85年の歴史を誇るアイアンマンマガジンの歴史とは?元発行人ジョン・バリック氏が語るボディビルへの情熱

ジョン・バリック氏

アイアンマン・マガジンは1936年に創刊されたウェイトトレーニングの専門誌だ。現存するボディビル系雑誌の中で最も長い歴史を持ち、専門的にボディビルを研究してきた権威のある雑誌だ。創刊したのはピアリー・レイダーだが、ジョン・バリックが1986年に発行人になり、2015年ビナイス・ベゴヴィチェ夫妻に譲り渡すまでのおよそ30年に渡って雑誌の発行を続けてきた。今回はジョン・バリック氏にアイアンマン誌の歴史とボディビルへの情熱を聞いた。

An Interview with Iron Man Publisher, John Balik
by David Young with Steve Holman

『アイアンマン』と出会い、ついに発行人に至るまで

アイアンマンUSA表紙ラインナップ

アイアンマンとの出会いはかなり時代を遡る。私が初めて目にしたボディビル系の雑誌こそが『アイアンマン』だった。最初にこれを購入してくれたのは、何と私の母だったのだよ。当時の私は8年生(日本では中学2年生に相当)で、その日のことは今でも覚えているよ。あの日、私は体調を崩し、学校を早退して家に戻っていた。なぜか落ち込んでいた私を見て、母が買い物の帰りに『アイアンマン』を買ってきてくれた。おそらく母は店に陳列されていた雑誌の表紙を見て、それが私を元気づけてくれると思ったんだろうね(笑)。思えば、あのとき手にした『アイアンマン』こそがボディビル界と私をつなげた最初の出来事だった。
事実、私はそれからウェイトトレーニングを開始するようになった。雑誌が持つ影響力は極めて大きいってことさ。当時あったAAUという団体が開催したボディビルやウェイトリフティングの大会に出場できるレベルまで私はトレーニングで筋肉を発達させていった。そのうち、大会の取材に来ていたピアリー&マーベル・レイダーと知り合うことになった。彼ら夫婦こそが『アイアンマン』を創刊した人物だったんだ。
初めて会ったのに、私は彼らをもっと以前から知っている気がした。何しろ『アイアンマン』をむさぼるようにして読み続けていたわけだから、雑誌の中に溢れていた彼らのウェイトトレーニングへの情熱は、雑誌を通して私にすでに伝わっていたわけだ。
私は『アイアンマン』の記事のどれもこれもが好きだった。表現の仕方が好きだった。最初に読んだときから、ウェイトトレーニング界に温かく迎え入れてもらったような気がしたし、読めば読むほど、仲間として認められた気にさせてくれた。明らかに『アイアンマン』は読者が体験できるような記事に満たされていて、読者を巻き込む参加型の雑誌だったんだ。
やがて私はカメラを扱う仕事に就くようになった。レイダー夫妻との親交を深めながら、私はついに決意をした。この雑誌を自分のものにしたいってね。私は率直にその気持ちを彼らに伝えた。ずばりこう打ち明けたんだ。
「この雑誌を買いたいんです!」って。
私の申し出に、最初は驚いた様子のレイダー夫妻だったが、ふたりは私をしばらくじっと見つめ、ついにこう言った。
「いいよ、おもしろそうな話だね」って。もしかしたら、そのときは冗談半分でそう言ったのかもしれない。でも、私は真剣そのものだった。
もちろんそれだけのやりとりで私の夢が実現するはずはなかった。それからしばらくして、私は健康食品の仕事に関わるようになった。私の役割はビタミン商品を作ることだった。ビタミン商品の製造に関わりながら、私はできる限りの情報を集めるために、特にアメリカ中西部の健康食品店を片っ端から歩き回り、調査を行い、営業をし続けた。その仕事をしながらも、私の『アイアンマン』への情熱は冷めることがなかった。事実、営業のために各店舗を回りながら、私は鞄に詰め込んだ『アイアンマン』誌を店先にいつも置くようにした。もちろん、レイダー夫妻がそうするようにと私に依頼したわけでもない。私がそうしたかっただけだ。この雑誌は必ず多くの人々に役立つと確信していたから、私は回る店舗ごとに雑誌を置いてくるようにしたんだ。
時代は1970年代後期になっていた。ある日、マーベルが私に電話をしてきて、是非会って話がしたいと言ってきた。彼らは当時ネブラスカ州に住んでいて、電話を受けた私は、ついにそのときが来たと直感し、彼らの元へと飛んでいった。
私のカンは間違っていなかった。レイダー氏は口頭で私に雑誌の版権を売ってくれると約束してくれたのである。私は大興奮し、家に戻ると、直ちに出資者を募り、準備に取りかかった。ちょうどそれが1978年の頃の話だ。しかし、まもなくして私は再びマーベルから連絡を受けた。彼女は電話で私にこう打ち明けた。
「あのね、ごめんなさいね。昨日の夜は私たちふたりとも一睡もできなかったの。あなたが来てくれたときは雑誌を手放すことに同意したものの、とてもそんなことできそうになくて……」
ショックだったよ。でも同時に、レイダー夫妻の気持ちは痛いほど理解できた。彼らにとって『アイアンマン』は子供のようなものだったんだ。そう簡単に手放すことができるはずがなかったんだ。
私はそれからまもなくしてジョー・ウィダーが発行する雑誌のフリーランスカメラマンとして仕事をするようになった。現在の『アイアンマン・マガジン』のエースカメラマンであり、共同発行人でもあるマイク・ネビューとはそこで知り合った。
そうしてあっという間に8年の年月が過ぎていった。1986年のことだ。私は再びマーベルから電話を受けた。そして、彼女は私にこう訊ねたんだ。
「あなた、今でもこの雑誌の発行人になる夢を捨ててない?」って。こうしてついに本気ですべてが始まったんだ。

