マッスル北村が「人の価値観」について教えてくれました

没後20年というのに全く色褪せない北村克己の思い出。友人・知人・関係者に語っていただいた言葉から、人間・北村克己像がはっきりと見えてくる。

取材・文:岡部みつる

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インターナショナルフィットネスアドバイザー・エイビーババイの証言

私はイランではバレーの国際代表選手でした。幼少期から走り回っていたので、父親からもっと筋肉を付けるように言われ15~16歳からボディビルもやっていました。イランでは戦争とかもあってオリンピックなどに出られず悔しい思いをしていて、日本はバレーボールも強かったので、日本でバレーボール選手になろうと思ったんです。大して調べずに来日し、バレーボールで食べていけないことが分かって、カナダへ行こうと思い直しました。そのための資金を貯める目的で住んだら、あまりにも良い国なので、気に入って、ずっとお世話になっています(笑)。

来日してしばらくして、東武練馬にあったレヴァンというジムへ見学に行ったら、そこで北村さんに会ったんです! 何だかすごく大きな人がいるなぁと思って話をしたら「必ずメンバーになって一緒にトレーニングしよう!」って誘ってくれたんですよ。そこで北村さんが優しく誘ってくれなかったら、トレーニングを再開していなかったと思います。入会してジムで会うたびに、いつも優しく話しかけてくれて、私はいつの間にか「お兄さん」と呼ぶようになりました。お兄さんと一緒にトレーニングさせてもらったこともあります。自分に厳しく、人に優しい姿に、いつも憧れてました。

カラオケに行ったこともあります。お酒もペースが早いんです!私らが一杯飲むうちに倍は飲んでる! 私もかなり食べる方でしたが、兄さんの前で「自分は沢山食べる」なんて恥ずかしくて言えませんでした。パーティーや披露宴に招待され一緒にポージングを披露させてもらったことも何度もありました。自分が大会挑戦を始めて成績が悪くても「エイビーはバランスが良くて海外の方が評価が高いよ」とすごく勇気を与えてくれました。お兄さんは「人の価値観」について教えてくれました。私は外国人じゃないですか。国が違えば物の価値が違うのと同じように、人それぞれに価値観があるということを教えてくれたんです。日本で暮らしていろいろな壁を感じるときがありますけど、そんなときにお兄さんの大きく寛容な心のことを思うと、どんな壁もそれほど障害に感じなくなります。

お兄さんが倒れたときに電話をもらって、すぐに駆けつけました。病院で横たわっているお兄さんを見たときには、もう信じられなくてずっと泣いてました。そのあとにご自宅へお兄さんを運び、お父様と善美さんと共にずっと側に寄り添ってました。お2人はいろいろと準備することもあったので私ひとりで付いていた時間もありました。お兄さんは身体が大きかったせいもあるんでしょうが、目から血が滲んだりするので、ずっときれいに拭き取っていました。そんなときお兄さんは神様みたいな顔に見えたり、笑っているように見えたり、ちょっと不思議な感じでした。今でも「あー、もうお兄さんはいないんだな」って思うと、本当に涙が込み上げてきます。

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執筆者 岡部みつる
東京都出身。昭和の終焉に渡米。’93年、米マスキュラーデベロップメント誌のチーフフォトグラファーに。以後、アイアンマン、マッスルマグ、フレックス等各誌に写真を提供。’96年にはMOCVIDEOを設立、コールマン、カトラー等オリンピア級選手のビデオ、約50本を制作。「オリンピアへの道」は12年続け、「オリンピアへ出るよりもこのビデオに出られてうれしい!」と選手が言うほどに。’08年、会社を売却しワイフと愛犬とともに帰国。静岡県の山中に愛犬とワイフの4人暮らし。


 

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