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失明なんか関係ない!ボディビルに生涯を捧げた夫婦の物語

狂気の男という異名を持つ日本屈指のボディビルダー・合戸孝二選手。

医師から「ステロイド治療をしないと左目が失明する」と宣告されたが、合戸選手はわずかでもドーピングを疑われるようなことは嫌で、治療を拒否した。そして左目の視力を失ってまでトレーニングを続け、世界選手権で4位に輝き、「(視力を失うことは)トレーニングに支障はないことだからなんでもないことだよ」と言ったことは有名な話。

ボディビルに生涯を捧げた合戸選手とともに、生涯を捧げた真理子夫人。夫婦が歩んだ軌跡を振り返ったアイアンマン7月号から二人の原点であるジム経営の秘話を紹介する。

文・撮影:岡部みつる 写真協力:健康体力研究所

自分のトレーニングのためのジムオープン

──ジムを始めた頃というのは生活はどんな感じでしたか?

合戸 生活は、もう常に苦しかったよ! 特にそのころは、本当に『その日暮らし』のような状態だったよ。

──合戸ご夫妻は、そもそもジム経営を目指してジムをオープンしたんではないんですよね?

合戸 ジム経営をしようなんて、そんな大それたことを考えちゃいなかった。自分のやりたいトレーニングをしたいから、自分のジムを作るしかないなって思って始めたんだよ。俺は真理ちゃんに熱を上げて、まるっきり2年間トレーニングしていなかったんだ。真理ちゃんが平塚の歯科衛生士の学校へ通っているとき、そこに入り浸ってたわけだよ。で、2年もトレーニングしてないわけだから当然身体も鈍るわな。そこで「また真剣に取り組もう!」と一念発起したんだ。そのとき、たまたま月ボを見たら海外の選手が行ってる『ダブルスプリット法』っていうのが目に付いて「おぉ!これしかねぇな!」って閃いたんだよ。だけど、考えてもみろ。静岡の田舎で毎日朝から開いてるジムなんてないんだよ。だったら自分でジムを作るしかねぇなっていうことだ。
たまたま親父の持ち家があったから、そこの壁を全部ぶち抜いてジムとして使えるスペースを確保した。運良く近くに生コン屋さんがあって、夕方になると余った生コンを処理しなきゃならなくて『捨てコン』っていうんだけど、それをもらえるんだよ。俺はちゃんとゴム手してたけど、20歳かそこらの真理ちゃんはドロンコ遊びと間違えて手で撫でるから翌日には肌荒れしちゃってさ。それで、その家を担保に銀行から200万円借り入れをして、それを元手にマシンを全部自作して、マイナスからのスタートだったよ。どうやって暮らして行こうなんて全く考えてなかったから、ほんとにその日暮らしだったよ!

真理子 平塚から戻って静岡で暮らし始めたある日の朝、急に家の中でものすごい音がするんですよ。「なんだろう?」って見てみると主人が大きなハンマーで壁を壊してるんでビックリしました!「ジムやるぞ!」って言われて「そうなんだ」っていう感じでしたね。まだ若かったし、それほど先のことを真剣に考えるというようなことはなかったですね。
ジムを作るのにも毎日朝から晩まで掛かって、出来上がったら今度はトレーニングに朝から晩までという生活が始まったので、本当にその当時はどうやって暮らして行くとか、そういうことに頓着している時間的にも、金銭的にも余裕なんてまったくなかったんです。そのころはサプリメントだってほとんど摂っていなかったと思います。ただ、運良くジムを作っているときから「ここには何ができるの?」なんていう人がいて、そういう人たちが自然発生的に会員さんになってくれたので日銭が入るようになってきて、それで日々の生活が成り立ってた感じでした!

アイアンマン2021年7月号では、合戸選手と真理子夫人が辿った道のりを詳しく紹介。合戸選手のトレーニングのこだわり、そして還暦を迎えた今のトレーニング、そして数々の究極の夫婦のエピソードを掲載。ボディビルに生涯を捧げた夫婦の矜持に思わず胸が熱くなる。

合戸選手と真理子夫人が表紙のアイアンマン7月号(全国の大型書店、amazonで好評発売中)

続けてお読みください。
▶狂気の男「栄養は全てサプリメントから取る」合戸孝二の減量時の栄養摂取


岡部みつる
東京都出身。昭和の終焉に渡米。’93年、米マスキュラーデベロップメント誌のチーフフォトグラファーに。以後、アイアンマン、マッスルマグ、フレックス等各誌に写真を提供。’96年にはMOCVIDEOを設立、コールマン、カトラー等オリンピア級選手のビデオ、約50本を制作。「オリンピアへの道」は12年続け、「オリンピアへ出るよりもこのビデオに出られてうれしい!」と選手が言うほどに。’08年、会社を売却しワイフと愛犬とともに帰国。静岡県の山中に愛犬とワイフの4人暮らし。


 


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