男は出場選手のリストにそれを見つけて身震いした。エントリーナンバー195の欄にあった「山崎義夫」の文字。それは1970年代から活躍する名ボディビルダーの名前である。
「山崎さんから見ると、私なんか小僧同然です。これで3連覇は阻止されたと思いました」
そう語るのはディフェンディング王者の笠原孝昭(かさはら・たかあき)選手、御年82歳(大会当時)。舞台は9月15日、福岡県・北九州市北で開催されたボディビルの年齢別のナンバーワンを決める『日本マスターズ選手権大会』。その80歳以上級で2022年、23年と2連覇を達成している“絶対王者”笠原選手の前に、強敵があらわれたのだ。
山崎選手はミスター日本、ミスター愛知、日本実業団大会(現在の社会人選手権大会)などで活躍した戦歴の強者。日本マスターズ選手権でも65歳以上級、70歳以上級、75歳以上級で優勝を飾っている。笠原選手がその名を見て萎縮するのも無理はないほどの、輝かしい実績を誇る選手だ。
一方の笠原選手は定年退職後に腰痛対策を目的にトレーニングを始め、62歳でコンテストデビュー。60代のころは予選落ちが続いたものの、70代になってようやく努力が結果にあらわれるようになり、そして2022年に日本マスターズ選手権80歳以上級で優勝して初めてチャンピオンになった、遅咲き(?)のボディビルダーである。
「ですから、山崎さんがどのような仕上がりで出場してくるのか、とても気になっていました。だからといって、例年とは異なるトレーニングは行いませんでした。これまで同様、自分の弱点はどこなのか、その弱点を改善するには、どうすればいいか。そういう意識の元にトレーニングを続けてきました」
そんな笠原選手が現在、弱点と感じている部位の一つが「脚」だという。
「ただ、もうこの歳にもなると、頑張ったところで太くはなりません。そこで考えたんです。太さではなく、カットで勝負しようと。大腿直筋、外側広筋、内側広筋などピンポイントで狙って、軽い重量で効かせていくんです。ここでの目的は『回数をこなすこと』ではありません。あくまで筋肉に『効かせる』ことです。回数を重ねていくと、焼け付くような痛さが筋肉に走るのですが、その痛みがくると『やった!』と思います」
バルクではなくカットで勝負。以前は筋肉を大きくするため重量と格闘していたものの、笠原選手が重さへのこだわりを捨ててこのような考えに至ったのは、70歳を過ぎてからだとか。
「特に、75歳を過ぎると、どんなに頑張っても身体は衰えていくものです。ですが、この方法に変えてからは、毎年どこかの部位がよくなっています」
進化や成長を求める心に年齢は関係ない。注目の対決が実現した80歳以上級。結果は笠原選手が優勝で、山崎選手は惜しくも2位。試合後の控室には、勝って兜の緒を締めなおす笠原選手の姿があった。
「私のボディビル歴は、まだたったの20年です。こんな小僧に負けた悔しさが、山崎さんにはあるはずです。来年はこの悔しさを糧にして、出場されるかと思います。幸いにも今年は私が勝てましたが、来年も勝てるとは限りません」
80代の選手たちが肉体ひとつで火花を散らし合う。いくつになっても真剣勝負ができる生涯スポーツのすばらしさがここにある。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材:藤本かずまさ 撮影:中島康介