
昨年ボディビルデビューで躍進。2024年日本男子ボディビル選手権4位
2024年のボディビル界で最も話題となった男「扇谷開登」
規格外のバルク、到底真似できないトレーニングの追い込み。ボディビル挑戦1年目にしてミスター日本4位まで駆け上がった正真正銘の「怪物 」。
この男は一体どのようにして作られたのか?ここでは精神面・食事面・トレーニング面の“契機”となった出来事に迫った。
扇谷開登はどう考え、どう行動してきたか。そこに学びはたくさんあるはずだ。
「怪物」となったターニングポイントを探る。
取材・文:鈴木彩乃 撮影:舟橋賢 写真提供:扇谷開登
食事の契機―2018肉と米の量をノルマ化
ーーーこれまでの身体づくり遍歴のようなものをお伺いできたらと思っているのですが。
扇谷 遍歴ですか……。実は、今まであまり取り組みを変えてきていないんですよね。
ーーーこれまでを振り返って、身体が変わるきっかけとなった取り組みはありませんか?
扇谷 その意味でいうと、食事とトレーニングを変えたタイミングがそれになりますかね。食事を変えたのは、2018年です。トレーニングを始めた1年後に挑戦した関東フィジークで予選落ちしたとき。減量期の取り組みというよりは、主に増量中の食事を変えて【1日あたり米5合と肉1㎏とをノルマ化】したんです。
ーーーそれ以前の食事は?
扇谷 好きなものを、好きなだけ食べていました。タンパク質の量も毎食何かしらで摂れたらいいかな、くらいの感じで。ジャンクなものも普通に食べていましたしね。でも今にして思えば、身体をしっかり作り上げるためには、全体的にボリュームが足りていなかったようです。なので、このときに質はもちろん量も見直す意味でノルマ化していこう、という話になりました。
ーーーノルマ化は自発的に、でしょうか。
扇谷 いえ、師匠の小泉(憲治)さんの指示です。ボディメイクに本気になるなら「とにかくどんなかたちでもいいから、米と肉を食べろ」と。最初は簡単にできるだろうと楽観視していたんですけど、始めてみるとなかなかしんどいんですよね(苦笑)。小泉さんには「焼肉でもカツ丼でもいいから食べろ」と言われていたけど、途中からその量を食べるにはクリーンなものでないと消化が追いつかないっていうことに気がつきはじめて、余計な油を腹に入れる余裕があるなら、そのぶん米や肉を入れたほうが成長が早いんじゃないかって自分で考えて、行動を変えていけるようになっていきました。
ーーーほかのものを食べたい欲、みたいなものはなかったですか?
扇谷 ありましたよ〜。今でこそ食に対する欲求がだいぶ薄れていますけど、そのときはまだいろいろなものが食べたかったし、僕はもともと甘党なので甘いものが食べたかったし……。慣れるまでは、そういう意味でのキツさもありました。米と肉のノルマを達成すれば、それこそ甘いものとか好きなものを食べていい、というルールにしていたんです。だけど、プラスオンして食べるとお腹がいっぱいになりすぎてしまって次の食事が苦しくなるっていうことも経験しながら徐々に……でしたね。
ーーーそれを経ての、神奈川フィジークでオーバーオール優勝。
扇谷 そうです。写真を見比べたときに(前と)全然違うなって自分でも驚いたのを覚えています。全体的にかなりバルクアップしていましたよね。その結果を受けて「これだけ変わるんだから、この取り組みは間違いないんだ」と感じ取ったんです。なので、今も基本的には変えずに続けています。
ーーー肉とごはんの量をベースに整えている感じですか。
扇谷 そうです。カロリーとか、全然計算したことなくて。
トレーニングの契機―2021
ただし、今も昔も「ドロップ」で
ーーートレーニングに変化があったのは、その後でしょうか。
扇谷 トレーニングに関して「変えた」と言えるのは、再び負けた2021年……ですかね。そのときから美濃川(大)くんとほぼ毎日一緒にトレーニングをするようになりました。とは言っても、パートナーを組む前から一人でも同じようなことをしていたので、大きく内容を変えたというわけではないんですけど。
ーーー美濃川さんと組むまでは、ずっと一人でやっていましたか。
