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「ボディビルに打ち込むために仕事の環境を変えた」スーパー筋肉女子阿部優花

 

その圧倒的な筋量で数年前から注目を集めていたものの、これまでなかなか突き抜けることができなかった阿部優花選手。しかし、昨年は東京選手権優勝、そして日本選手権では決勝に初進出と自身の壁を突破した感がある。今シーズンはさらなる飛躍が期待される阿部選手にこれまでの道のりと今後の抱負を聞いた。(IRONMAN2019年7月号から引用)

取材・文:藤本かずまさ 撮影:t.SAKUMA、中島康介(大会写真)

目指すは世界選手権のステージ

――昨年は東京選手権優勝、日本選手権決勝進出と飛躍の年になったと思います。2017年から2018年にかけてトレーニングや調整方法で変えた部分があったのですか。
阿部 それまでは仕事とボディビルを両立させるのが難しい環境にいたんです。大学病院で働いていたんですが、もっと真剣にボディビルに打ち込んだらどうなるんだろう?と思い実験的に環境を変えてみました。
――ご職業は看護師さんだと伺いました。
阿部 職業は看護師のままなんですが、常勤でなく派遣という形態に変えたんです。トレーニングにかけられる時間や生活のリズムが整って、昨年は疲労を溜めることなくシーズンを終えられました。
――大きな決断だったと思います。
阿部 看護師として常勤で働くと、ある程度の収入は得られるんです。派遣になって年収がかなり減りました。でも、トレーニング時間は確保できるようになりました。夜勤もなくなり、健康的な生活を送ることができました。
――以前はバルクはあるものの仕上りの甘さを指摘されることが多かったです。
阿部 そうなんです。私は看護学校を卒業して看護師になってすぐに競技に出るようになったんですが、「看護師としてしっかりと働いていきたい」「ボディビルにも打ち込みたい」、そのどっちつかずの状態でした。今年で大会に出るようになって8年目になるんですが、ここにきてようやく、このくらいの休みがあって、このくらいの収入があれば成果が出せるという自分のペースが分かってきました。今年は常勤に戻って夜勤もやるようにしたんですが、周囲の理解を得られている環境で働いています。
――このままではダメだと思ったきっかけがあったのですか。
阿部 そういう気持ちはずっとありました。私は女子選手の中では若いほうだと言われ続けてきました。まだまだこの先も競技人生があると。でも、競技だけを長く続けていくつもりはないんです。やはり結婚もしたいし、子どももほしい。人生の中でまだやっていないことがたくさんあります。
競技では、世界選手権を目指しています。そこまでは絶対にたどりつきたいです。かといって、何十年も続ける気はありません。これは自分の中で何度も考えました。
――やるならやると決めて、集中して、パッと輝いて…と。
阿部 そうです。そして、一昨年に「だったら中途半端なことはやらずに、環境を変えよう」と思ったんです。
――患者さんから「何かスポーツをやっているんですか?」って聞かれません?
阿部 ボディビルをやっていることは隠しているので、全くバレていません。
――いや、隠しきれていないと思います(笑)。
阿部 「何かスポーツをやっているんですか?」と聞かれたときは「マラソンをやっています」って答えるようにしています。
――もうちょっとマシなウソがあるでしょう(笑)。
阿部 (笑)。でも、女性がボディビルをやるということに対して偏見を感じることがあるんです。何て言うか…、変に冷やかされるくらいなら自分からは言わないほうがいいか、と思って。
――そもそも、ボディビルを始めたきっかけは何だったんでしょう。
阿部 テレビで女子ボディビルを取り上げたドキュメント番組をたまたま見たんです。かっこいいな、と思いました。中学校のころなので、15〜16年ほど前のことですね。
――ただ、自分がやるとなると、一歩踏み込む勇気が必要になるのではないでしょうか。
