どのジムにも“名物キャラ”と言うべき存在がいる。『ジムで見かけた驚くべきトレーニー』に直撃取材を行うこの企画、今回は「ド派手な手作りウェアに身を包み、雨の日以外は毎日トレーニングに訪れるすごいお爺さんがいる」という噂を聞きつけてゴールドジム北千住東京に訪れた。そこに現れたのは、ウェア以上にド派手な経歴を持つ人物だった。
【写真】「83歳の力こぶじゃない!」吉田昌弘さんの上腕二頭筋&ド派手ジムコーデ
「20年間で作った数は100着は超えていると思います。ウェア作りを始めたきっかけは、身体が小さいので既製品だとトレーニングするのに違和感があったからですね。あとは人と被るのが嫌で、どうせならトレードマークになるような目立つ服を着たいなと」
吉田昌弘(よしだ・まさひろ/83)さんは、この日も噂にたがわぬエキセントリックな出立ちでジムに訪れた。30kgのプルオーバーを淡々とこなす姿と隆起する力こぶは、トレーニング歴の長さを感じさせる。
「トレーニング歴は50年になります。仕事をしてテレビを観て寝るだけの生活がつまらなくなってトレーニングを始めました。当時はジムの数が少なく、国立競技場のウエイトトレーニング教室に通って鍛え方を覚えました。50代後半まではベンチプレス185kgが挙がったのがちょっとした自慢ですね」
聞けば自宅の地下室にもジムがあるという。ケーブルマシンやチンニング台、ベンチ台など全身くまなく鍛えられる設備を一式揃えているらしい。
「30代のころ、トレーニングの楽しさ・運動の心身への良さを伝えたくて地域の子どもたち向けに体操教室を開きました。小学生の子たちにはテニスバットなどゲームを交えて、高校生くらいで希望する子にはトレーニングも教えました。設備はそのときに揃えたものです。JBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)の一級指導員の資格を取って本格的に指導していましたので、通っていた子のなかには今も新日本プロレスで活躍する矢野通さんもいます。近隣に住む方も交えてわいわい楽しくやってましたよ」
それが地域への奉仕活動として町から認められ、町会長の推薦で「保護司」に任命されることとなる。
「非行少年の立ち直りや社会復帰を支援する任務を、47歳から任期満了の77歳まで尽力しました。2018年に国から『瑞宝双光章』(※)をいただきました」
(※)ずいほうそうこうしょう/公共職務に長年携わった功績を讃える勲章
保護司の活動においても、トレーニングは役立ったと語る。
「受け持ちは近所の子たちですから、僕が強いことは知れ渡っていましたので粗暴な子でも言うことを聞いてくれましたね。隙があったり弱いとまず舐めてかかられてしまうという面はやはりありますので、トレーニングで鍛えた心身の強さが一定の抑止力にはなったと思います」
吉田さんはボディビルダーとしてJBBFに長く出場経験があり、現在は社会人ボディビル連盟の理事長を務める。今でも年齢らしからぬ厚みを帯びた胸や背中は、確かに言葉以上の説得力があった。吉田さんにとってトレーニングとはどんな存在なのかを聞いた。
「健康のために欠かせないものであり、強い肉体を維持するための手段です。いくつになっても『デカい』と言われるのはうれしいですよ。クラス会など同年代の集まりに行くと、一人だけムキムキなのでちょっとした自慢になります。あとは幅広い交友関係ができます。40代から70代くらいまで友人がいて、ジムでも楽しい時間を過ごせています」
この日も吉田さんの周りには様々な年代のトレーニーが集まり、談笑を楽しむ風景が見られた。吉田さんには目標があるという。
「僕の人生の目標であり信条は、『1日1日を全力で楽しんで生きる』ということです。人生は楽しまなくては損です。僕は5年前に妻を亡くしているので、生きていることそのものが奇跡だと日々思うようになりました。最期の1日まで悔いのないように、毎日を本当に楽しいと思えるように過ごしたいです」
ウエイトトレーニングは90歳までは最低でも続けたいと語る。
「できる限り健康で強い自分であり続けられるように、今後も鍛え続けていきます」
いくつになっても目標を持ち、日々を楽しむ人の姿はどんな言葉よりも雄弁に人生の素晴らしさを教えてくれる。
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取材:にしかわ花 撮影:FITNESS LOVE編集部
『IRONMAN』『FITNESS LOVE』『月刊ボディビルディング』寄稿。広告・コピーライティング・SNS運用も行うマルチライター。ジュラシックアカデミーでボディメイクに奮闘している。