コンテスト

結婚したことで筋肉が成長?上昇中の松尾幸作

松尾幸作選手は2019年、悲願の日本ボディビル選手権12位でファイナリストに入った。昨年はさらに8位にまでランクアップし、成長を積み重ねてきた松尾選手に、飛躍の秘密を聞いた。(IRONMAN2018年8月号から引用)

取材・藤本かずまさ 撮影・上村倫代

この数年間で成長できたのは、トレーニングの環境がよくなったこと、結婚したこと、木澤さんと出会ったことが大きな理由

――トレーニングを始めるようになったきっかけからお願いします。
松尾 高校野球の補強で始めたのが最初です。飛距離が伸びたり、ホームランを打てるようになったりと、短期間で実力を伸ばしてくれるトレーニングに魅力を感じました。そして、その世界を極めたいと思い、専門学校に進みました。ボディビルは、ジュニア選手権で優勝したところからスタートしています。
――就職して競技を続けられなくなる人も多いかと思います。
松尾 私はボディビルをやりたいと思って続けてきて、これまで18年間、気持ちが途切れたことがないんです。辞めたいと思ったこともなければ、辞めなければいけない状況になったこともないです。衣食住に「トレーニング」というものが入っています。今、一番怖いのは、この気持ちが途切れることですね。
――ただ、一般企業に勤めながらボディビルを続けるのも大変だと思います。
松尾 周囲に理解していただくことが重要だと思います。運がよかったのか、理解してもらえる会社に就職できたのもよかったと思います。
――就業時間はある程度、固定されているのですか。
松尾 はい、私は営業職なのですが、残業が多かったり、休日出勤が頻繁にあったりするわけではありません。ただ、転勤だけはどうしようもありません(苦笑)。
――転勤先でジムを探すのも大変だと思います。
松尾 そういう土地もありました。ゴールドジムでトレーニングするようになったのは名古屋に転勤してからなんです。この数年間で成長できた理由は、結婚したこと、トレーニングの環境がよくなったこと、そして木澤(大祐)さんと出会ったことが大きいと思います。初めて接したトップ選手が木澤さんだったんです。身近にいる、大きな目標です。今までは自分1人で、お山の大将のような感覚でやっていたんですが、今では私よりもすごいトレーニングをされ、すごい体をした方が目の前にいる。追いつきたいという気持ちになりました。
――ご結婚されたこともプラスに作用したのですね。
松尾 食事面をサポートしてもらえるのが大きいです。結婚してから競技に対する集中力は格段に上がっています。成績が上がってきたのは、この環境の変化があったからです。私の人生の一つの分岐点だったと思います。妻には日々感謝です。
――アジア選手権など海外の大会は目標にしていたのですか。
松尾 国際大会に出たいという感覚はまったくなかったです。私にとって一番大きな目標は日本選手権のファイナリストになることです。その前段階として日本クラス別で優勝したいとか、地方大会で優勝を重ねていきたいという目標があり、それらをクリアしていく中でアジア選手権のお話をいただきました。
――国際大会の経験は、競技者にとっても飛躍のチャンスになるのではないでしょうか。
松尾 考え方が変わりました。実際に出場してみると、日本の大会の数年分の刺激を一度でもらえるような感覚がありました。チーム・ジャパンとして参加するということで責任感も生まれます。また、例年とは異なるタイミングで減量を行いますので、オフが短くなる。そういった中で前年よりもいかにしていい成績を残すかを考えていくと、オフの過ごし方も変わってくると思います。これは私には大きなプラスになると思います。
――また、日本を背負うという経験も、なかなかできるものではありません。
松尾 私のような一般的なサラリーマンが日本代表になれるというのは、この競技をやっていてよかったと思いました。タイムマシンに乗って昔の自分に会えたら、「このままがんばれよ」と言ってあげたいです。これまでのボディビル人生で後悔したことは一つもないです。
――アジア選手権では3位という好成績を収めました。選手としての見られ方も変わってくると思います。
松尾 そうかもしれません。ですが、私はこれまでに、試合でプレッシャーを感じたことは一度もないんです。自分に対してプレッシャーはかけますが、周りからのプレッシャーは感じたことはありません。トレーニングもそうです。私はトレーニングノートはつけないんです。今できることの最善は尽くしますが、過去にとらわれたり、重量にとらわれたりというのはしないです。だから、毎回のトレーニングに楽しく取り組めています。
