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【筋肉超人伝説】妻の言葉が“伝説”須江正尋を復活させた、その当時の秘話(後編)

須江正尋、彼はしばしば"伝説"と呼ばれる。2003年当時、30代という彼の年齢を考えれば伝説と形容するにはまだ若い気もするが、それでも彼がコンテストシーンから姿を消してから、早7年の歳月が流れていた。新陳代謝の早まっている最近の日本ボディビル界からすれば、もはや須江も過去のビルダーになりつつあった。しかし、昨年突如その伝説は復活を遂げた。しかもミスター日本という大舞台でだ。
ボディビル界から遠のいたのは何故か? 突然の復活は? 今後の動向は? 伝説の胸の内を語ってもらった。
(本内容は月刊ボディビルディング2003年月号「特別インタビュー 伝説、須江正尋」から修正引用)
取材:月刊ボディビルディング編集部 写真:アイアンマン編集部,中島康介

2019年男子日本ボディビル選手権 須江正尋選手


—  ところで、食事も今回は計画的に行ったという事だけど、具体的には?
須江 警察官という職業柄、1日に何食も食べれませんが、昼と夜の食事の間にプロテインを飲んだりして栄養摂取をするようにしました。食事の内容的には、特に油ものを控えたとか、油を取ったとか、特別なことはしませんが、昼と夜の間のプロテイン摂取で1年間に80㎏まで増やすことができましたね。
―  でも、調整に入ってからはやはり食事制限はしたんでしょ?
須江 そうですね。もともと食が細い方なので、他の人と比べるとあまり内容的には変わらないと思います。例えば朝食では、通常食パン2枚、牛乳300cc、ハムエッグ(全卵、油使用)、温野菜、ヨー グルトを食べますが、調整に入ってやめたのは牛乳だけです。夕食に関しては、タンパク源をササミと白身の魚に変えて、ご飯を少なくし、野菜を多くしまし た。昼食は弁当をもって行ければ良いのですが、家に負担をかけないというのを前提にしていましたので、コンビニのおにぎりとツナ缶、サラダなどで凌いだっていう感じですね。
ー  減量に関しては、ほぼ予定通り行えた?
須江 7月の半ばくらいから始めて、急激に落とさなかったので、減量に入ってもパワーは落ちませんでしたね。その点では、良かったと思います。ただ、最後に食べる食事がどうしても夜の10~11時となってしまうので、沢山食べられませんでした。本来はもっと食べて減量できれば、もう少し体重が残せたかな、と思います。3000kcalくらい食べて減量できるのが理想ですが、今の仕事がデスクワークですので、2500kcalくらいだったと思います。また、下半身がなかなか落ちなかったので、休みの日に家の近くの土手を2時間くらい歩いたり、脚のトレーニング以外の日にワイドスタンスのヒンズースクワットを1000回から1500回行ったりもしました。しかし、さすが脚に疲労がたまってしまい、大会の1カ月前にやめてしまいましたね。

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