バーベルを床から頭上へ一気に引き上げ、立ち上がる「スナッチ」で85㎏。バーベルを肩まで引き上げたのち、瞬時のパワー発揮で頭上へ差し上げる「クリーン&ジャーク」で112㎏。トータルで日本記録197㎏を叩き出し、今夏のパリ2024オリンピック出場を決めた鈴木梨羅。
がむしゃらに挙げるだけでは自分の限界を突破できない。そんな奥深いウエイトリフティング競技の難しさと魅力について語ってもらった。
ロンドン、リオ、東京でメダルを獲得している重量挙げ日本代表女子。4大会連続のかかるパリ五輪は、鈴木梨羅に期待がかかる。(女性のためのトレーニング&スポーツ専門誌『Woman'sSHAPE vol.28』より)
取材・文:藤村幸代 撮影:中原義史
重いものを挙げる競技という予備知識だけで始めた
──高校の部活で競技を始めたそうですが、じつはお料理研究部に入るつもりだったとか。
「ああ、そうなんです(笑)。小さいころから水泳や卓球、バドミントン、中学では3年間、剣道をやってきて、何か今までやったことのない部活に入ろうかなと。でも、見学に行ったら、ちょっと違うかなって。そのあと見学した部活のなかに、ウエイトリフティングがあったんです」
──競技の存在自体は知っていた?「オリンピックを見て、重いものを挙げる競技という程度は知っていましたが、近くにできる場所もなかったし、『どうやったらこのスポーツに出会うんだろう』と。自分がやることになるとは、当時はもちろん思っていなかったです」
──それでも、何かピンと来るものがあったのですね。
「部活見学のときに15㎏のシャフトを挙げさせてもらったんですが、けっこう挙げられたんですよね。3年間続けた剣道は忍耐力も必要な武道なので、耐える力もある程度ついていたのかもしれないし、竹刀を何回も振っていたからか、何となく人よりも腕力があったりして、『私、ちょっと向いてるのかな』って」
──すぐにハマりましたか。
「そうですね。ジャークを他の人より早く、上手に挙げることができたのがきっかけでした。剣道では面を打つ瞬間に右足をポンと出すんですが、ジャークでバーベルを挙げるときに、その感覚でやったら『できてる! すごい!』と褒められて(笑)。それがうれしくてハマりましたね」
記録を1㎏伸ばすために何百回、何千回と挙げ続ける
──そこから約10年間、ウエイトリフターとして歩むことに。
「始めた当初は、ここまで続けるなんて全然思い描いていませんでした。でも、本当に自分は負けず嫌いなので(笑)、自分より上の階級や、自分より年上で競技歴が長い先輩にも負けたくないという気持ちでいつも練習していたので、それがすごく今につながってるのかなと思います」
──2021年の世界選手権ではスナッチ78㎏、クリーン&ジャーク(以下ジャーク)101㎏、トータル179㎏で銀メダルを獲得しました。
「そこが一つのターニングポイントにはなりましたね。ウエイトリフティングはスナッチとジャーク、それぞれ3本ずつ試技があるのですが、そのときは1本ずつしか成功できなくて。心から喜べる試合ではなかったのですが、応援してくださる人や支えてくださる人が自分以上に喜んでくれたこともそうですし、自分のなかでもメダルを取ったことでプライドではないけれど、『本物になりたい』という気持ちが出てきて」
──世界の表彰台に上がっただけでは、まだ〝本物〟ではないと?
