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石川県の走り幅跳び選手から筋肉美で全国区のビキニ選手へと変貌を遂げた永江仁美「ライバルは自分」

永江仁美選手の仕上がった筋肉美

ビキニフィットネスにおいて、石川県から全国へと花開いた、昨年のオールジャパン選手権35歳未満163㎝超級2位・永江仁美選手が、今日に至るまでにどのような軌跡を歩んできたのか。今回は、その一部始終を紹介するとともに、オールジャパン選手権などの活躍をフォトギャラリー【2ページ目】で見てみよう。

取材・文:月刊ボディビルディング編集部 撮影:中島康介

「過去の自分を超えていきたい、過去の自分がライバルだと思って取り組んでいます」

私は中学生から陸上競技の走り幅跳びを始め、補強でサーキットトレーニングや自重トレーニングをするようになり、ウエイトトレーニング自体は高校生になってからです。そのときにインターハイを目指して取り組んでいましたが、私自身が「知識の無い努力家」のようで、疲労骨折をしたり、陸上競技のために間違った減量方法をしてしまい入院の手前までいったことも。その後も陸上を続けるために体育大学に入学したのですが、自分と競技に向き合えず、心体のバランスが取れず目的を見失ってしまい、部に所属することはありませんでした。
その後はトレーニングとはかけ離れた生活を送っていたのですが、あるとき私は脚の足趾の腱を断裂してしまいました。「もう走れないかもしれない」と感じたときに、「治ったら必ずもう一度陸上競技をしよう」と思い、もういいやと思っていたことも、少しでも生活が楽しくなるのなら挑戦しようと決心したきっかけにもなり、そこからリハビリも兼ねて県のスポーツセンターで、走る基本練習やプライオメトリックトレーニングを行い、連動系を意識したハイクリーンやウエイトトレーニングでの練習も始めました。
当時、プールの監視員のアルバイトをしていて、そこの救護スタッフの方が、ビキニフィットネス競技に出会わせてくれました。「あなたの骨格はビキニに向いていそうだから、私のジムに来たらトレーニングを教えるよ」と言っていただき、最初は面白そうだなという気持ちでそのジムに行ってみました。それが2019年のことです。翌年陸上競技の県選手権を控えていたので、ビキニ選手と両立して身体づくりを始めていきました。
昨年はビキニフィットネスとフィットモデル合わせて7大会に出ましたが、私自身まだまだフィットネス競技には初心者だと感じました。カテゴリーにあった身体を目指していかなければいけない部分で、自分に迷いがあったり、苦しくて辛い日もありました。グランドチャンピオンシップスまで出ることはできましたが、そこで心と身体の疲れが出てしまっていた気がします。トップ選手と並び、線が細いなと感じましたし、アウトラインの更なる強化、丸みを出すために力みのないポージングが必要だと感じていました。
また、肩幅がそんなに広くなく撫で肩タイプなので、幅を広くすることと、殿部のラインを大きくしないといけないと思いました。大会後のフィードバックで、「質感や張り感は良いけど、アスリートっぽい身体だね」と言われました。つまり、筋肉の密度感や大きさはあるのですが、腕脚の長さもあって、線が細く真っすぐに見えることだと思います。
私は、できないことができるようになったことへの幸福感がすごく強くて、過去の自分を超えていきたい、過去の自分がライバルだと思って取り組んでいます。自分がいかに弱いかをしっかり自分自身と向き合い見つめて、そこを乗り越えていけるかが大事だと思います。
現在の私のトレーニングですが、肩・下半身・背中・胸上部&上腕三頭筋という4分割で取り組んでいますが、最近は殿部だけの日というのも取り入れています。身体づくりを始めた当初は、重量を求めてがむしゃらにやっていましたが、今は対象筋にしっかり入るフォームを意識して、それができる上での重量の選択。けれど重量は伸ばしていく、1レップごとに意識して取り組んでいます。
基本1回のトレーニングメニューにたくさんの種目を詰めているので、私自身めちゃくちゃきつくて、減量中のトレーニングは本当に苦しくて泣きながらやっていた日もありましたね(笑)。でも、減量中はありがたいことに、主人が私が食べている減量食を美味しいと言って食べてくれて、主人も槍投げをやっているので、私が食べているものの量を変えてしっかりご飯を食べて、体重を落とすことなく健康になったと言ってくれたので良かったです!

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