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64歳マッスルクレオパトラが作る彫刻のような背中!マッスルコンテストへ挑む

山野内里子選手世界最大級のボディコンテストである「マッスルコンテスト」が2月19日(日)に神奈川・カルッツかわさきで開催される。日本で行われる「マッスルコンテストジャパン」は2019年に初上陸を果たし、2020年にも開催。そして今年、3年ぶりに催されることになった。今大会注目の、ステージでの存在感や気品ある美貌から「マッスルクレオパトラ」と呼ばれる山野内里子選手(64)に意気込みを語ってもらった。2020年のマッスルコンテストジャパンのウーマンズフィジークで惜しくも2位と、プロカードを逃しており、今大会優勝候補として名前が挙がる選手だ。

【写真】マッスルクレオパトラの彫刻のような背中

──現在のウーマンズフィジークは2014年まで女子ボディビルというカテゴリーでした。2008年に女子日本ボディビル選手権でファイナリストとなり、2013年に日本一となった山野内選手ですが、ボディビルとの出会いはいつだったのでしょうか?
山野内 ボディビルと出会ったのは40代半ばでした。身体が変わっていく楽しさに魅了されて、私は熱中していきました。

──ご家族の反応はいかがでしたか?
山野内 息子は思春期だったこともあり、何も言ってはきませんでしたが、嫌がっているのが分かりました。

──以前所属されていたJBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)では、女子ボディビルで日本一に2013年から5度輝きました。
山野内 家族には食事の面で迷惑をかけたのかもしれません。減量期になると味見をしなくなるので、段々と家族が私が作ったものを食べたときに「あれ?」という反応をすることもありました。もちろん揚げ物は一切しなくなるので、「とんかつや唐揚げを食べたい」と言われるとデパ地下に走りました。それでも、毎年自分の身体に変化が現れるのが、ボディビルの醍醐味で、芸術作品を自分の身体で作り上げていく感覚に魅了されていきました。

──マッスルクレオパトラと呼ばれ、JBBFでは優秀な成績を残してきましたが、なぜ連盟を離れたのでしょうか。
山野内 10年以上、第一線で戦ってきたつけで股関節や手首などの怪我を引き起こしてしまいました。手術という選択になりましたが、身体を休めてメンテナンスに専念する決断をし、一度この競技から離れる決断をしました。

──その2年後の2020年にマッスルコンテストTOKYOで競技に戻ってきました。
山野内 競技から離れてからでも、身体を進化することができている実感がありました。そのタイミングでマッスルコンテストが日本で開催されるようになったんです。再び日本一に、そして世界でも結果を残したいと思うようになりました。

──復帰戦のマッスルコンテストTOKYOで優勝、続くマッスルコンテストJAPANでは2位でした。
山野内 マッスルコンテストに出場して改めてこの競技の素晴らしさと、自分がボディビルが大好きなんだと実感しました。

──パーソナルトレーナーの活動もこの時期に始めたと聞きました。
山野内 自立して、自分の脚で人生100年時代の新しい山野内里子の幕開けといった感じでしょうか。パーソナルトレーナーの活動を通して、毎日たくさんの学びと人とのつながりの大切さを日々感じています。今後もさらにパワフルに活動していきます。

──マッスルコンテストTOKYOでは3連覇を達成しました。3年ぶりのマッスルコンテストJAPANでの目標はやはり優勝ですね?
山野内 はい。優勝してプロカードを獲得して海外の大会にも出場したいです。海外にはモンスター級に筋肉が発達した選手たちもいますが、そういった選手たちと並んでみたいです。2012年に世界ボディビル選手権で4位になったときも、国際大会という舞台にとても感動し、そのときの経験が今の自分につながっています。

──最後に肉体を進化させ続ける秘訣を教えてください。
山野内 ボディビルは自分一人ではできません。トレーニングや食事など一人で行っていますが、結局は家族や周りの人たちが協力してくれているから続けることができると思うんです。ボディビル競技を続けていくにおいては、日々感謝を忘れないことと、その感謝に対して結果でお返しできるように努力することが大切です。いくつになっても身体は変えることができます。64歳の私でも進化できるわけですから、皆さんもなりたい自分へと進化する喜びを知ってほしいです。また、応援してくださる皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。

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取材:FITNESS LOVE編集部 撮影:北岡一浩、上村倫代

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