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「ぼくの先生はすごいんだ」日本最大級の筋肉を持つ長野県の教師が見せる普段の姿

風光明媚な場所に立てられた長野県松本養護学校。そこが‟不屈のファイナリスト”林英二選手の職場である。現在の役職は中学部の部長。幾度となく予選落ちを経験しながらも、諦めることなく日本選手権に挑戦。その先で出会えたのは、たくさんの生徒たちの笑顔だった。(IRONMAN2014年7月号から引用)

聞き手:藤本かずまさ 撮影:t.SAKUMA

すべては子どもたちの‟笑顔”のために

IM 2年前に松本養護学校に赴任されたとお聞きしました。
林 そうです。それまでは小学校に勤務していました。小学校の先生を3校で勤めて、4校目でここに来ました。そのあと小学校に行って、そしてまた今の養護学校に戻ってきたんです。
IM 教員になろうと思ったキッカケは?
林 「熱中時代」とか「われら青春」とか学園もののドラマの影響です。先生という職業に憧れがありました。
IM 中学部の部長になられたのは?
林 今年の4月です。それまでは普通にクラスの担任をしていました。4月の頭は本当に忙しくて、トレーニングできない日が多かったんです。普通の担任をやっていたときは、毎年の行事がだいたい決まっていたので、気持ち的には余裕を持って取り組めたんです。でも部長になると、初めての仕事が次からつぎへと入ってくる。他の先生方の話を聞いたり、相談に乗ったりして、それが終わってから、午後7時くらいになってようやく自分の仕事に取りかかれるという日々が続いたんです。
IM社会人としてキャリアを積んでいくと、「時間との戦い」は必ずぶつかるテーマなのかもしれません。
林 でも、山田(幸浩)さんの記事(本誌4月号)を読んでも、多忙な環境のなかでお仕事をされて、そのなかで練習に取り組んで、あれだけの結果を残されている。私もここで腐ってはいけないと。今は少しずつペースがつかめるようになって、気持ち的な余裕を持って仕事にも練習にも向き合えるようになってきました。今はできるだけ時間を短縮できるよう、重量にはあまりこだわらず、“効かせる”ことをメインに考えるようにしています。昔の私は1日でも練習できない日があるとネガティブな気持ちなっていたんです。でも、さすがにそんな気持ちでは練習できない。仕事が終わるのが午後10時近くなることも多いので、そういうときは割り切って休養しようと。今できることをしっかりとやる。トレーニングに限らず、仕事でもそういう姿勢で日々やっていければと思っています。
IM ボディビルとの出会いは?
林 兄といとこがボディビルダーだったんです。その影響で、トレーニングというものは常に身近にあって、子どものころから「自分もやってみたいな」という興味を持っていました。高校、大学で柔道をやっていたので、トレーニング自体は補強としてやってはいたんです。柔道は社会人になってからも続けていたのですが、時間的なことを考えたときに、1人でできる競技のほうがいいかなと思い、器具を購入して自宅でトレーニングをやるようになりました。そこからいろんな種目をやりたくなってきて、ジムを探しているうちにここ(松本トレーニングセンター)を見つけました。教員を始めて3年目くらいのころですから、20年以上お世話になっています。
IM すでにそのころからコンテストへの出場を考えていたのでしょうか。
林 そういう意識はなかったんです。ですが、私は1993年の6月に入会したんですけど、当時のコーチに8月に開催される長野県大会への出場を勧められたんです。そして試しに出させていただいたら、優勝しまして。
IM 入会2カ月後に優勝ですか!
林 今ほど長野県大会のレベルが高い時代ではなかったですから。それまでの自宅でやっていた練習が、多少は生きていたのかもしれません。また、当時の長野県大会にはあまり絞った選手がおらず、大きさで勝負する選手が多かった。自分は兄が減量している姿を見ていたので“絞った体”というもののイメージは頭のなかにあったんです。そこで優勝したので、「次は北信越大会に出てみないか」という話になって、1年間練習して挑戦したら4位になりました。そのときに「これは(優勝が)とれるかな」という感触がつかめたんです。コーチからも「どうせなら、もっと上を目指したほうがいい」とアドバイスされて、翌年にはジャパンオープンに挑戦しました。こんな田舎のジムからエントリーしても決勝にいくのは無理だろうと思っていたら、ここで10位になった。これは自分でも驚きました。翌年にまたジャパンオープンに出て9位。そしてその翌年には優勝できました。ボディビルがおもしろくなってきたのはこのころからです。
IM ステップアップできているという感触があったのですね。
林 でも、あるときから全日本に挑戦してもなかなか決勝に残れず、ここが限界かなと思った時期もありました。
IM 日本選手権で何度も予選落ちを経験しながらも食らいついていった、その理由はどこにあったのでしょうか。
林 いつも紙一重のところでの予選落ちだったので、「このまま終わりたくない」という思いがあったんです。'01年に決勝に残ることができて自信がついたのですが、次の年からは予選落ちが続きました。でも、私に何票かは入れてくださる審査員の方もいる。「こうやって評価してくださる人もいるんだから」と自分に言い聞かせながら挑戦しつづけて、'05年に8位に入れました。翌年はもっと上の順位を目指そうと思っていたら、また予選落ち(苦笑)。このときはショックでした。'09年からは続けて決勝に残っているのですが、いつもギリギリという感じです。今年は納得のいく練習ができているとはいえないですけど、できることはやって準備を進めていきたいと思います。