「そのメダルを、まぐれだと言われたくないなって。もう一度自分の力で、もう一度世界でメダルを取ることによって自分で自分のことも認めたいし、周りの人にもメダリストの顔のなかに自分を入れてもらいたいなと思って頑張ってきました」
──そこからは一歩、一歩、重量の数字を上げていく道のりに。
「本当にその通りで、まずはスナッチ80㎏、ジャーク100㎏を目指し、それをクリアできたら、次は85㎏と105㎏……。バーベルのプレートは赤が25㎏、青が20㎏、黄色が15㎏なんですね。20㎏のシャフトに赤と黄色をつけて100㎏、赤と青なら110㎏。だから『次は赤と青まで行きたい!』とか。そういう単純な気持ちも含めて、毎日自分のベストを更新することを意識していたら、自然と記録も上がっていきました」
──記録の限界や自分の限界を感じることはなかったですか。
「正直、1年に1㎏、2㎏伸びたらすごいことだし、嬉しいんですよ。そのために何回も、何百回も、何千回もバーベルを挙げているんですけど、やっぱり更新するのって心技体が一致しないといけないですし、怪我なく練習を積み重ねる必要があるので、そんなに伸ばせるのかなっていう思いが最初はありました」
──記録が大きく伸びるようなブレイクポイントはありましたか。
「いきなり伸びるというより、たとえばだんだんと取材していただく機会が増えて、少しずつ自分の夢を語ることによって、それが目標になった部分もありました。人に宣言するからには、自分に嘘なく、自分との約束を守るためにやらなきゃと覚悟が決まって、気づいたらポンと記録が伸びたりして、だんだん現実味が出てきたというか。『イケるかも』という気持ちから、今はもう『やるしかない』という気持ちでいますね」
日本記録がゴールではない世界に1㎏でも近づきたい
──パリ五輪の最終選考となった今年4月のワールドカップでは、自己ベストのトータル194㎏を超える197㎏(スナッチ85㎏、ジャーク112㎏)の日本記録を出しました。
「振り返ると、そこで日本記録を取るという目標だったら取れていなかったかもしれません。私の目標はオリンピックでメダルを取ることなので、オリンピックをイメージして練習して試合に臨んだら、そういえば日本記録だったという感じでした」
──2本目の試技で、すでに195㎏の日本記録を出しましたが、3本目にも果敢にトライしました。
「2本目で、自分が持っていた世界ランキングの194㎏に1㎏上乗せできたので、正直3本目はやらなくてもよかったんですが、日本選手団の一員としていい流れを作りたいというか。何かみなさんに与えられるものがあればいいなという思いで3本目に臨みました」
──3本目、得意のジャークで110㎏から112㎏まで伸ばし、トータル197㎏に。
「オリンピック最終予選の最終試技をやらずに終えるよりは、自分のためにも、後に続く選手のためにも日本記録を取って終わりたいなって。勝手に自分が思っただけですが(笑)、実際に記録を更新すると、やはりみなさんが喜んでくれて。やって良かったなと思いますし、ここが自分のなかでゴールではないので、日本ではなく世界の記録に1㎏でも多く近づけるように頑張っていきたいです」
──パリ五輪で目指す重量は?
「予想ではメダルラインがトータルで205㎏かそれ以上になるかなと思っています。自分のベストは197㎏なので、そこから205㎏まではプラス8㎏、さらにプラスして、トータルで210㎏を狙う気持ちでいます。具体的にはスナッチ92㎏、ジャーク118㎏ぐらいがボーダーラインになるかなと。練習を重ねるなかで目標は変わったりすると思いますが」
──パリ五輪本番まで、ひたすら重量を挙げていく日々になる?
「でも、がむしゃらにやっているだけでは怪我をするので、頭を使ってやるべきことを冷静に判断して。たとえば、今の時期は焦って種目を追い込むより、筋力アップのための筋トレを重視する時期なんですね。あとは本数。高重量だけにこだわらず、8本、5本と本数をこなせる重量の底上げをしていくところから、少しずつ進んでいくプロセスです。うまくいかないことも本当に多いんですが(苦笑)、こうやって過ごしている日々が、運を味方につけることにもつながるのかなと思うので」
──今は筋力を上げる時期とのことですが、オリンピック本番と同等の重量を練習で挙げる時期はいつごろになるのでしょうか。
「だいたい4週間前ですね。ただ、MAXの重量は挙げきらないようにしています。試合では練習以上の力が出るんですが、試合で挙げたい重量と同じくらいの重量を練習で触ってしまうと、ピーキングが合わないというか。どんなにうまくトレーニングを積めていても、最高のパフォーマンスは半年に1日できるか、できないかという世界なので」
──その限られた1日を、パリでの試技に合わせなければいけない……。
「だから、練習ではやりすぎないように。とはいえスナッチ3本、ジャーク3本の試技を行うにあたり、スタート重量(1本目の試技の重量)を何㎏にセットするのがベストなのか、理想と現実をかみ合わせることも必須なので、私の場合は4週間前にちょっと重めの重量を触って、そのときの感覚と重量でスタート重量を決めるようにしているんです」
──本番から逆算して、この時期にすべきトレーニング、挙げるべき重量を細かく設定していく。本当に緻密な競技ですよね。
「だからこそ、1日の調子に一喜一憂せずに、少しずつでも足を止めず進み続けるのが本当に大切で。今日も練習的には目標重量には全然届かずに終わってしまったんですけど、でも、立ち止まっているよりは全然いいかなって。調子がいいときには感じられない感情や感覚も、こういうときにこそ学べるので。重量を増やしていくだけではなく、あらゆる面で1日、1日を100%で臨んで、パリに向かいたいと思います」
執筆者:藤村幸代
スポーツとカラダづくりを中心にカルチャー、ライフ、教育など多分野で執筆、書籍構成・プロデュースを行っている。神奈川県横須賀市出身、三浦市在住