コロナ禍に見舞われた2020年がそうだったように、何らかの外的要因によってそれまで当たり前に過ごしていた日々に大きな変化がもたらされたとき、日常は当たり前ではないものに溢れていることに人は気づき、そこにある小さな幸せに大きな喜びを見出せるようになる。
昨年8月、シーズン開幕を3週間後に控えていた安井友梨(やすい・ゆり/40)選手は左足指基節骨骨折という重傷を負った。おぼつかない足取りでようやく規定ポーズが取れるようになったのが大会の3日ほど前という状況下で、シーズン初戦のオールジャパンフィットネスチャンピオンシップスに強行出場。舞台上では一切表情を崩すことなく、ビキニフィットネスの女王である“安井友梨”を貫いたものの、試合後のバックステージには立って歩くことすらままならない安井選手の姿があった。
「去年はステージに立つのが精一杯でしたが、今年は歩けるだけですごく幸せでした。一つひとつのポージングができることに歓喜し、また一歩一歩、歩くたびに『歩けるようになったんだ』と。昨年とは全く違います」
9月29日、岡山で開催された本年度の『オールジャパンフィットネスチャンピオンシップス2024』。ビキニフィットネス9連覇を達成した安井選手が、微笑みながらステージを振り返った。「ぽっちゃりOL」からの脱却を目指してトレーニングを始め、競技者デビューを果たしたのが2015年9月の第2回オールジャパンチャンピオンシップス。初出場にして初優勝を成し遂げて以来、新陳代謝が激しいビキニフィットネスというカテゴリーで“チャンピオン”を背負い、理想の王者像を追い求め続けてきた。それは決して平坦な道のりではなく、ときには重圧感に抗いきれずに笑顔を失ってしまうこともあった。
「それが今年は、当たり前のことすべてに喜びが感じられるシーズンになっています。毎朝5時に起きて有酸素運動として自宅の周りをウォーキングするときも、(心の中で)『ありがとう』と言いながら歩いています」
昨年、突如襲い掛かってきた困難を乗り越えたからこそ到達できた新たな境地。今年は“敗北が許されないチャンピオン”の呪縛からも解放され、生活も一変したという。
「これまでは『勝たなきゃいけない』『負けたらどうしよう』ということばかりを考えて、夜はいつも眠れませんでした。睡眠時間は2時間ほどだったのですが、それが今年は7時間も眠れるようになったんです。勝敗への執着から解放され、ステージに上がれるだけで感謝の気持ちでいっぱいです。これまでの9年間とはまったく違うシーズンになっています」
次なる舞台は国内最終戦となる10月6日、大阪でのグランドチャンピオンシップス。さらにはアーノルドクラシックヨーロッパ(スペイン)、IFBB世界フィットモデル選手権(リトアニア)、そして12月に東京で行われるIFBB世界女子選手権と闘いは続く。2015年のオールジャパンチャンピオンシップスから今もなお現役生活を継続し、チャンピオンとしてステージに上が続けているビキニアスリートは安井選手ただ一人。選ばれし者は、小さな幸せに大きな喜びを感じながら世界に挑む。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材:藤本かずまさ 撮影:中島康介