今年還暦を迎えた“狂気の男”~俺の素質は努力だけ~視力を失ってまで筋肉を鍛えボディビルで勝利を勝ち取った男の執念(前編)

30代後半からメキメキと頭角を現わし、JBBFのトップビルダーとして日本選手権で最高2位にまでなっていた合戸孝二。しかしいくらその実力の高さを認知されてい ても、”2位”はあくまで2位であり、決して“一番”ではない。  だから、世界選手権で優勝するというアマチュアビルダーの最高成績を別にすれば、彼の日本選手権優勝は、そのボディビル人生最大級の悲願であった。
筆者はこれまで何度も、 非公式にではあるが、 合戸本人の口から”引退”の二文字を聞いてきた。もちろん、冗談かもしれなかったわけだが、その度に少なからずショックは受けてきた。 ただなぜか、ショックを受けながらも、本当にこの選手がその時点で引退するようには思えなかった。納得のいかない結果を叩きつけられて落ち込んでいるその姿をどれだけ見せられようが、「左目の視力を失ってまでも選手であり続けた男が、その悲願を達成せぬまま、自ら退くことができるのか?」 という問いかけが、筆者の頭の中から消えなかったのだ。
そして2005年。遂に合戸孝二の悲願は達成された。 “おめでとうございます”という祝福の言葉 も確かに浮かんだし、本人にも告げた。しかし、この成果は、彼を競技ボディビルにつなぎ止めていた要因の中でも、特に大きな割合を占めていたものの消滅を意味していた。彼にとっても、そして周囲の人間にとっても、大きな節目であることには違いない。
これから合戸はどうするのだろうか? 今回の特別インタビューでは、日本選手権優勝までの話を中心に、現在の心境を語ってもらった。
(本内容は月刊ボディビルディング2006年4月号「特別インタビュー合戸孝二」から修正引用)
取材:月刊ボディビルディング編集部 撮影:アイアンマン編集部

2005年ミスター日本

左目の失明公表に踏み切った理由
ー まず2005年12月1日(火)に放映された(関東ローカル) TBSの番組「バースデイ」で合戸選手が取り上げられ、 大きな反響を呼びましたが、あの中でも、そして自身のトレーニングビデオ 『狂気の男』の中でも、左目の視力を失うに至る経緯が語られていました。 まずそのことについて、実は、私も個人的には聞かされていたことですが、小誌でも改めて触れさせて頂きます。
合戸 あれは1999年の大会が終わってからのオフに話したことだから、もう6年ほど前になるね。
ー 当時は他言しないお約束でしたよね。 なぜ今になって明らかにしようとしたのですか?
合戸 たまたまDVDやテレビという良い形の話があったのでね。その中で、自分がボディビルにどれだけ賭けているかという気持ちを現わそうとしたとき、ああいった形で話に出てきたんだ。もともとこんな話をして同情を買おうとか、そういった気はなかったので、6年前も特に公表することはしなかった。自分自身も年齢が年齢だし、ああいった映像が自分の中の記念として残れば良いなとは思ったんだ。
ー たまたま巡り合わせとして、公表するタイミングだったということですね。
合戸 そうだね。ああいった機会がなければ、ずっと黙っていたかもしれない。

2005年ミスター日本

ー 特に一般への影響を考えたとき、あの番組のインパクトは強かったみたいで、直後にインターネットで検索したら、ボディビルと関係ない人達のブログなどに、強い感銘を受けたという内容の文章がヒットしていました。また、他のスポーツ競技者達への影響も大きかったようで、例えば日刊スポーツの大相撲の記事(2006年1月17日の記事)の中で、 単独全勝を果たした北勝力さんが、”合戸選手の番組を見たことで勇気づけられた” といった主旨の発言をしています。もちろんボディビルダーの中にも、あのドキュメンタリーを見て、改めて刺激を受けた方も多いようです。 私自身も事件そのものの大枠は知っていたわけですが、あまり込み入ったお話はお聞きしていなかったので、今回の左目の治療に関わる話は衝撃を受けました。今回の症状に効果の高いとされたステロイドによる治療を断ったと聞きましたが。
合戸 徹底的にナチュラルにこだわっているからね。
ー それでは、月刊ボディビルディングの読者のために、今一度、左目失明に至る経緯をお話しして頂けませんか?
合戸 そうだね。
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