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還暦目前、バキバキの肉体でコンテスト世界2位!人工股関節手術からの奇跡のカムバック!

かつては痛みで歩くことさえ困難だった宮田みゆき選手が、世界フィットネス選手権の舞台で輝いた。女子フィジークマスターズ(35歳以上)部門では4位、そして163㎝ 以下級では殊勲の2位に。人工股関節手術という大きな決断から、どのように復活を遂げたのか。進化を続ける宮田選手の、挑戦の軌跡を追う。

【写真】宮田みゆきさんのバキバキの背中!還暦目前とは思えない

――宮田選手はもともと変形股関節症に悩まされて、一度は引退するも21年にカムバックしました。
宮田 その年の日本選手権は痛み止めを飲みながら臨んだ大会で、バックステージでは足を引きずっていたような状況でした。そして、22年の3月に人工股関節の手術を受けました。

――身体にメス入れるというのは大きな決断だったと思います。
宮田 はい、実は手術をずっと拒んでいました。私の中には「手術」という選択肢はなかったのですが、私のクライアント様に、たまたま筑波大学附属病院の名医の方のお知り合いがいらっしゃったんです。クライアント様にそのお医者様のことを伺って、そこで一気に気持ちが傾きました。

――選手としての復帰を想定して、手術に踏み切ったのでしょうか。
宮田 いえ、まずは何よりも、この痛みから解放されたいというのが一番でした。日常生活にも支障をきたしていたので。

――術後はリハビリに取り組まれたかと思います。最初は歩くことにも恐怖を覚えたのではないでしょうか。
宮田 怖かったですし、痛かったです。腫れもひどく、本当に歩けるようになるんだろうかという不安はありました。でも、2週間ほど入院したのですが、退院するころには廊下でポージング練習ができるまでになっていました。

――競技への復帰を意識するようになったのは?
宮田 23年10月に応援のために日本選手権の会場に行ったあと、11月くらいだったと思います。選手のみなさんが頑張っている姿を見て、刺激を受けたというのもあったかと思います。また、私にとって大きかったのはボディフィットネスの越川順子さんの存在です。

――同年のオールジャパン選手権55歳以上級で優勝しています。
宮田 越川さんは年齢もキャリアも私と近く、また股関節の手術も受けているんです。彼女を見て、私ももう一度、選手として復帰できるんじゃないかという希望を抱きました。

――その時点では、ストレスなくトレーニングに取り組めるようになっていたのでしょうか。
宮田 はい、手術をしたということすら忘れるくらいまで回復していました。ただ、トレーニングをしている中で左右差などの違和感を覚えることはありました。

――痛みは?
宮田 もう、手術する前と比べたら全然。以前の状態に戻ってきているという感覚がありました。脚のトレーニングをもっとできるんじゃないかと、気持ちも前向きになっていきました。

――ただ、術後に初めてスクワットなどを行った際、怖さもあったのではないでしょうか。
宮田 もちろん怖かったですが、そこはトレーナーさんのサポートに助けられました。21年に復帰する際に木村卓矢さんというトレーナーさんの指導を受けていたんです。人工股関節についてもとても詳しい方で、今回も木村トレーナーの指導の元に取り組みました。数ミリ単位でフォームをチェックしていただいて、以前はほとんどできなかった脚のトレーニングにしっかりと打ち込めるようになりました。自分でも脚は良くなったという実感があります。また、審査員としての目線から客観的なアドバイスをいただきたいと思い、昨シーズンからは臼井オサムさんの指導も受けるようになりました。

――そうした中、世界フィットネス選手権へのエントリーを意識したのは?

宮田 (復帰戦となった)日本マスターズで2位になれて、そこで出場権を得られたと思っていたんです。ですが、結局は出場権を得られるのは1位の選手のみで、私は日本選手権でシーズンを終えることになりました。そこで一旦はオフに入り、食事も増やしていたのですが、急きょ日本人選手の出場枠が増やされ、私も出られるようになったんです。

――ということは、日本選手権を終えてから再び調整に入った?
宮田 そうなんです。さらには、私が出場権を得たのはマスターズクラスのみだと思っていたのですが、一般の身長別にも出られるというので、ダブルエントリーさせていただきました。ただ、私は日本選手権では8位に終わりました。身長別のクラスには、私よりも上位の日本人選手が6名もいらっしゃったんです。さらに、そこに海外の選手も加わります。これはもう、予選は通過できないだろうと。ですから、(成績に対する)欲はまったくありませんでした。

