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マッスル北村「限界に挑戦した男」[全文掲載]②

希望の地、アメリカ

1999年は、北村にとって新たな挑戦の場を見つけた記念すべき年となった。WABBAアジアパシフィック大会の直後、ついにボディビルの本場であるアメリカ・カリフォルニアの地を踏んだ彼は、NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズのヘビー級で3位に入る。アマチュアコンテストとはいえ、当時、日本人がアメリカの重量級で上位入賞するのは前例のない快挙だった。

北村はこのときの渡米を振り返り「希望の地、アメリカ」と題して本誌にこんな一文を綴っている。「無限の可能性を信じてやまぬボディビルの歴史を築いてきた偉大な魂の軌跡がアメリカにはあった。その息吹に触れたとき、ボク自身の心の底から、鍛え続けることの喜びとともに、無限のエネルギーが湧出してくるのを感じた。このエネルギーを〝希望〟と呼ばずにはいられないボクの心をどうか察していただきたい」。

ボディビルのメッカを存分に満喫した彼は「これからはトレーニングに本腰を入れ、アメリカのコンテストで自分がどこまで通用するのか挑戦してみたい」と意気込みを語っていた。

北村克己のトレーニングや食事シーンを収めた「世紀末バルクアップ1999」が話題になったのもこのころだった。大切なことをひとつも漏らさず伝えたいという思いから北村自らが徹夜して編集した。圧倒されるほどの高重量トレーニングはもちろん、生の鶏肉をシェイクして飲んだり、牛乳瓶の底のようなメガネをかけて登場してくるなど、ありのままを紹介した映像は衝撃的で、多くのボディビルファンの度肝を抜いた。

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突然の訃報

2000年5月末からNPCトーナメント・オブ・チャンピオンズ(8月26日)への再チャレンジに向けて減量を開始した北村だが、調整も終盤にさしかかった8月3日、減量による低血糖で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。突然の訃報に、誰もがにわかには信じられなかった。「本気になった北村克己がまたコンテストで見られる!」と、多くの人が期待に胸を膨らませていた矢先の出来事だった。

亡くなる4日前の7月30日に行われた群馬県GPCコンテストでのゲストポージングが彼の最後の仕事になった。写真でも紹介されているとおり、前年と比較してもはるかに筋量アップしているのが分かる。しかも、パンプアップなしでステージに上がったらしく、それでもこの迫力である。

もし、この筋量を残したまま順調に調整が進んでいたとしたら、ボディビルダーとして過去最高の北村克己が見られたのは間違いないだろう。実際、亡くなる1週間前、編集部に電話をかけてきてくれた彼は最後にこう語っていた。「もう本当に感謝。みんなのおかげで今年はいい状態で大会に出られそう!」。普段は謙遜する彼だが、このときは少しだけ自信を覗かせていたのが印象的だった。

ちなみに、5月30日から8月1日にかけて撮影されたコンテストに向けての記録映像は、後に編集されて「限界への挑戦」というタイトルで発売されている。トレーニングや食事はもちろん、高脂肪ダイエットの解説や、ダイエット法の切り替えによる身体の変化など貴重な記録を残している。

また、最後となった群馬でのゲストポーズも収録されている。ちなみにこのとき、迫力あるポージングで会場を沸かせた北村だが、実は群馬に向かう途中の新幹線で意識を失い、病院で点滴を受けていた。それでも「まだ間に合うかもしれない」と、点滴を引きちぎって会場に向かったという。

彼の性格からして、自分を待ってくれている人たちがいると思うと、いても立ってもいられなかったのだろう。時間ギリギリに会場入りした彼は、まるで何事もなかったかのように笑顔でステージに登場し、集まったファンを喜ばせた。自分の体調を顧みない行動の善し悪しは別として、どんな状況であっても全力を尽くそうとする彼のひたむきな姿は、やはり多くの人を魅了するのかもしれない。

おわりに

彼が生きていれば今年で還暦、一体どんな人生を歩んだだろうか。生前、彼は「ボディビルだけでも道は長い。でも、一生涯ただのボディビルダーだけで終わってしまわないように、ひとつ先の夢、目的を持っていきたい」と語っている。知的限界、精神的限界、そして肉体的限界を極めたかった彼の終着点はどこだろうか。

記録と記憶を頼りに彼の歩んできた道のりを駆け足で紹介したが、その激動の人生に改めて圧倒されながらも、今さら寂しい感情も抑えられずにいる。

そんなとき、ミスター・アジアに向けての過酷な減量を綴った一文が目にとまった。

「たとえこの命果てても、不完全燃焼という後悔だけは残したくなかった。己の肉体と精神の限界点を見極めたならば、あとは天命にまかせるのみであり、ジャッジが決めることである」。彼にとってはコンテストの勝敗よりも、まず己に克つことが重要であり、心の中に巣くう弱心に負けることが何よりも屈辱だったようだ。

北村克己を理解する上で、もうひとつ紹介しておきたい一文がある。無類の読書家だった彼のお気に入りはリチャード・バックの「かもめのジョナサン」だった。その中の有名なフレーズを引用しながらこう綴っている。

「今でもその一節をときおり口ずさむ。『重要なのは食べることではなく飛ぶことだ。いかに速く飛ぶかということだ』。当時のボクの心の中を自由の風が吹き荒れた。ただし、それは社会や体制からの自由を意味しない。自己の心に潜む限界意識からの自由だった。あらゆる自己の限界に挑みたいという強い希求であった。自分の中に潜む無限の可能性を信じていた」。彼の人生は、自分の限界を見極めたら、次は必ずそれを乗り越えていくことの繰り返しだった。

しかし、不幸にも、自分の弱さを克服した代償として限界を超えてしまった。それでも、妥協することなく己に打ち克った彼は、もしかしたら無念という思いよりも、この上ない満足感を抱いて旅立ったのかもしれない。

最後に、どうか皆さんには、北村克己という全ての限界を超えて伝説になったボディビルダーがいたということを次の世代に伝えていただければと切に願っている。

続けてお読みください。
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