世界的に話題のフィットネスレース「HYROX(※)」で活躍する選手に迫るコーナー。第15回は、HYROX Performance Coach として活動し、F45training浜松町でもコーチを務める、渡口聖仁(わたりぐち・まさひと/34)さんを紹介する。
※「HYROX(ハイロックス)」とは、ランニングとフィットネス種目を組み合わせた新しいスタイルの競技。1kmのランニングと、8種目のファンクショナルトレーニング(機能的全身運動)を交互に繰り返すことで、筋力や持久力だけではなく、さまざまなフィットネスに関する能力が問われる。
【写真】兄弟でレースを楽しむ渡口さん

“怖いけどやってみる”が人生を動かした
「完走できるか不安で押しつぶされそうでした」
そう語る渡口さんも、今や最も勢いのある日本人HYROXコーチの一人として、世界のHYROXレースを舞台に飛び回る。2025年だけでも台湾・仁川・シンガポール・横浜・パース・ソウルと多数の海外レースに参戦。
渡口さんがHYROXを知ったのは、スパルタンレースの練習会で日本代表の砂沢愛選手と出会ったことがきっかけだった。さらに勤務先のF45で会員や同僚がHYROXに挑戦していたことも後押しとなり、「まずはやってみよう」と海外レースへのエントリーを決意。
「決断したものの、言葉も通じない海外で、本当に完走できるのか…。楽しみよりも“怖さ”のほうが大きかったですね。でも実際に出てみると、想像以上にキツいのに、想像以上に楽しかったんです」
そこからの渡口さんは一気にギアを上げた。5月仁川、6月シンガポール、8月横浜、9月パース、11月ソウルと、わずか半年の間に世界を縦横無尽に駆け巡り、すでにこの先の大会にも複数エントリー済みだ。
一人で磨く力、仲間と引き上げる力
本格的にHYROXへ挑む中で徹底したのは、「走力」と「ワークアウト力」の両立。特にインターバルトレーニング、各ステーションの本番回数に合わせた練習、そして苦手だったウォールボール──その3つを重点的に強化した。
「ウォールボールは勤務先のジムでは当時はできなかったので、他のジムに行って練習しました。肩・背中・片脚系の種目も強化して、必要な筋力と動きのスキルを磨き続けました」
努力の結果、ランジとバーピーは得意種目に成長。一方、ウォールボールは最後まで強敵だった。特にシンガポール大会では湿気と熱気が体力を奪い、ゴール目前で熱中症寸前に。これまでにない苦しさを味わったという。
それでも“HYROXは楽しい”と感じられる理由は、仲間の存在だと渡口さんは話す。
「横浜大会では、勤務先の会員さんやHYROXクラスの参加者が応援に来てくれて。選手と観客の距離が近いので、声が聞こえるだけで力が湧いてきました」
ダブルスは種目を分担し、走るペースも相談しながら決められるため、完走しやすさが増す。“キツいのに孤独じゃない” ──それがHYROXの大きな魅力だ。
「初めてのダブルスは双子の弟と出場しました。午前中に既にオープンシングルを走っていたので疲労はありましたが、作戦会議をしっかりしたので兄弟喧嘩をすることなく完走できました(笑)」
誰もが踏み出せる“最初の不安な一歩”
「体はより動けるようになり、筋肉も自然と増えました。メンタル面では、諦めない気持ちや向上心が強くなったと実感しています」
そう語る渡口さんの視線は、すでに次のステージに向いている。
「自分のレースで目標を達成することはもちろんですが、競技そのものをもっと多くの人に楽しんでほしい。日本を代表するHYROXパフォーマンスコーチになることが、自分の使命だと感じています」
その一歩として、2025年8月には世界で60人しか選ばれないRedBull HYROX Coaches Campに、日本人として唯一参加。
「HYROXに挑戦するアスリートが“苦しさの先にある達成感”をつかむ瞬間や、“仲間と支え合う空気”を近くで見続けられた経験は、競技知識を超えた学びでした。トレーニングメソッドも、レース戦略ももちろん重要ですが、仲間と挑戦すると能力は何倍にも引き上がる──それを強く実感しています」
こうした現場でのリアルな気づきが、渡口さんの指導の軸となり、HYROXコーチとしてのキャリアを大きく支えている。
「気づけば僕の人生は、あの日の“不安な一歩”から大きく動き出しました。HYROXは誰にでも扉を開いてくれる競技です。あなたの一歩も、きっと新しい景色につながります」
文:林健太 写真提供:渡口聖仁
パーソナルトレーナー、専門学校講師、ライティングなど幅広く活動するマルチフィットネストレーナー。HYROX横浜はシングルプロで出場。
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