――ノートをつけないことに、こだわりがあるのですか。
松尾 ノートをつけると、前回の数量をクリアしなくてはいけないというプレッシャーが出てきますし、クリアできなければ罪悪感を感じてしまいます。また、ノートをつけないほうが、ジムが混んでいるときも臨機応変に対応しやすいんです。自分がやっていることを義務に感じないようにしています。トレーニングは自分がやりたいからやっているのであって、すべては自分が決めたことです。有酸素運動は義務でやっていますが(苦笑)。
――有酸素はやられるんですね。
松尾 調整に入った初期段階からやります。中盤からは朝のウオーキングを30分、トレーニング後にも30分。これは職業上、入れなくてはいけないと考えています。日中、移動も車ですし、有酸素を行うようなことがないんです。日中の有酸素運動の量はほかの選手と比べ少ないと思います。ですから、カーボも少量で足ります。
――どのくらいの量を取っているのですか。
松尾 スタート時は朝に白米150g、お昼に200g、夜はゼロです。トレーニング中・後にCCDやマルトデキストリンなどを取ります。肉類に関しては、基本的には鶏の胸肉がメインです。肉類の量は変えません。カーボの量で調整していきます。後半になって質感を出したいときは、プロテインをやめてアミノ酸に変えることもあります。
――日本選手権のファイナリストまでの距離感はどのように感じていますか。
松尾 ここ2年ほどで、距離はかなり詰まってきたと思います。以前は暫定13位、14位くらいの位置にいて、12位には高い壁を感じていました。去年はファイナリストを狙えるという自信が多少はありました。自分の調整方法に答えが出たというのも大きいです。
――調整方法も固まってきたのですね。
松尾 カーボアップをやるのか、塩分カットをやるのかなど、2年前まではふらふらしていました。人間は欲張りなので、少しでもよくしようと思って、変なことに手を出したがります。そして、自分の中ではいいように解釈したいので、「よかったんだ」と思い込んでいました。でも昨年、日本クラス別ではリミットぎりぎりだったのでカーボアップができずに、それで優勝できました。そのあとジャパンオープンでカーボアップをしたら、結果はダメでした。これで答えが出たと思いました。
――身体的な課題については?
松尾 背中の広がりが弱いです。私は背中のトレーニングをやっても、まったく筋肉痛がこないんです。だったら頻度を上げても大丈夫なんじゃないかと思い、2年前から週2回、背中のトレーニングを行うようにしました。それまでは背中全体をトレーニングしていたのですが、肩の日に背中の上部を組み入れるようにしました。背中の日は中部、下部、大円筋、小円筋を狙っています。急激に伸びることはありませんが、成長は感じています。
――現在のルーティンを教えてください。
松尾 5分割で週に2回、平日にオフをとります。平日にオフを入れると、その日は残業ができるんです。週末にトレーニングすることを家族が許してくれるからこそできるのですが、サラリーマンならではの組み方ではないかと思います。
――本日は松尾選手にとって大きな武器である脚のトレーニングを拝見しました。
松尾 横への張り出しを含め、脚が弱いと思ったことはこれまでないです。高校生の時点で周囲57㎝あったので、もともと、太くなりやすかったと思います。


松尾幸作(まつお・こうさく)
1981年12月17日生まれ。長崎県旧・琴海町(現・長崎市)出身。身長164㎝、体重80㎏(オフ)70㎏(オン)。ボディビル歴は18年。2001年に福岡ジュニア選手権でコンテストデビュー。好きな食べ物:うなぎ、甘いもの。トレーニング以外の趣味:料理、靴磨き
主な戦績
2001年日本ジュニア選手権優勝
2009年四国選手権優勝
2014年社会人選手権優勝、東海選手権優勝
2016年西日本選手権75㎏級優勝
2017年日本クラス別70㎏級優勝
2018年アジア選手権70㎏級3位
2019年日本選手権12位
2021年日本選手権8位


執筆者:藤本かずまさ
IRONMAN等を中心にトレーニング系メディア、書籍で執筆・編集活動を展開中。好きな言葉は「血中アミノ酸濃度」「同化作用」。株式会社プッシュアップ代表。

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佐藤奈々子選手
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