マッスル北村「限界に挑戦した男」[全文掲載]②

2000年8月3日、突然この世を去ったマッスル北村。その衝撃から20年経った今でも多くの人の心に彼の魂は生き続けている。まさに北村克己が口癖のように語っていた「肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける」そのものではないだろうか――。本誌では忘れえぬマッスル北村の伝説を若い読者の方にも語り継いでいきたい。

文:浦田浩行

先にお読みください。
▶マッスル北村「限界に挑戦した男」[全文掲載]①

北村旋風

1985年は彼にとって飛躍の年となった。7月のジャパンチャンピオンシップスでは無理な減量がたたってミドル級5位と振るわなかったが、8月のミスター東京での優勝を皮切りに、9月の全日本実業団優勝、ミスターアジア・ライトヘビー級優勝と立て続けにタイトルを手にした。そのため、月刊ボディビルディング誌(以下月ボ)1985年10月号に掲載された「今年のミスター日本の栄冠は誰の頭上に」のコーナーでは小山裕史、朝生照雄、小沼敏雄など、当時の国内トップクラスの選手とともに写真付きで北村克己の名前も挙がるほど期待される存在になっていた(1985ミスター日本の結果は10位。優勝は小沼敏雄)。

ちなみに、月ボ1985年11月号では早くも表紙を飾り、当時は彼の躍進ぶりを「北村旋風」と表現していた。さらに付け加えておくと、この少し前の1983年に小沼敏雄がミスター東京、ミスター関東、全日本実業団を総なめにしたことを驚きを持って評価した当時の月ボは「風雲児、小沼」と呼んで賞賛していた。古くからのボディビルファンがこの時代のボディビルコンテストを高く評価しているのは、北村や小沼のような大型新人の登場が背景にあるのかもしれない。

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芸能界への進出

ここまでは順風満帆といえる活躍を見せた北村だが、1986年に運命が大きく変わる。7月に宇都宮で行われたジャパンチャンピオンシップスは、その3ヵ月後に予定されていた東京でのミスターユニバースの選抜大会を兼ねていた。そのためハイレベルの優勝争いとなった。

大学を休学してまでこの大会にかけていた北村は当時、日本ではまだ普及していなかったカーボローディングを実践した。いつもは短期集中的な減量でコンテストに臨んでいたが、このときは1ヵ月前に減量を終え、カーボローディングで自分の身体がどのように変化するかを試しながら、残りの期間の調整を進めた。

最終的に82・5㎏まで絞り込まれた北村の身体には余分なものは何ひとつなく、まさに過去最高の筋量と仕上がりで、優勝候補の石井直方を抑えてライトヘビー級を制した。予選、決勝を通して全ての審査員が1位票を投じたパーフェクトスコアでの勝利だった。

しかし、この年から導入されたドーピング検査で陽性反応が検出され失格。優勝は剥奪され、ミスターユニバースへの出場資格も失ってしまった。北村は、もちろんこの結果に異議を唱えたが、結果が覆ることはなかった。

結局、北村がJBBFのステージに再び姿を見せることはなかったが、それでも彼を支持するファンは依然として多く、セミナーやデモンストレーションを行えば常に多くの人が詰めかけた。どんな小さな仕事の依頼も断らず、丁寧に対応していく彼の人柄は多くの人を引きつけ、JBBFのコンテストから遠ざかったあともファンは増え続けた。

彼の人気を支えていたのは、もちろん日本人離れした巨大な筋肉を作り上げた者への憧れであることは間違いない。しかし、彼の本当の魅力は、溢れるほどの包容力にあるような気がする。それは、彼のセミナーやデモンストレーションに参加したり、あるいは彼の近くでトレーニングしたことがあれば分かってもらえるだろう。彼がよく口にしていた「肉体と心の調和」は、ただの言葉のあやではなく、実際に多くの人に影響を与え、彼を中心に巨大な輪ができつつあった。

芸能界に活路を見いだそうとした北村だが、先にも触れたとおり、当時はボディビルに対する偏見も多く、芸能界特有のしがらみもあって苦戦が続いた。その一方で、コンテストビルダーとして新しい活躍の場を探してた彼は、ヨーロッパを拠点としていたWABBA連盟のコンテストに何度か挑戦している。

しかし、選手層は想像以上に厚く、国内では筋量やスケールの大きさで定評のあった北村でもなかなか太刀打ちできなかった。例えばエドワード・カワック、ブライアン・ブキャノン、ティエリー・パステル。彼らはWABBAからIFBBに移籍してオリンピアなどのプロのステージで活躍した選手たちだ。この顔ぶれを見ても、当時のWABBAのレベルは、アマチュアであっても、相当に高かったのではないだろうかと想像ができる。

それでも彼は、1990年に大阪花博で開催されたWABBA世界大会ではミディアムクラスで4位、1999年にニュージーランドで開催されたWABBAアジアパシフィックではオーバーオールで優勝している。

▶次ページ:突然の訃報に、誰もがにわかには信じられなかった。

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