ボディビルとの出会い

8年生のとき、私は初めて『アイアンマン』の雑誌を手にし、それがボディビルを知るきっかけとなったわけだが、当時の私はクラスの中で一番小柄な身体の少年だった。身長は150㎝しかなかったし、体重だって45kgしかなく、身長順に生徒が並ぶと、私はいつだって最前列に立たされた。小柄であったことが私には猛烈なコンプレックスになっていた。でも『アイアンマン』を見たとき、私は衝撃を受けた。ウェイトトレーニングを行うことで、小柄な身体でも人一倍の筋力を持ち、筋量を増やすことで小柄であることから脱出することができるとわかったからだ。私はトレーニングをする自分の姿を想像した。そうして結果を得ながら、やがて力強い、たくましい身体が作り上げらていく様子を想像した。
私にはふたりの叔父がいて、彼らはウェイトトレーニングを行っていた。私がウェイトトレーニングに興味を持つようになったことを知ると、叔父たちは私に彼らが使っていたヨークバーベルのセットを貸してくれた。ヨークバーベルのセットを入手した私は、近所の友達と一緒にトレーニングを行うことにした。ベンチ台が必要だと感じると、私は友達とともにそれを自作した。チンニングバーも取り付けた。スクワットラックはさすがに作ることはできなかったが、ベンチ台、チンニングバー、それにバーベルセットさえあれば、私たちは様々な種目をそれで行うことができた。
14歳~16歳までの間、私はとりつかれたようにトレーニングにハマり込んでいった。16歳になると、地元シカゴでビック・タニーがジムをオープンすることになった。友達と一緒に、私たちはそこに通うようになり、ついに限定された器具以外の道具を使って、本格的なトレーニングを行うようになったんだ。
ジムに初めて足を踏み入れたときは、まるで雷に打たれたような衝撃を受けた。何しろ、それまでは本気でトレーニングを行う本格的なアスリートを生で見たこともなかったからね。でも、ビック・タニーのジムにはそんな人たちが大勢いた。ジムの中はいつだって彼らの熱気に溢れていたんだ。

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