過去の自分を変えたい、周囲を見返したい──。そんな強い思いからボディメイクをスタートさせ、劇的な変貌を遂げたのは山田晃義(やまだ・あきよし/35)さんだ。
「最も体重が重かった時期は115kg、当時の体脂肪率は35%(※)を超えていました」と、昔を振り返る。山田さんの過去にはダイエットでの失敗も多々あったのだとか。現在の身体を手に入れるため、どんな経験をしてきたのだろう。
(※体脂肪率は市販の体組成計によるもの)
25kg減量して、40kgのリバウンド
学生時代はハンマー投げに打ち込んでいたこともあり、当時は85kgで「動ける身体」だった。しかし、社会人になってからは運動習慣がなくなり、体重は100kgに。その後、極端な食事制限と長距離走によって75kgまで減量したものの、暴飲暴食によって115kgまでリバウンドしてしまうという苦い経験があった。
「太っていたことがコンプレックスでした。今までの自分を変えて周りを見返したかったことが、筋トレを始めた大きなきっかけです。そして、自分にはコンテストなんて無縁だと思っていましたが、出場してみようと決めたんです」
そして本気で自分を変えるため、2度目の身体づくりに取り組んだ。
ボディメイクを始めるにあたって、まず着手したのが“食事の改善”。いきなり大きく変えるのではなく、できるところから少しずつ変化を加えていくことを意識した。
例えば、朝食の菓子パンをお米に変え、おかずのウインナーをやめる。甘いものが欲しくなったら洋菓子ではなく和菓子を選ぶなど、日々の選択を工夫した。次第にカロリー計算や栄養表示を確認するようになり、脂質の高い食品を避けるなど、食への意識が大きく変わっていったという。
毎日の数字記録と、毎週の画像記録
「体重を落とすうえで、大きな支えになっていた習慣が2つあります。それは毎朝の体重測定と週に一度、上半身裸で正面・背面の写真を撮ることです。数字が停滞していても見た目が変化していたので、モチベーションを維持できました」
トレーニングにおいては、まず「ジムに行くこと」を目標に設定。育児や家事などで忙しい中でも、10分だけでもジムに立ち寄ることを習慣にした。ときには寝落ちしてしまうこともあったが、「身体を変えたい」という意志で、どんなに疲れていてもトレーニングを欠かさなかった。
「現在はコンテストのオフシーズンなので75kgほどありますが、無理なダイエットをして達成した75kgのときとは身体つきがまったく違います」と、山田さんはうれしそうに話す。
最初は「大会に出る」と山田さんが言うと、周りから「無理だろう」と言われたり、笑われたりした経験があるという。しかし、しっかり減量して大会に出ると、次は「トレーニングや減量方法を教えてほしい」と言われるようになった。
さらに、大会に出る山田さんを見て、大会出場を決めた人やトレーニング・減量を始めた人たちもいるという。「自分を見て、挑戦してくださる方がいるのはすごくうれしいです。家族や職場の支えもあって、大会に出られることに感謝しています」と、山田さん。
いきなり大きく変えるのではなく、食習慣も運動習慣もできることから始め、山田さんは着実に身体を変えていった。「自分ができる、小さな一歩の積み重ね」の大切さを自身の身体を通して証明したからこそ、周りの人たちも挑戦したのだろう。
【マッスルゲートアンチドーピング活動】
マッスルゲートはJBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)とアンチドーピング活動について連携を図って協力団体となり、独自にドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト大会である。
次ページ:【写真】元115kg・山田晃義さんの腹筋バキバキボディ
取材・文:小笠拡子 大会写真:北岡一浩 写真提供:山田晃義
執筆者:小笠拡子(おがさ・ひろこ)
ボディビルにハマり、毎年筋肉鑑賞への課金が止まらない地方在住のフリーランスライター。IRONMAN・月刊ボディビルディング・Woman’s SHAPEなどで執筆・編集活動を行う。筋肉は見る専門で、毎月コツコツ筋肉鑑賞貯金をしている。