【筋肉超人伝説】ボディビル最軽量級の男が努力を重ねて日本3階級を制覇(前編)

“ジャガー”の愛称で人気を博したボディビルダー“佐藤貴規”が、15年間の競技生活にピリオドを打ち、引退を表明した。決して飛び抜けた素質を持っていたというわけではなかったが、最軽量級の60㎏級でデビューすると徐々に頭角を現し、東アジア65㎏級連覇、東京選手権優勝、日本クラス別65㎏、70㎏、75㎏の3階級を制覇、そして日本選手権で5位入賞を遂げるなど、日本を代表する選手にまで成長した。さらに、世界選手権出場を果たし、選手として最盛期を迎えながらも引退を表明した。
(本内容は月刊ボディビルディング2018年9月号「特別インタビュー佐藤貴規」から修正引用)
取材:吉田真人 写真:アイアンマン編集部

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◆最軽量級からの挑戦

吉田:もう長い付き合いになるね。

ジャガー:2003年からですから、もう15年になります。その年の年末に勤務先が移動になって、一緒にトレーニングする頻度が増えましたね。

吉田:最初はビーフ(佐々木)も一緒だったけど、移動してからはマンツーマンでトレーニングするようになったね。その頃はまだ細くて、力も弱かったな。インクラインプレスのアップ後にCDのような小さな円盤を持っていて、「何だろう」と思ったら1.25㎏プレートで、「最初のセットから、その刻みは何だ!」って大笑いになったのを憶えているよ。

ジャガー: 細かく刻む事が基本だと思っていたので、無造作に20㎏プレートを足していく事にこちらも驚愕しました。当時フラットベンチでも120kgそこそこしか出来ないのに、インクラインで140㎏を持たされた時は今までの概念が吹っ飛びましたよ。それからは、ベンチプレスやスクワットは一気に10㎏単位に変えました。おかげで使用重量も伸びました。

吉田:力なんて気持ちによるものだから、小さく刻めば少しずつ伸びていき、一気に重くすれば一気に強くなるもの。力も体も意識が支配しているからね。

ジャガー:結局そういう事なんでしょうね。始めた頃はまさに刻む方法でした。着実に歩を進めるのは悪い事ではないと思ったのですが、やはり筋肉への刺激は代わり映えしなかったと思います。早目に気付けて良かったです。

吉田:大会に出場したキッカケは?

ジャガー:野球の補強でウエイトトレーニングを始め、野球引退後には空手をやっていたんですが、仕事の関係で稽古が出来なくなり、トレーニングなら自分の時間で出来ると思い、その頃知り合った佐々木(ビーフこと佐々木晋)さんなど、周りの方に教えて頂いた事がキッカケで、2002年の東京オープンに出場しました。

吉田:60㎏級で優勝だったね。出場してどうだった?

ジャガー::客観的な判断ができず、訳が分からずという感じでした。とりあえず順位が付いた事が嬉しかったです。そのあと東京クラス別60㎏級に出場して2位でした。

吉田:優勝した次の大会で順位を落とす事になったけど?

ジャガー:そもそもオープンでも優勝できると思っていなかったので、悔しさはありませんでした。ただ、次は優勝したいという “欲”は芽生えました。まだまだ自分の立ち位置を客観的に見る事が出来ていませんでしたね。

写真左側から合戸孝二選手、佐藤貴規選手、須江正尋選手

吉田:客観視出来るようになったのはいつから?

ジャガー:2007年の日本クラス別と東京選手権です。日本クラス別は、神奈川の佐倉さんの上半身の迫力に目がいって、早々に下位で呼ばれると思いましたが、結果は2位。ミスター東京では、バックステージの鏡の前で松本(美彦)さんや中澤さんと並んだ時に、一回り以上の違いを感じましたが、その二人より上位でした。舞台の上では目の前で見たバルクだけじゃなく、仕上がりやバランス、ステージングなど、トータルパッケージが大切なんだと感じました。

吉田:そのトータルパッケージを上げる為に必要な事は?

ジャガー:結局はそれぞれのレベルを上げていく事ですね。それまでは、「バルクさえあれば」、「カットさえあれば」という意識でしたが、ポーズやステージ上の立ち振る舞いの重要性を感じました。体については、腕やハムストリングなどの弱点部位を無くす為に優先順位を上げるようにしました。

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