っていきました。

食事療法に切り替え、抗酸化作用の高いものを中心に、タンパク質はほとんど取れませんでした

食事療法に切り替え、抗酸化作用の高いものを中心に、タンパク質はほとんど取れませんでした

「日本人だからできないのではなく、日本人だからできる」といつか証明したい、と諦めずに思い続けてきました。

なんとしても、今年こそ世界一へ! その気持ちがあまりに強くて、空回りしてしまったのか? 私に試練がまたも降り注ぐには、理由があるに違いない。神様がなにかを私に伝えようとしているんだ。でなければ、あまりに残酷すぎる。

受け入れられない目の前の現実を受け入れるために前を向き、奇跡を信じる以外の道はありませんでした。1000人いたら999人が大会出場をやめるだろう。

「絶対に無理だから、無理は禁物です」
「来年再び目指してみたら」

そんな言葉が周りから聞こえてきました。SNSを更新するどころか、見るのも開くことすらも嫌になり、卑屈になっていました。大会に出場するなんて、医師のみなさんが「絶対に無理」と言っているのに、病院を駆けずり回って5軒目も同じ診断。すぐに手術が必要とのことでした。

鈴木雅選手なら、どうするだろう!?ダメ元で聞いてみよう。藁にも縋る気持ちでした(以下、鈴木選手との会話)。

安井「ご無沙汰しています。 お忙しい中、申し訳ございません。今日、左足指基節骨を骨折してしまいました。一日も早く治したいと思っています。もし雅さんが、ご存知の良い整形の方がいらっしゃればと思い、御連絡させていただきました。救急で診察していただきました医師からは、手術を勧められていますが、9月9日のオールジャパンまで25 日しかなく、それ以外の方法がないかと思っております」

鈴木「お疲れさまです。手術ってことは複雑骨折ですか? 3つに割れてる、どうしても手術したくない場合はセカンドオピニオンはありですね。肩、肘ならわかりますが、足部になると専門医の方がよいと思います。ちなみに母趾ですか? いま多方面から整形外科医を聞いてます」

「明日診てもらえそうですが、いかがでしょうか? 松尾智次という医師です。場所は御茶ノ水の順天堂医院になります」

そうして、骨折してわずか2日後に、鈴木さんから紹介された順天堂足疾患センターへと辿り着くことができました。幾つもの病院を駆けずり回って6軒目にして、ついに初めて手術をしないで大会を目指すための治療を提案してくださいました。

5軒の病院を回り、どこも手術を勧められましたが、鈴木さんが紹介してくださった順天堂医院においては手術をせずに大会を目指す治療で寄り添ってくださいました。雅さんが今回病院や医師の方をご紹介くださらなかったら、到底大会には出られなかったんです。本当に力を貸していただきました。心から感謝しております。

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文:安井友梨 写真提供:安井友梨 大会写真:Igor & Jakub

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