ボディコンテストにおける禁止薬物は大きく分類すると「タンパク同化男性化ステロイド」、「成長ホルモン(hGH)とインスリン様成長因子(IGF-1)」、「利尿剤」になる。今回はドーピングの副作用に悩む症例の治療や相談に乗る、医師で教授の高橋正人先生にこれらの危険性について解説いただいた。
タンパク同化男性化ステロイド(アナボリックステロイド)
保険適用の元で行われる本来の使用法は、男性ホルモンの補充です。
例えば、事故や病気で精巣がなくなってしまった方や、下垂体や視床下部といった内分泌系の異常で男性機能が低下した方に対して使用されます。またこれに加えて、最近では男性更年期障害の治療にも用いられるようになりました。
注射以外にも、塗り薬やパッチの処方があります。このタイプのステロイドは、男性機能を改善させる効果に加えて、タンパク同化、すなわち筋肉を増やす効果も持っています。そのため、男性機能のための治療と謳いつつも、本当は後者の効能を狙って処方するクリニックが出てきているわけです。
このようなクリニックで処方されるもの以外では、インターネットで簡単に手に入れられるタンパク同化ステロイド(以下、アナボリックステロイド)もあります。
個人が趣味の範囲で輸入している限り、今の薬事法では罪に問うことができないのが問題です。
アナボリックステロイドには短期的および長期的な副作用があります。
短期的な副作用としては、女性化乳房、男性機能の異常な亢進もしくは低下、情緒不安定などがあります。
女性化乳房の原因は、体内で大量に増えたテストステロン類似物質が女性ホルモンに作り変えられることです。男性ホルモンと女性ホルモンのバランスが本来あるべきものから乱れることによって発症します。
この副作用を防ぐために、女性ホルモンのレセプターに働きかけたり、男性ホルモンが女性ホルモンに作り変えられないようにしたりする薬品もありますが、当然これらもドーピングの禁止薬物リストに含まれます。
余談ではありますが、医療的な視点から、女性化乳房になっているかどうかは私にはすぐに判別ができます。
男性機能に関しては、異常に亢進する場合もあれば、逆に機能不全になる場合もあります。アナボリックステロイドを外部から取り入れた結果として、自分で男性ホルモンを作る能力が低下することがその原因です。機能の低下は、一時的なこともあれば恒久的になってしまうこともあります。
しかし副作用への対策も薬物使用者の間では広く理解されており、短期間のアナボリックステロイドの使用であれば、特定の薬物を組み合わせて使うことで副作用を軽減できることが知られています。
ただし注意しないといけないのは、対策のための薬物を使えば必ず副作用を抑えられるわけではないということです。個人によってホルモンのバランスは異なり、その微妙な数値によって身体は成り立っています。そのため、画一的なやり方ではより症状が悪化してしまうなんてこともあります。
ここまでで述べたように、女性化乳房や男性機能の問題に関しては、対応する薬物の投与で軽減できる場合があります。しかし、精神面、すなわち脳や神経への影響は簡単には解決できないと思います。
アナボリックステロイドの使用により興奮状態になり、攻撃性が増すことが知られています。また逆に、薬が抜けてくるとうつ的な状態になって、気分が落ちて全く力が出なくなることもあります。他の薬物との併用によってさらに症状が悪化する可能性がある点も危険だと言えるでしょう。
短期的な副作用はさまざまな手法の開発により防げるようになった部分があります。しかし、長期的な副作用についてはそんなに簡単な話ではありません。個人的には、この長期的な視野で見た際の副作用の大きさを強く発信したいです。
薬物を使用したと思われるボディビルダーの死因では、悪性腫瘍、動脈硬化に伴う脳血管疾患、狭心症や心筋梗塞などの冠状動脈疾患(虚血性心疾患)が考えられます。また、アナボリックステロイドは骨髄にも大きく影響することも知られています。研究者としては、アナボリックステロイドを使った被験者がその後どのように生涯を終えるかを追跡する研究を行うのが理想です。
対象者を増やしていくことができれば、薬物の使用と死因の因果関係を統計的に示せるようになるかもしれません。しかし実際は、禁止薬物の使用を公言する人の数は少ないため、データを集めるのは難しいという現状があります。また、仮に長期的な薬物の使用と死因の因果関係が示せたところで、薬物使用者の数が果たして減るのかどうかという問題もあります。それほどドーピングの問題は難しい要素を含んでいると言えます。
成長ホルモン(hGH)とインスリン様成長因子(IGF-1)
これらの薬はもともと、ベータ2作動薬とともに畜産で使われました。筋肉からなる赤身の部分を増やす目的というわけですね。治療目的でのIGF-1は、成長ホルモンやインスリンに抗体があり、使用ができなかった場合の選択肢として用いられました。
低身長の治療においても、成長ホルモンが使えない場合にIGF-1が用いられることがあります。IGF-1はインスリン同様に血糖値を下げる働きがあります。そのため、使用量を誤って低血糖の症状を引き起こすボディビルダーのケースが多く見られます。
成長ホルモンの副作用として、やはり悪性腫瘍の問題があります。身体の組織全てを成長させるため、当然、悪性腫瘍の芽となるものがあれば、それにまで働きかけてしまうことが考えられます。
