人呼んで「笑顔で人を救う福島の会津っ娘」。東京女子プロレスの遠藤有栖さんは、入場からいつも笑顔だ。しかし自力初勝利はデビューから1年後という、苦しい時期も経験している。その中で、プロレスラーになるきっかけを作った憧れの人、そしてデビューしてすぐにシングルマッチで戦った先輩……この二人の身体に近づくためにトレーニングを積んだ。そんな有栖さんへのインタビュー前編は、学生時代のきつい練習からプロレスラーになるまでについて聞いた。

学生時代の厳しい練習を語った遠藤有栖さん(撮影・橋場了吾)
筋肉がつき過ぎて「これはモテるのか?モテないのか?」と自問自答
有栖さんは福島県会津若松市出身。学生時代はバスケットボールに打ち込んだ。しかし当時は、身体を鍛える、大きくなりたい、という気持ちはなかった。
「バスケは13~4年やっていたんですが、そのときは別に大きくなりたいという気持ちはありませんでした。小学校のときは背が高い方だったんですが、150cmで止まってしまって、中学校からは(周りの友達に)どんどん追い抜かれて……バスケでセンターをやっていたのに、いつの間にかポジションが変わっていました(笑)。身長を伸ばす工夫は、強いていえば疲労した筋肉を整体でほぐしてもらって……いつでも動ける準備はしていましたね。まあ、お母さんは大きめでお父さんが小さめなので、お父さんの遺伝ですね(笑)」
そのバスケットボールの練習が厳しかった。
「会津若松には飯盛山という階段(183段)が有名な山があるんですが、階段ダッシュで何往復もしました。(バスケ部が)体育館を使える日が限られているので、外で練習があるときは階段ダッシュばかりで……みんな、泣きながら走っていました(笑)。それで自然と筋肉が……筋肉はついていた方なんですが、高校生になると(自分の中の)女の子が出てくるので(笑)、ちょっと気になるようになりましたね。筋肉がつき過ぎちゃって、『これはモテるのか?モテないのか?』みたいな。でも、練習するから(筋肉がつくのが)止まらないんですよ」
練習が厳しい分、食欲がすごかったという。
「動いた分だけ食べちゃっていましたね。今よりも全然…例えばですけど、〇〇系ラーメン大盛りを2杯、さらに友達の分も食べちゃう。でも、階段ダッシュ以外にも、ディフェンスの体勢のまま何十分もずっとキープしている練習や、オフェンスのフェイントに延々ついていって間に合わなかったらやり直しみたいな練習をしていたので、体重は増えませんでしたね」
部活を引退した後は、高校生ライフを楽しんだ時期もあったというが、運動をしていない期間が1年ほど経つと筋肉は落ちてしまっていた。しかし、有栖さんの父親が勝手にオーディション書類を送ってしまい、武藤敬司さんが率いたプロレス団体・WRESTLE-1の、公式サポーター・Cheer♡1の一員として活動することになる。
「筋肉がなくなったうえに、ちょっとダイエットもしたんですよ。ガリガリになっちゃって『あ、これはまずい』と思って、たくさん食べて戻しました。(10代後半は)体重がすぐ変わっちゃうんですよ。Cheer♡1に入ってからはダンスの練習があったんですけど、バスケの練習を身体が覚えていたので大丈夫でした。ランニングは今でも好きですし。ただ、ダンス自体はほぼ初だったので、映像を見ながら練習していたので全部反転で覚えてしまい……それを直す方が大変でした(笑)」
才木玲佳さんに憧れて、いい身体を目指す我慢強さがついた

バランス感覚が必要な磐梯山(ステップ式ミサイルキック)を放つ(©東京女子プロレス)
2021年1月4日、有栖さんは東京女子プロレスでデビューする。ダンスグループからプロレスラーへ転身した裏には、憧れの人の存在があった。
「WRESTLE-1がなくなるってときにどうしようかと……そのときに才木(玲佳)さんの試合を見て『カッコいい』と思って。とにかく身体がすごすぎて、どうやって作り上げたんだろうと。これは後に才木さんに直接聞いたんですが、やっぱり食事制限もされていて。私は食事制限が一番苦手で、やっぱり『そこまでの気持ちがないとああはならないよな』と思いました」
才木さんは、有栖さんとの直接の被りはないがCheer♡1の先輩でもあり、150cmという小柄ながら見事にビルドアップされた身体で活躍。2022年5月、才木さんの引退セレモニー前に行われたエキシビジョンマッチの相手に有栖さんが選ばれ、キャメルクラッチを継承した。
「才木さんに憧れなければ、いい身体を目指す我慢強さはなかったと思いますね。昔の私なら『絶対できないじゃん』って思っていますよ。でも、プロレスラーになるからには、あの身体を目指したいと。ただ、食事制限はしてみたんですけどストレスしか溜まらなくて……。多分このやり方は私に向かないと思って『食べて鍛えよう』という方向になりました」
(15日配信の後編へ続く)
執筆者:橋場了吾
札幌市出身。ラジオ局で社会人としてのキャリアをスタートさせ、
イベントプロデュースの傍ら、プロレスラー、タレント、ミュージシャンなどのインタビューを行う。










