アテネオリンピック・北京オリンピック100m平泳ぎ、200m平泳ぎの2冠2連覇を成し遂げた日本屈指のアスリート・北島康介氏。その活躍の裏には、どのようなウエイトトレーニングやコンディショニングがあったのか?同氏がファウンダーを務める、業界注目のパフォームベタージャパンについても紐解く。
[初出:『IRONMAN2024年4月号』]
※『IRONMAN2024年4月号』に掲載の【[スペシャルインタビュー]北島康介 今の「できない」を未来の「できる」に変えるために】より、インタビュー内容をお届けします。
トレーニングから得たのは自信
──練習にウエイトトレーニングを取り入れ始めたのは、いつごろでしたか。
北島 2000年シドニーオリンピックの後からです。僕はもともと身体の線が細くて体重が増えにくいのですが、その後のレベルアップについて考えたとき、トレーニングを取り入れることで海外選手に負けないパワーを身につけたいと考えました。ちょうど、国立科学スポーツセンターという施設が新設されたタイミングで、水泳の練習からトレーニング、コンディショニングと必要なことを一つ屋根の下で見ていただける環境が整ったこともあります。
──競泳界で、ウエイトを取り入れるのはsに主流でしたか?
北島 主流ではなかったですが、取り入れることがとりわけ珍しいというわけでもなかったです。競泳と一言で言っても、細かく見ればスプリント・中距離・ロングディスタンスと種目によって目指す身体のタイプは分かれるので、パワーが必要な種目の選手は僕が始めるもっと前から取り入れていたと思います。
──北島さん自身はどのようなメニューから始めたのでしょうか。
北島 ビッグ3を中心に、水泳のコーチとストレングスコーチとの話し合いのなかで、競技に必要な動きを出すためのメニューを考えていきました。競泳の場合、スタートブロックを蹴るところで一番パワーを発揮しなければいけません。そのためスナッチやクリーンといった床反力を使う種目を取り入れたのですが、それは競泳界では初めてだったと記憶しています。目的は、重量を挙げることではなく動きの習得。陸上での動きをいかに水中に繋げていくかを重視していました。と言っても当時は10代なので、そこまで理解してやれていたかは怪しいですけど(苦笑)、今にして思えば、当時から動きを重視したトレーニングを続けてきたのだなと。
──水に入る時間を削ってトレーニングをすることに、抵抗などはなかったですか?
北島 全くないです。楽しかったですよ。とにかく水中にいる時間が長かったので、週2回の陸上トレーニングやコンディショニングの時間が好きでしたね。だからこそ、今こうしてトレーニングに携わる仕事をしているんだと思いますけど(笑)。まあ、トレーニングの成果を競技にすぐ活かせたかと言われれば、時間は要しましたけど……。結論としては、課題だった体重も10kg 近く増やせたし、筋量が増えて身体が大きくなったことでパワーアップも果たせたし、何より「これで海外選手と戦える」と自信につながったのをすごく覚えています。
──トレーニングの成果が競技に活きていると実感するまでに、大体どれくらいかかりましたか。
北島 うーん、20代前半くらいまではずっと悩んでいましたよ。陸上での力発揮と水中での力発揮のアンバランスさを少しずつ埋めていく作業において、頼りになるのは自分の感覚しかありません。例えば、平泳ぎの特性として膝・肩・肘に痛みが出やすいのですが、陸上トレーニングの動きで痛みがなくても水中の動きで痛みが出た時は、休ませる期間を作って様子を見て……。回復の重要性が注目され始めた時期でもあったので、自分でも知識を入れて、トレーナーともメニューの相談をしながら試行錯誤をした時期を超えてようやく、ですね。
──指示に従うばかりだった10代から、20代にかけて次第に主体的になっていった感じですか?
北島 競泳は、記録との勝負じゃないですか。いかに進化させていくか、という目標達成に向けてバイオメカニクス的な知識もたくさん与えていただきました。知識を得ることで、水中でこういう動きがしたいから陸上でこういうトレーニングをしたらどうか?と考えられるようになっていったんですね。自分で考えられるようになると、面白くもなってくるし、研究心や向上心が湧いてきます。基本的にアスリートは「できないことを無くしていきたい」っていう気持ちが強い人たちだから、次第に自分自身でトレーニングと向き合うようになっていきました。もちろん、専門家の手を借りながらですが。