――ご自身の感覚としては、日本選手権と世界フィットネス選手権とでは、どちらがコンディションは良かったのでしょう。
宮田 世界フィットネス選手権のほうが良かったです。日本選手権以後にトレーニングの強度を上げて、さらに脚が良くなりました。

――脚のトレーニングでは、どういった種目を?
宮田 ハックスクワット、レッグエクステンション、レッグカール、ハイパーエクステンションの4種目のみです。かつて脚のトレーニングを諦めたことがあったのですが、今ではその脚が私の武器になっています。

――フリーポーズも日本選手権とは変えていました。
宮田 日本選手権で披露したフリーポーズは、シーズンを通して何回も練習したものでした。でも、せっかくの世界大会ですので、短期間で新たに作り直したんです。海外の審査員の方にも楽しんでいただきたいと思い、(海外で認知されている)映画『グレイテスト・ショーマン』の曲にしました。 また、ポーズを取るのが遅いと、審査員に見ていただく時間が短くなってしまいます。一つの戦略として、最初に見てもらえるよう、規定ポーズではプレアクションを極力カットして、早くポーズを取るようにしました。

――挑戦者のような気持ちで臨んだのが、プラスに作用したのかもしれませんね。
宮田 そんな気がします。10年間、競技を続けてきた中で一番緊張しなかったステージでした。いろんなことに挑戦したのですが、その試みがどう評価されるのか、そういう心境でした。

――一般クラスの163㎝以下級で2位という成績はどのように受け止めましたか。
宮田 驚きしかありませんでした。うれしさよりも、「なんで?」という気持ちのほうが大きいです。今でもそうです。写真を見返しても、「なぜ私が2位なんだろう……」と思います。

――この世界フィットネス選手権を経験して、新しい自分の闘い方を見つけられたという感覚は?
宮田 脚の重要性を再確認できました。また、ポーズをスピーディーに取っていくことは、今後も継続していこうと思います。そして、これは私のクライアント様や生徒の方たちにもお伝えしていることですが、コンテストは筋量だけを競うものではないと。この言葉をさらに自信を持って言えるようになりました。筋量で言うと、私は誰よりも細かったと思います。

――そうした中で評価を得られた要因は?
宮田 脚のカット、特にバックポーズでのお尻からハムにかけての評価がとても重要だということが今回の結果で確認できました。

――大会を通して、日本人選手には日本人選手の闘い方というものがあるということを感じました。
宮田 確かにそれはあるかもしれません。男女ともに、日本人選手はポージングが安定していると感じました。筋肉の大きさでは海外の選手にかなわなくても、ポージングの安定性や美しさは日本人選手にとって大きな武器になっていたと思います。

――これまでとはまた違った意気込みで2025年のシーズンを迎えられそうですね。
宮田 そうですね。今年は競技を始めて10年、そして年齢も還暦になる節目の年です。クラスが一つ上がりますが、今年も日本マスターズには出場したいと思っています。今年の日本マスターズは私の生まれ故郷、新潟で開催されるんです。両親にステージを観てもらうことが大きな目標になっています。そして、いい成績を収めて、喜んでほしいです。親孝行をしたいですね。

――日本選手権でシーズンを終えていたら、また違った心境になっていたかもしれません。
宮田 そう思います。いまだに実感はありませんが、世界フィットネス選手権で評価していただいたことが、今年のシーズンを迎えるにあたっての力強い自信につながっています。日本選手権では絞りの面に課題を残しました。そのままオフに入らず、世界フィットネス選手権に出場して本当に良かったと思います。諦めずに挑戦することの大切さを学びました。

――希望が次につながりました。
宮田 私はフリーポーズがやりたくてこの競技を始めました。また自分自身を喜ばせられるようなフリーポーズを作りたいというのが今の願望です。女子フィジークは筋肉だけではなく、女性らしさが求められる競技です。私が大事にしている表現力をもっともっと磨いて、より多くのみなさんに観ていただけるようになりたいと思っています。

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取材・文:藤本かずまさ 大会写真:中原義史 写真提供:PRagmatic Academy

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