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マッスル北村エピソード:大量のおじやを作って全部食べるまで寝ない!?

没後20年というのに全く色あせない北村克己の思い出。友人であるゴールドジム公認パーソナルトレーナー渡辺実さんの話から見えてくる人間・北村克己とは?

取材・文:藤本かずまさ

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渡辺実

初めて会ったのは僕が大学1年生、19歳のときです。多分、1980年くらいだと思います。僕はジュニアのパワーリフティングで優勝して、選手として勢いがあったんです。ところが健康体力研究所の人が「もっとすごい子が東大にいる」と。それが北村でした。どんなやつだろう、会ってみたいなと思っていたら、実際にジム(池袋・ユニコーン)に彼が来たんです。そのときに、北村とは同じ学年であることを知りました。彼は二浪していたから年上なんですが、学年が同じだったので仲良くなりました。彼のあだ名はポパイに出てくる「ブルート」で、いつも「実君」「ブルート」と呼び合っていました。

当時はメールとかもなかったんですが、朝6時くらいに突然、電話がかかってきたんです。「何だよブルート」って電話に出たら、大量のおじやを作って、それを全部食べるまで寝ないと決めたらしいんですよ。「頑張って食べたんだけど、食べ終わったらもう朝ご飯の時間なんだよ。実君、どうしたらいいと思う?」って。「知らねえよ!」って言って電話を切りました(笑)。

「ケンカのプロ事件」というのもありました。僕らは池袋のサンシャインの横の公園で懸垂をやっていたんです。そしたら、女の子が「助けてください!」ってやってきた。友達と一緒にいたらヤンキーみたいなのに絡まれて、ひとりだけ逃げてきたと。僕が臨戦態勢を整えようとしたら、ブルートが「ここは僕に任せて」って。そして、ヤンキーたちのところに行って、迫力のない声で「やめろ~! 僕はケンカのプロなんだぞ~」と。そのあまりの面白さにヤンキーたちも呆れて、どこかに行っちゃいました。僕が「ケンカのプロって何だよ!」って言ったら「実君、ごめんね」と。その「実君、ごめんね」が彼の口癖でもありました。

社会人になってからはしばらく会っていなかったんですが、97年に大塚のゴールドジムができて久々に会ったときに、お互いに社会人だから僕は「北村さん」って敬語で話しかけたんです。そしたら「やめてよ、『ブルート』でいいよ。僕も『実君』って呼ぶから」と。そこからまた「ブルート」「実君」と呼び合うようになりました。その後、彼が亡くなる少し前に、彼の活動資金を作るためのTシャツを制作したんです。今で言うクラウドファンディングみたいなものですね。そのTシャツ用に「僕、職業的喧嘩師」というロゴを作ろうとしたら「そんなの作らないでくれ~」って(苦笑)。

ブルートは確かに変わった人間ではありましたが、すごく純粋な人間でした。筋肉を大きくすることへの執念もすさまじかったです。学生時代のブルートとは楽しい思い出しかないです。

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▶命あるものは全て愛し、 そして愛されていたマッスル北村


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