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【筋肉超人伝説】左上半身の筋肉の多くが麻痺してもボディビル全日本優勝を果たした”不屈の男”谷野義弘の復活劇とは(後編)

左上半身の主要な筋肉の麻痺というボディビルダーにとっては致命的な怪我を負ってから3年、現在も完治しているとは言えない状況にある谷野義弘。しかし彼は今年、復活後2年目にして、2000年以来となる日本選手権の優勝を果たす。この勝利には、筋肉の発達や仕上がりだけではない、ボディビルという競技のありとあらゆる面を研究し精進してきた、長年の彼の取り組みの成果が集約されており、今年の国内コンテスト・シーズンを締めくくるに相応しい感動を、見る者に与えた。
ただし、国際大会を含めた今シーズンの彼の戦いはまだ残っている。そう、4年毎に行われ、前回の釜山開催よりボディビルも参加しているアジアンゲームズだ。別名アジアオリンピックと呼ばれるこの大会は、国際オリンピック委員会の管理の下で、厳しいドーピングチェックを経る大会なだけに、日本選手の活躍が大いに期待できる大会である。
しかも谷野選手は、前回すでに銀メダルを獲得しているだけに、その活躍に寄せられる期待は非常に大きい。果たして彼は、この大舞台でどのように戦うつもりなか!? 2度目の日本選手権優勝にまつわる話も含めて聞いていきたい。
(本内容は月刊ボディビルディング2007年2月号「特別インタビュー谷野義弘」から修正引用)
取材:月刊ボディビルディング編集部 撮影:アイアンマン編集部

2006ミスター日本


◆失っていた目標
ー    それは怪我をする前から思っていたの
ですか?
谷野    そう。 もともとね、前回の釜山のアジアンゲームズのときで38歳だったんで、このときも "今回が最初で最後だろうな"って思っていたんです。だから、どうしてもメダルが欲しくて・・・。で、(結果的に銀メダルを獲得して) ある程度目標を達成できちゃったこともあって、あのあとね、目標がなくなっていたんですよ。
確かに、すでに日本にも輝いているわけですし、ナチュラルビルダーの大会成績的としては、行くところまで行ったという感はありましたよね。
谷野    ところがね、大きな怪我をしたことで、純粋にボディビルに取り組めるようになったんですよ。軽い重さでリハビリしているときに、何かのタイトルを獲る!というよりも、もう一度ステージに立ちたいなという気持ちが凄く強くなっていったんですね。だからね、メンタル的には生まれ変わりました。
ー    では、怪我がなかったら・・・。
谷野    ・・・燃え尽きていたかもしれませんね。

えぐりこまれるくらい鍛え上げられた上腕三頭筋の造形は、谷野選手の特徴でもある。

谷野選手の腹筋は、防弾ベストのように見えるくらい左右対称であり、”防弾腹筋と呼ばれていた。

ー    回復のメドが立ったときから日本クラス別までは期間が短かったわけですが、その後日本選手権までは、ある程度期間がありました。この間にも、トレーニングでの刺激に対して、身体からのフィードバックは継続的に あったのですか?
谷野    もちろん!    毎日毎日ですよ!    胸をやれば胸は激痛。次の日の背中のトレーニングで、ラットマシンに手を伸ばすのも大変なくらい。ほんとにボディビルを始めた頃の心者のときに体験した激痛があるんです。背中は背中で筋肉痛が凄くくるようになったし、肩がね・・・三角筋が物凄い筋肉痛になることって、あんまりないじゃないですか。それが治り始めてから、毎回毎回激痛ですよ。
ー    それは両肩とも?
谷野    両肩ですね。
ー    麻痺していたのは左半身なのに、右の
肩も筋肉痛になるんですね。
谷野    それは当然だと思いますよ。だって
方麻痺していれば、重いものなんて挙げられないですからね。
ー    あ、なるほど。
谷野    まだ左右差はかなりありますけど、そこそこの重さが扱えるようにはなってきているんです。ボディビルをやっていて、トレーニング中に何が楽しいかと言ったら、重さを扱えるようになるのも楽しいですけど、パンプ感が得られるというのも楽しい。重さに対してきちっとトレーニングできたときの筋肉の張り!    何しろ、3年間というものパンプ感がゼロでしたからね。それがね、背中をやったら、脇の下を押してくるように背中が張ってくるわけですから、楽しいですね。
ー    しかも、リハビリ中には、怪我をする 以前よりも良くなった部位もありました。
谷野    リハビリ中は暗い日々でしたが、恩恵を受けた部位もありました。腹筋と脚がそうです。特に、腹筋は極めましたね。1回の腹筋でトータル10回そこそこを、それこそ3セットくらいしかやらないんですけど、6日間筋肉痛がきましたからね。


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