昨年12月に開催された『IFBB 世界フィットネス選手権』ビキニマスターズ45-49歳級で優勝するなどボディコンテストで活躍する畠山恵子(はたけやま・けいこ/47)さん。
さかのぼること今から4年前、畠山さんに直面したステージ4寄りのステージ3の胃がん。これから競技者として羽ばたこうとしていた矢先の出来事だった。当時の心境、そして今だからこそ振り返られるトレーニングへの価値観の変化を話してくれた。
トレーニングは自分を輝かせてくれるもの
━━15年以上前からトレーニングをされていたとか。トレーニングとの出会いは何だったのでしょうか。
畠山 競泳を中心に小さいころから色々なスポーツをしていました。運動が好きだったので、近所にフィットネスジムができたことを機に通うようになりました。そのときは筋トレ目的ではなく、ヨガレッスンなどで自分と向き合う時間を作るために行っていました。でも行き始めたら、ボクササイズのレッスンにハマってしまって(笑)。
━━リラックスできるヨガとは真逆のプログラムですね。
畠山 ボクササイズの担当トレーナーさんがボディビルをしている方だったんです。筋トレをしたらかっこいい身体になれるし、動きもよくなるんだと思ったことが私の筋トレ道の入口でした。バーベルを使ったりマシン種目をしたりするうちにどんどん楽しくなり、そのジムにある設備では物足りなく感じて『ゴールドジム』へ移りました。
━━競泳時代の筋トレとボディメイクの筋トレは全然違った?
畠山 競泳時代はかなり昔のため情報量が乏しく、泳ぐことに特化したピンポイントの筋トレなんてなかったんです。トレーニングといったらプッシュアップ、ベンチプレス、マシンだとフライくらいのスポ根時代でした。一方、ボディコンテストに出る選手のトレーニングは、ピンポイントで筋肉に刺激を入れて育てていく。対象部位にドンピシャで効いて筋肉痛がきたときは「これか!」と興奮を感じましたね。
運動好きだけどしっかり筋トレをしてこなかったタイプなので、やればやるほど反応や効果が出やすかったんだと思います。この頃は楽しくてしょうがなかったですね。仕事以外で、自分がキラキラしていられたというか。ボディコンテストに出るようになって、そのキラキラがより専門的になりました。ボディメイクを極め、自分が描く「カッコいい身体」を具現化して評価してもらうことの楽しさを感じていた時期です。
ステージ3の胃がんが発覚
━━そこから思わぬ病気が発覚しました。そのときの心境は?
畠山 自分が胃がんだと分かったときはハンマーで殴られたようなショックを受けましたね。しかもステージ4寄りのステージ3。「死と隣り合わせ」である現実に、恐怖とつらさを感じたのは事実です。当時は他団体からJBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)に移籍しようと意気込んでいた矢先だったので。
発覚した1カ月後に手術をし、胃の上半分を摘出。その後、1年にわたる抗がん剤治療が始まりました。楽しくて仕方なかったトレーニングができない。「生と死」に直面したからこそ、「トレーニングをしなくなると自分には何が残るか」を考えるようになったんです。結果、トレーニングをしない私が想像できませんでしたね。それほどまでに、トレーニングは私の人生そのものだったのかもしれません。

2020年ゴールドジムJAPANCUP・ビキニ35歳以上160㎝以下級優勝。この翌年1月の人間ドックで胃がんが発覚した
━━今までとは違う意味で自分に向き合ったと。当時の畠山さんにとっては、トレーニングというもの自体につらさは感じませんでしたか?
畠山 いえ、むしろ気持ちを安定させてくれるものでした。先生からは「治療中だから、トレーニングの〝やり過ぎ〞はダメだよ」と釘を刺されていましたが、動けるようになってからは筋トレに復帰していました。自分の身体に集中できるから、副作用も忘れられましたしね。
ここで諦めてしまっては病気に負けたことになる。「これを乗り越えた自分は今よりもっと強くなっているし、絶対に自分は復活できるから信じてやっていこう!」と。この時期のトレーニングは、私にとって進むべき指針でした。
━━それほど頑張れた理由とは?
畠山 昔から仲が良く、ジムを経営している知人の「いつまでも待ってるから」という言葉が大きな励みになりました。というのも、トレーナーとして彼のジムをお手伝いすることが決まっていたんですが、病気が発覚。正直に話したところ「待つ」と言葉をくれて。もちろん家族のサポートも大きいですが、この言葉は、私のトレーニング魂に火をつけてくれたスパイスです。絶対早く治してやる、もう負けてらんない!と。
闘病中でも身体を作り変える
━━体重が最大10㎏落ちてしまったことはどう捉えていましたか?
畠山 身体を作り変えるチャンスだ!と(笑)。前の身体から大きくするのは無理でも、新しい身体を作る土台は固められるんじゃないかと考えました。全体的にボリュームダウンしたので、まずは脚の形から変えることにしました。がんになる前の私の脚はゴツゴツしていたんですが、それが運よくなくなったのでメリハリがつくような筋トレをしよう、と。脚の中でも欲しい部位にだけ効かせるやり方に変えました。
━━素敵なポジティブ変換です。治療後、すぐにコンテストに復帰されていましたね。
畠山 2022年の3月で抗がん剤治療が終わり、その年の7月にJBBFの地方大会に出場しました。治療と同時進行で落ちてしまった筋量をできるだけ取り戻し、さらに徐脂肪をしていたという(笑)。

苦手なお尻トレーニングだが、この種目はしっかりお尻に入ってお気に入りだそう
━━とんでもないバイタリティーです。治療が終わって3年が経とうとしていますが、今の畠山さんにとって「トレーニング」とはどういうものなのでしょうか。
畠山 重い表現かもしれませんが、「命とは」を自分に問いかけ、考えさせてくれるもの。そう考える背景には、病気になってもトレーニングをして「命や生」というものに向き合った時間があるからです。
特に私の場合、競技のためにトレーニングをしてきたわけですが、精神的にすごく強くなったと感じています。命があるからトレーニングができ、フィットネス競技を極めることができる。このことを常に思い出させてくれるものなんですよね。「運動=健康」というイメージを持っていた自分の価値観からガラリと変わりました。トレーニングを私から奪ったら、私を私たらしめるもの、つまりアイデンティティーがなくなってしまうような気がします。
はたけやま・けいこ
1977年生まれ。身長155.5cm、体重はオン42~44㎏、オフ47~48㎏。パーソナルトレーナーとしてトレーニング・ポージング指導を行う。朝、トレーニング前に食べるのはアサイーボウル。2020年ゴールドジムJAPANCUP・ビキニ35歳以上160㎝以下級優勝、2024年JBBFオールジャパンマスターズフィットネスチャンピオンシップス・ビキニフィットネス45歳以上160cm以下級優勝、IFBB世界フィットネス選手権・ビキニマスターズ45-49歳級優勝に輝く。
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取材・文:小笠拡子 撮影:田中郁衣、中原義史、中島康介(大会写真) Web構成:中村聡美