没後20年というのに全く色褪せない北村克己の思い出。友人・知人・関係者に語っていただいた言葉から、人間・北村克己像がはっきりと見えてくる。
取材・文:岡部みつる
IFBBプロボディビルダー・飯島ゆりえ
私が初めて会ったのは、サンプレイでかしら。あの子は会員じゃなかったんだけど宮畑(豊)会長や、石井(直方)さんなんかにアドバイスをもらいに来てた。入り口のところにあるソファで「ゆりえさんはすごいねぇ!」って、あのいつもの調子で懐っこく話しかけてきたのは今でも覚えてるわ。
その後、よく電話をもらったけど、特に用事があっての電話じゃないわけ。話し好きで話題が豊富だから「ゆりえさん、トレーニングどう?」っていう会話が、あっちこっちへ行き、いつも必ず1時間以上は話してたかな。
でも、受話器を置くと「何を聞きたかったのかしら?」っていう感じなのよ。もちろん、全然迷惑じゃなかったけど。そんなやり取りの中で「今行ってるジムが閉鎖しそうなんだよ」っていう話が出て「それなら新しくできたゴールドジムへおいでよ! マシンもウエイトも揃ってるから!」って誘う形になったの。ノース東京が開いたばかりのころだから1997年のことね。
私はそのころ、ノース東京で自分のトレーニングもパーソナルもしていたからよく見かけて、ちゃかしたりしていたわ。トレーニングのときにはいつも短パンにタンクトップで、基本的に静かにトレーニングしていた。
あの子のトレーニングは「重量にこだわったもの」で、それは同時に「自己満足するもの」でもあったんじゃないかしら。トレーニングに関して口を挟んだことはなかったけれど、ポージングに関しては「どうにかならないの?」って言ったわ。そしたら「ゆりえさんは(僕も自覚はしてるけど)嫌なところ突くなぁ……」っていう顔してた(笑)。
99年があんまりだったんで「次のときは見るから!」って約束してたんだけど、叶わぬうちに逝っちゃった。ジムで鏡見てポーズしたりする子じゃなかったからね。
それと、減量中にも関わらずお酒飲んだりするのは注意したことがある。そしたら、それが約束だと思ったのかアメリカの大会から帰ってきたら開口一番「僕、お酒飲まなかったよ!」って満面の笑顔で言ってたわね(笑)。
マシンを壊しちゃったり、閉館時間ギリギリまでトレーニングしたりしても、あの子があの笑顔で「ゴメンね、ゴメンね」って言えば、周りの人から許されることを分かってたんじゃないかな。でも、そんな言葉ももう聞くことができないと思うと、やっぱりすごく寂しいわね。
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