没後20年というのに全く色褪せない北村克己の思い出。友人・知人・関係者に語っていただいた言葉から、人間・北村克己像がはっきりと見えてくる。
文:岡部みつる
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フリーランサー・岡部みつるの証言
1999年アメリカでの大会に出場されたあと、小さな我が家で在米ボディビル仲間が集って「北村さんを囲む会」を開きました。家が狭いので前庭でのBBQです。
トレーニングで遅れた北村さんは、主賓の到着を待ち侘びていた大きな身体をした連中に挨拶を済ませると、手を洗いたいというので屋内へ。そして、前庭へ戻ろうとしたとき玄関脇の犬の写真が張ってあるミニ山小屋に気を留めました。「みつるくん、これはなぁに?」と、実に素朴な感じの声音でした。目を閉じると、今でもその声がはっきりと聞こえます。
「実は、これは……」と話し出したんですが、それは飼っていたゴールデンリトリバーの骨壺でした。大柄な男どもが前庭で腹を空かして待っているので、ごく手短に……と思うボクの気持ちをよそに北村さんは「うん、それでどうなったの?」と、骨肉腫に冒されて、動物実験のためにUCLAで投薬されたことから、前脚を切断したこと、3本足でも穴掘りができること、そして最期には肺に転移し、クリスマスイブに雄叫びを上げて息を引き取ったことまで、こと細かに聞いてくれました!(涙)
前庭のBBQ会場へ戻ったときには「一体どうした?」という腹を空かせた男どもの鋭い視線が集中したことは言うまでもありません。しかし、北村さんにとっては「犬」に関したことは聞かずにはいられなかったんでしょう。
北村さんの愛犬の話も伺いました。ゲストを受けると、いつも車で現地へ赴いていたそうです。そして、用意してもらった宿ではなく連れて行った愛犬と一緒に車中泊をしていたとか。なので、車で一緒に移動できない沖縄のゲストは受けなかったそうです。何でも北村さん以外には全く懐かず、常に行動を共にしてました。善美さんがビッグボックスへ迎えを頼まれると、トレーニングバッグと引き換えにワンちゃんを渡し、北村さんは車には乗らずにワンちゃんと散歩して帰っていました。
極限の肉体について語る北村さんの傍らにはチビが寝そべっています。いつも、自宅へ帰ると、まずするのがワンちゃんとの散歩で石神井公園の池にゴムホースで作った輪っかを投げてはワンちゃんが泳いで取ってくるということを延々と続けていたそうです。
身体を作るのが仕事の北村さんですが、帰宅後はワンちゃんの食事が優先でした。北村家には保護したネコが、多いときには十匹もいたとか。ミミズは道路に出ていると「こんなところにいたら干涸びちゃうよ」とつまみあげては道路脇の土に返していたそうです。
ノース東京へ来ていた盲導犬は、北村さんにだけは心を許していました。犬だけではなく、ネコも愛し、命あるものは全て愛し、そして愛されていたのが北村克己という人でした。
続けてお読みください。
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執筆者 岡部みつる
東京都出身。昭和の終焉に渡米。’93年、米マスキュラーデベロップメント誌のチーフフォトグラファーに。以後、アイアンマン、マッスルマグ、フレックス等各誌に写真を提供。’96年にはMOCVIDEOを設立、コールマン、カトラー等オリンピア級選手のビデオ、約50本を制作。「オリンピアへの道」は12年続け、「オリンピアへ出るよりもこのビデオに出られてうれしい!」と選手が言うほどに。’08年、会社を売却しワイフと愛犬とともに帰国。静岡県の山中に愛犬とワイフの4人暮らし。