扇谷 正確に言うと、僕が大学2年の終わり頃にジムに入った当初から卒業するまでは、小泉さんと一緒にやっていました。学生から社会人になることによって、自由に使える時間の量や時間帯が変わったタイミングでもあったので、一人でやる期間を少し挟んだあとに美濃川くんと組むようになりました。だけど、トレーニングの内容的にはそのときから今も変わらず、同じようなことをしています。たとえば、腕は今の僕はEZバーカールから始めますが、当時は延々インクラインカールをやっていたんですね。でも、ドロップセットで組むトレーニングのかたちは、そのころも今も同じなんです。
ーーーそれが「これまで取り組みを変えてきていない」という部分ですね。
扇谷 そうですね。細かい部分で言えば、種目の順番を入れ替えてみたり、やってなかった種目を取り入れたりっていう変化はありますよ。重量は上がっていますし、セット数の変化もあります。でも大枠はずっと一緒ですし、なんなら取り組む気持ちも姿勢も変わっていません。
ーーー多くの方が、トレーニングを続けていくと停滞を感じて取り組みを変える傾向にあります。
扇谷 その点で言うと、僕は自分の取り組みによってしっかりと身体が成長してるっていう実感があります。毎回「これだけやれば成長するだろう」って思えるくらいやっているっていうのもありますけど、自分のそういう感覚だけではなくて、たとえばトレーニング後にはしっかりと筋肉痛もきますしね。
ーーートレーニングには少なからず流行り廃りもあります。そういうものに振り回された経験などはありますか?
扇谷 うーん、ないです。たぶん僕、基本的に人に対する興味が薄いんですよ。だから誰が何をしているとか、ボディビル界での流行りとか、そういうものに全く心惹かれないんです。それよりも、普遍的なものっていうんですかね?スクワットとかデッドリフトとか、そういう基礎種目って誰にとっても絶対にキツいじゃないですか。僕はトレーニングにおいては、苦しいことが一番効果的だと思っているので、それをチョイスしておけば、まず間違いないだろうって考えます。
一番大事にしていることは「キツいことから逃げない」
ーーー常々「男らしい男になりたい」と口にしている、扇谷さんらしい思考です。
扇谷 もちろん競技に出る以上は勝ちたい。勝ちたいんですけど、ほかの皆さんと比較したら、もしかしたらその気持ちは薄いのかもしれないですね。競技での勝ちは二の次、と言えるのかもしれません。というのも、僕はきれいな隙のない身体を作るためのボディメイクをしているというよりは、トレーニングを始めた当初から一貫して、男らしい男、強くて逞しくておもしろい男になるために鍛えています。だから、一番は「キツいことから逃げない」っていうことを大事にしたいし、それが純粋に好きなんです。もう少し具体的に言うとベントオーバーロウとかロープリーロウとかでも、背中は鍛えられますよね。だけど、僕は背中で一番キツい種目はデッドリフトだと思っているので、率先してデッドリフトをやります。背中を鍛えると同時にキツさから逃げない心を鍛えるために。そこが軸としてあるんです。だから、長く続けてきたからという理由で取り組みを大きく変えるという発想が、そもそもないのかもしれません。
ーーー先ほど「気持ちも姿勢も変わっていない」というコメントが出てきたのも、腑に落ちました。
扇谷 昔のボディビルダーの方たちって、なんとも言えない重厚感がありませんか? それっていろいろな情報に踊らされながら、さまようように小手先だけのトレーニングを重ねても絶対にかもし出せない厚み・重みだと思うんですよね。その先人たちが積み重ねてきたであろうキツいことっていうのは、時代が変わった今もなお変わらずにあるものだと思うんです。僕はやっぱり、それに時間を費やすことで身体と同時に心を鍛えていきたいと思うんですよね。
ーーー気持ちとしては、身体と心のどちらを鍛えたいですか?
扇谷 それは……半々ですね。今日も、それこそデッドリフトをやってきたんですけど、最中に何回も「やっぱり重量下げようかな」とか「セット数減らそうかな」とか考えたんです。でも、下げたり減らしたりしないで、むしろプラスアルファくらいでやってきました。そういう時間を積み重ねていく過程で心が鍛えられていくと思いますし、なんていうかブレない男になっていけるのかなって。僕は、背中の厚みとともに心にも厚みを出していきたいんですよ。