IM ボディビルには明確な答えがないからこそ、諦めずに継続できた?
林 「なんでこんな苦しいことをしているんだろう」と思うことはあります。勝ったからといって賞金がもらえるわけでもない。正直、ボディビルが楽しいと思えない時期もありました。「もうやめたい」と思ったことも何度もあります。でも、なぜこんなことをやっているのかといえば、やはりトレーニングが好きだからだと思います。
IM 同年代の谷野義弘選手や近藤賢司選手が決勝に残れなかったことについて、思うところはありましたか。
林 それはありましたね…。自分が決勝に残っているのは何かの間違いなんじゃないかって(苦笑)。谷野さんに勝ったという思いは全然ないです。不思議な感じがしました。合戸(孝二)さん、須江(正尋)さんも同年代で、まだまだやっていらっしゃる。合戸さんの年齢まで3、4年あるのだから、まだ私にも伸び代があるのかな、とか。同年代の方々の活躍は励みになっています。
IM 食事面での苦労も多いですよね?
林 生徒の前でプロテインを飲むようなことはできませんので、タイミングがずれたり、取りたいときに取れなかったり、朝ご飯から給食までの間に何も口にできなかったり。そういう苦労はあります。夏休みがあるので、そこで食事はある程度調整して、新学期から給食の量を少しずつ減らしつつ、自宅から持っていったブロッコリーやささみを食べています。給食指導があるので、減量期でも給食を食べないわけにはいかないんです。でも、子どもは「先生は体が大きいから」と気を利かせて大盛りにしてくれる(苦笑)。また、減量期は子どもが残した給食をもったいなく感じて、「私が食べられないのに残すなんて」と変な怒りが込み上げてくることもあります。でも、子どもにはなんの責任もない。「今の私は試されているんだ」「好きでやっていることなので、人に当たってはいけない」と自分に言い聞かせるようにしています。
IM 授業と授業の間の休み時間にプロテインを取ったりは?
林 養護学校では、登校してから下校するまで、常に生徒の支援をするんです。生徒が下校するまでは休憩らしい休憩がないんです。給食以外で何かを食べるということはありません。一応、学校にはプロテインを持っていっているのですが、ジムに向かう前に飲むくらいです。
IM 職場には、林選手がボディビルダーであることを知らない方も多いそうですね。
林 自分からは「ボディビルをやっています」とはあまり言わないです。「ちょっと鍛えてます」って言う程度です。
IM 「頬がこけてますけど、どうしたんですか?」と言われることは?
林 「みるみるうちに痩せていくけど、どうしたんですか?」ってよく言われます(笑)。でも興味は持っていただいているみたいです。私が取り組んでいるものに対しては、理解してすごく応援してくださっています。ありがたいと思います。
IM 最後の質問です。ボディビルをやっていてよかったと思えた瞬間は?
林 子どもたちが私の体を見て喜んでくれるのはうれしいです。やっていてよかったなって思います。毎朝、いつも私に腕を見せながら「先生、ぼくも筋肉ある?」って言ってくる子どもがいるんです。おたがいに筋肉を見せ合いながら「おお、あるね!」って言い合っています。今日も、他の学校から体験入学にきた子が私の体を見て「腕を触らせて」「胸を触らせて」って。初対面でもコミュニケーションが取れて、笑顔で帰っていってくれました。
IM 筋肉には人を笑顔にさせるパワーがあります。
林 ジャパンオープンで優勝したとき、担任をしていたクラスの子供がお手製の金メダルを作ってくれたんです。まるで自分のことのように喜んで、一生懸命作ってくれたことが本当にうれしくて。それは今も忘れません。子どもたちが「先生みたいになりたい」って言ってくれたり、低学年の子どもたちが背中に乗ってきたり。どこの学校にいっても、筋肉は子どもたちに喜ばれました。言葉を交わさなくても、私という人間を笑顔で受け入れてくれるんです。
IM ミスター日本の予選落ちが続いた時期に諦めていたら、その笑顔とは出会えなかったかもしれません。
林 そうかもしれないです。幸いなことに、保護者にも理解してくださる方が多いんです。コンテストが近い時期にプール参観にいくと、授業が終わっても保護者のみなさんが帰らないんです。誰を待っているだろうと思ったら、「先生、服を脱いでポーズをとってください」って。子どもが「ぼくの先生はすごいんだ」って自慢してくれることもあります。先日も、私がボディビルをやっていることを知らないのに、サインをもらいにきた子どもがいました。こういう体をしているからこそ、子どもたちとすぐ親しくなれることを実感しています。ボディビルをやっていなかったら、今の自分はなかったかもしれません。


林 英二(はやし・えいじ)
1966年12月26日生まれ、大阪府出身。
身長:174㎝
体重:100㎏(オフ)・86㎏(オン)
主なタイトル:
1997 年:ジャパンオープン優勝
2000 年:日本クラス別選手権90㎏級優勝
2005 年:日本選手権8位
2007 年:日本クラス別選手権90㎏級優勝
2012 年:日本選手権10位
2013 年:日本選手権12位
1998年から毎年日本選手権に出場し、幾度となく予選落ちを経験しながらも2009年からは連続で決勝に進出。自ら「私は地味な選手」と語るも、非妥協的な姿勢で体を仕上げてステージに立つその姿は、まさに“不屈のファイナリスト”。レベルの上昇とともに新陳代謝が起こる日本選手権の舞台でいぶし銀のような存在感を発揮している。


執筆者:藤本かずまさ
IRONMAN等を中心にトレーニング系メディア、書籍で執筆・編集活動を展開中。好きな言葉は「血中アミノ酸濃度」「同化作用」。株式会社プッシュアップ代表。

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