悪性腫瘍以外では、顎や身体の末端が肥大することによる容姿の変化に加え、肥大型心筋症もあります。成長ホルモンの投与によって、骨格筋だけでなく心筋も大きくなる結果、心臓全体が大きくなります。これもやはり、不整脈を伴う突然死の因子になり得ます。実際に我々が行って論文にもなっている研究では、薬物によりネズミの組織が壊れることが示されています。心筋には大きく壊死が見られ、こういったことはヒトで狭心症が起こることの裏付けになると思われます。
成長ホルモンの厄介な点は、狙って筋肉だけを大きくできる薬ではないところです。いわゆる肝臓や心臓をはじめとする内臓全般も大きくするため、海外のボディビルダーに見られるバブルガット(腹部肥大)の要因の一つになっていると思われます。こういった変化が可逆的なものであれば良いですが、多くは不可逆であるため、一度変わってしまった臓器が元に戻るとは考えにくいでしょう。
ちなみに、成長ホルモンやIGF-1は、アナボリックステロイドと比べると高価であるという特徴があります。SNSなんかでも大学生が、「今はお金がないので使えませんが、自分で稼げるようになったら使わせていただきます」というような書き込みをしていたのを見ました。
ドーピングの隠蔽
昔は利尿剤は広く使われていましたが、今はアンチドーピングの禁止薬物リストに入っています。
検査をすり抜けるという観点で言うと、新薬を使う方法があります。もっと言えば、医薬品になる前の化学薬品の段階から悪用されている可能性もあります。生化学系の実験段階のものが流入し、それに対する知識を身につけて使用するということですね。当然、これまでの禁止薬物リストにはない成分なので、検査で拾いきれないこともあるでしょう。
しかしながらアナボリックステロイドに関して言うならば、近年は検査技術が相当に高くなっているため、すり抜けることは難しいと思われます。従来のガスクロマトグラフィーに加え、分子量を測定する手法も出てきています。筋肉増強を目的とする禁止薬物の難しいところは、ある程度の身体を一度作ってしまえば、普段から継続して使用しなくても良くなってしまう点です。
ボディビル競技にこの手法が当てはまるかは分かりませんが、他のスポーツならばこういったやり方をすることは十分考えられます。あとは、試合に出ない若いうちに薬を使いながら身体を作ってしまって、その後は薬を使わないようにするというやり方もあるかもしれません。こういった違反行為については、抜き打ちの検査がなければ見つけ出すことは困難です。
ドーピングが生むその他の問題点
アナボリックステロイドの項でも説明しましたが、覚醒剤などの違法薬物と組み合わせた使用は、強い興奮状態と攻撃性が出現するため危険です。実際に、併用が原因と思われるような事件は日本も含めて世界中で起こっています。
精神面に関しては、薬物の副作用によって一度崩れてしまうと、元に戻すのはなかなか難しいでしょう。
ヒトの身体は非常に微妙なバランスの元で維持されています。そこに外部から薬物が入ってくると、内分泌系は当然異常な状態に変わります。場合によっては、それによって性自認が変わるようなこともあります。
こういった特定の症状が出るかどうかは人によりますが、いずれにしても、薬物を使えば、その人の元々の身体の状態とは異なる状態が続くことには注意しないといけません。
薬物の使用はまた、自身の子どもにも影響を与える可能性があります。
子どもの遺伝子に問題が生じ、それによって子どもが障害を負うといったことも考えられます。また障害はなかったとしても、その子どもが歳を重ねる中で、何かの病気を発症しやすくなったりということもあるかもしれません。まだ解明されていない部分ではありますが、本人の代だけで終わらない問題になる可能性があります。本人は、薬の効果に満足できれば短命で終わっても良いかもしれませんが、残された子どもにまで迷惑がかかる点は深く考えないといけません。
ボディビル競技に関連するドーピングの問題点を挙げるとすれば、皮膚の老化もあります。薬物を使うことによって全身の代謝が速くなるのですが、それに伴って肌の状態も悪くなります。断定はできませんが、代謝が速くなることで頭髪の脱毛も起きるのではないかと思います。ホルモンの状態が変わるような他の病気でも同じ症状が起こりますので、ドーピングによるこういった症状の出現も、アナボリックステロイドに代表されるホルモン異常に由来すると考えるのが自然でしょう。
繰り返しになりますが、短期的な副作用に対処できても、長期的な副作用まで完璧に防げるということはないです。これに関しては、個人的にはもっと研究を積み重ねていきたい部分であり、今後の課題だと思っています。
取材・文:舟橋位於写真:Shutterstock
たかはし・まさと
1959年生まれ。東京都出身。信州大学医学部卒、十文字学園女子大学教授。博士(医学)。日本スポーツ協会認定スポーツドクター。ドーピングによる副作用に悩む症例の治療や相談に乗り、その裏付けとなる研究を動物実験を中心に行った。また現在日本におけるドーピングの広がりについての状況研究を行っている。
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