「太っていたときは1日に5000kcalは摂っていました。当時、アメリカンフットボール部に所属していて、ラインというウエイトが必要なポジションだったので、とにかく食べて鍛えて、身体をデカくすることだけを考える生活をしていました。白米だけでも4〜5合食べてました」
そう当時を思い返す、杉田匠穂(すぎた・たくほ/26)さんのビフォーとアフターの体重差は、なんと45kg。実に、中学2年生1人分相当(出典:令和2年度 学校保健統計)の脂肪を落とすことに成功した生活とは。
「まず、最初の3年半で35kg落ちたのは、引退を期に食事量を人並みに戻したからですね。トレーニング自体は元々かなりやっていたので、その強度を変えずに食事のカロリーを平均的な摂取量にしたら自然に落ちていった、というかたちです」
そのころはただ楽しくてトレーニングをしていたという。ボディメイクを趣味ではなく競技として志すトレーニングの魅力にとり憑かれたのは、ボディビルをしている知人からの影響だった。
「友達に『ボディビルやってみないか』と誘われたのがきっかけです。僕は昔から、須江正尋(すえ・まさひろ)選手(※)が大好きで、毎日、須江さんの動画を観るくらいファンなんです。なので当然、そういう世界に憧れはあったんですが、自分が出場する側になろうとは思っていませんでした。でもその一言で、せっかく身体をつくるなら順位という数字で結果をみてみたいという気持ちになり、大会出場を決意しました」
(※)30年以上に渡りボディビル競技に携わり続け、現在もトップ選手として活躍する伝説のボディビルダー。背中の筋肉と、情熱的なポージングが特徴。
「そこで思い切って須江選手の、背中のトレーニングセミナーを受けに行きました。『どういう背中になりたいのか』と聞かれ、『逆三角形にみえる背中になりたい』と答えたところ、『それじゃ、ボディビルとしてはダメだ。半円形の下に垂れ下がったような背中を目指せ』とアドバイスをもらいました。憧れの人と話せたことと、目標が明確になったことで爆発的な意欲が湧きました」
まず変えたのはトレーニングのボリューム。1回のセット数を3回から4〜6回にした。ベンチプレス135kg、スクワット220kg、デッドリフト220kgを挙げるパワーに、ボリュームを追加した。そして、職務であるシステムエンジニアが繁忙期以外は、週に4〜5回トレーニングに通い続けた。
「仕事により疲弊してしまい、トレーニングに向かえない日もありました。そういうときはSNSで同じくボディメイクを頑張っている仲間の投稿や、トレーニング動画を見て情熱を取り戻しました。繁忙期は割り切ってオフを増やすなど、焦らず積み重ねていくように自分をコントロールしました」
そして今年、マッスルゲート東京ベイ・ボディビル75kg以下級に初出場を果たした。
「当日は故郷の宮崎から家族が、職場からは20人が応援に来てくれました。オンライン配信を見ていた友達からのメッセージもたくさんもらい、すごく楽しかったです。ただ、結果は6位と振るわなかったので、楽しい反面、もっと恩返ししたかったなと思います」
杉田さんは今、来年の出場に向けて、イチからトレーニングと食事の見直しを図り、奮闘している。
「今後、自分が活躍して発信していくことで、トレーニングの魅力、大会の魅力を知ってくれる人が増えればいいなと思います。皆さん、トレーニングはめっちゃ楽しいです!一緒に頑張れたらうれしいです」
取材:にしかわ花 写真提供:杉田匠穂
執筆者:にしかわ花
『IRONMAN』『FITNESS LOVE』『月刊ボディビルディング』寄稿。広告・コピーライティング・SNS運用も行うマルチライター。ジュラシックアカデミーでボディメイクに奮闘している。