阿部 迷いはなかったです。最初は自宅でビリーズブートキャンプをやるところから始めました。高校を卒業して看護学校に入ってからは、自分でダンベルなどを買って自宅でトレーニングをやっていました。そして看護学校の近くのジムに通うようになり、大会に出たいと思うようになりました。当時は西本朱希さんが日本選手権で優勝されていたころで、「いつか西本さんと戦うんだ」と思いながらトレーニングしていました。
――デビュー戦は?
阿部 2012年のミス宮城です。私は実家が宮城なんです。出場者が私1人だけだったので…。
――結果は優勝。
阿部 はい。日本選手権出場のクオリファイは獲得したんですが、まだ筋量も足らなかったので、その年は出なかったです。
――上京したのは?
阿部 3年前です。
――その年に東京選手権で4位になられています。仙台にいたころに現在の筋量のベースは築けていたのでしょうか。
阿部 上半身だけは大きかったです。また、東京に出てきてからのトレーニングでは、力任せに重たいものを持つようにしていました。「より重たいものを」という気持ちで取り組んでいました。種目はビッグ3が中心でした。
――力は強いほうだった?
阿部 強かったです。今はやらないですが、以前はトップサイドデッドリフトは220㎏、スクワットはハーフですが160㎏でメインセットを組んでいました。重たいものを扱えば体はよくなると信じてやっていました(笑)。
――食事もたくさん取っていたのですか?
阿部 唐揚げを1㎏食べて、そのあとにサーティーワンのダブルのアイスクリームを2つ、とか(苦笑)。オフシーズンの間で一気に15㎏ほど体重が増えていました。
――昨年は仕上がりもよかったかと思います。減量で工夫したことはありますか。
阿部 オフシーズンに体重を乗せないようにしました。なぜか、急に食への欲求が湧かなくなったんです。仕事のストレスが軽減されたからかもしれません。
――トレーニングはどのように進めているのですか。
阿部 5分割で、中重量で行うミディアムフェーズ、低重量で行うライトフェーズを週ごとに交互にやっています。これは今年に入ってからやっているのですが、アウトラインが改善されたような気がします。サプリメントも今は細かく摂っています。そのためか、トレーニングで疲れを溜めることがなくなりました。
――今年の初戦はどの大会になるのですか。
阿部 まだ考え中なのですが、ジャパンオープンになると思います。そして、日本クラス別選手権、日本選手権という予定です。
――昨年に初めて日本選手権のファイナリストになり、次の目標としては表彰台というものが出てくると思います。
阿部 自分の中では「まだ優勝はできないだろうな」という気持ちがあったのですが、今は優勝したいと思っています。私のもともとの目標は世界選手権のステージです。世界選手権を目指しているのに、「まだ優勝は…」なんて躊躇している場合ではないです。自分の目標をしっかりと把握した上で取り組んでいきたいです。
――目標が世界選手権になるのならば、その選考を兼ねる日本クラス別選手権が阿部選手にとっては最も重要な舞台になるかもしれません。
阿部 そう思っています。日本クラス別選手権でいい結果を残せば、日本選手権の結果もついてくるのではと思っています。
――今後、世界選手権で納得のいく成績を収めたら?
阿部 そこでスパッと引退すると思います。納得できなかったとしても、この競技を続けるのは35歳までだと思っています。
――昨年に選手としてワンランク上に昇ったという実感は?阿部 ありません。世界選手権を目標にしているので、まだまだ道半ばです。


あべ・ゆか
1988 年11月7日生まれ。宮城県石巻市出身。
身長161㎝、体重55kg(オン)65kg(オフ)。
主な戦績:
2012年宮城県ボディビル選手権一般女子の部優勝、日本女子チャレンジカップ4位
2016年関東クラス別選手権158㎝超級優勝、関東選手権優勝、東京選手権4位
2017年東京選手権3位
2018年東京選手権優勝、日本選手権7位


執筆者:藤本かずまさ
IRONMAN等を中心にトレーニング系メディア、書籍で執筆・編集活動を展開中。好きな言葉は「血中アミノ酸濃度」「同化作用」。株式会社プッシュアップ代表。

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