2024年12月22日(日)の胸トレ取材、第1種目目はダンベルフライから。胸トレは複数種目のジャイアントセットではなく、1種目ずつをドロップ、補助を多用して行うスタイル

2種目目はスミスマシンインクラインプレス。「狂気の男」合戸孝二・真理子夫婦のように、ボトムで上から押しながら、挙がらなくなったら補助に入る。この種目も思わず断裂を心配してしまった。

徒手抵抗でもフライを行う。大胸筋が断裂しそうなほどストレッチをかけていく。
「逃げない」理由
ーーー今まで、そういうキツさから逃げたことはありますか?
扇谷 あります。僕は仕事の性質上、24時間勤務明けで休みの日を迎えるんですね。そのときはすごく身体がダルくて、でもトレーニングすると決めていたからジムに行ったんですけど、ダルさに負けて1セット減らして帰ってきました。逃げましたね。でも、その後にやっぱりそうした自分が許せなくて、もう一度ジムに行きましたけど。
ーーー逃げて終わらなかった、と(笑)。24時間勤務明けのトレーニング、ダルさとの戦いはこれからも続きますよね。
扇谷 正直、明けの日はキツいんですよ。でも、その日は僕がたまたま明けなだけであって、たとえば刈川(啓志郎)くんとか嶋田(慶太)さんとかほかの選手たちにとっては明けじゃないんですよ。だから、それは言い訳にしちゃダメだよなって思うんです。実際はわからないですよ?それぞれに都合とか不調とかいろいろあるかもしれないですけど、おそらくみんな身体を良くするための整った生活をしているはずなんです。そのなかで僕は不規則な生活をベースにしたうえに、時間があれば友人と遊ぶ時間とかも作りたい人間なので、だからなおさらちょっとしたことで逃げたりしたらダメなんですよね。
ーーー人への興味や関心が薄いという話がありましたが、自分を奮い立たせるための材料として、ともにステージに並び立つ存在への意識が働くことはある。
扇谷 気持ちがノッているときは自分に集中できますよね。だけど、人間誰しも常に上り調子ってことはないですし、僕にも思うように進まないときや気持ちが下向きになるときもあるわけで、そういうときはほかの選手たちはもっとやってるぞ、今この瞬間も伸びてるぞってなりますね。もう……休めないですよ(笑)。
ーーーその「休めない」は、キツいなとか止めたいなっていう気持ちを起こさせないですか?
扇谷 24時間勤務をしているときって、筋肉的にはオフじゃないですか。まあ、実際には身体を動かしたり時間があるときは腹筋とか背筋とかもしているんですけど、鉄の塊は持っていないので、オフ的な感覚になるんですけど。その時間が良くも悪くも確実にあるので、止めたいっていうところまで気持ちが追い込まれることは今のところないですね。単純に、筋トレがめちゃくちゃ好きっていうわけでもないので「明日もこんなキツいことするのか」とは、常々思っていますけど。
ーーーその「キツいことするのか」っていう気持ちにも、勝ちたいんですよね。
扇谷 はい。それに、今は応援してくださる方たちもたくさんいらっしゃるので、気持ちに応えるためにも頑張らないといけないっていう気持ちもあります。

スミスマシン終了後、「おまけっす」と始めたケーブルフライ。おまけにも関わらず追い込みがすごく、「普通」の基準が非常に高いことが伺えた。

ケーブルフライで印象的だったシーン。限界が近くなっても無理やりケーブルを引き呼吸を整え再開する。扇谷選手の1セットにかける「執念」が現れていた
強靭なメンタルの根源にある高校サッカー部時代
ーーー扇谷さんの強いメンタルは、これまでの人生において、どこかで鍛えあげられたものですか?
扇谷 高校時代のサッカー部での経験かな、と思います。フィジカルを強くするためにとにかく走り込みをする部活で、それがまあ……言葉にするならキツいわけなんですけど、結果としてフィジカル面だけでなくメンタル面がかなり強化されたんですね。
ーーー実際に、キツいことをやり遂げることで身体と同時に心が鍛えられる経験を積んだ、と。
扇谷 そうですね。そのときの恩師がいつも「迷ったら、キツいほうを選べ」と言う人だったんです。その言葉がそのまま今でも自分のなかの判断の軸にもなっているんですけど、キツいと感じることに取り組むことによって目に見える成長を得ることができたという実際の経験が、やっぱり大きかったと思います。あのとき逃げなかったから、今こうしてトップレベルの方たちと肩を並べて戦えている自分がいるんじゃないかなって、今につながっているんだなって、思いますね。
ーーー伺っていくと、トレーニングを始めた当初からドロップセットで限界のさらに限界を攻めるような今と変わらない姿勢で取り組んでいたというのが理解できます
扇谷 別に自分が特別ハードなことをしているとは思っていないんです。きっと皆さん、僕と同じくらい、あるいはそれ以上にキツいことに取り組んで乗り越えてきているはずだと思います。そのうえで思うのは、自分は根本的に負けず嫌いなので、何よりも自分自身に負けたくないんですよね。僕のなかで「こうなりたい」と思う理想の男の姿があったとして、思い描く自分に負けたくないんです。そこはトレーニングを始めたときから今も、これからも絶対にブレないところです。本当に少しずつではあるし、本当に全然まだまだですけど、現実が理想に近づき始めている感じが今ようやくしてきているので「逃げない」っていうところからのさらにもうひと押しを大切に積み重ねていきたいです。
おおぎたに・かいと
1997年7月28日生まれ。石川県出身。身長175.5cm、体重90㎏(オン)、100㎏(オフ)。消防士。2019年神奈川県メンズフィジーク選手権総合優勝。2023年日本クラシックフィジーク選手権175cm超級優勝。2024年日本男子ボディビル選手権4位。2024年ジュラシックカップ グランドクラス2位。