ライバルや仲間が語る「史上最多14回優勝」日本筋肉界にレジェンド小沼敏雄とはどんな人?

日本のみならず、世界の舞台で活躍し、その栄光から伝説化された、ゴールドジムアドバンストレーナーにして日本ボディビル選手権14回優勝という、未だ破られていない記録を持つ小沼敏雄氏。その小沼氏は昔、中野ヘルスクラブという、今やこの業界の巨匠とも言える選手たちが在籍していたジムに努めいた。今回は、中野ヘルスクラブ時代の仲間たちや、かつてのライバルたちが、伝説・小沼敏雄を語る。(IRONMAN2014年9月号から修正引用)

取材・文:IM編集部 撮影:IM編集部、中島康介

2001~2004年ミスター日本優勝、2013年ミスターユニバース70㎏級3位、2014年アーノルドアマチュア70㎏級3位・田代 誠

小沼さんを初めてお見かけしたのは雑誌でございました。1986年に購入した雑誌の表紙が小沼さんだったのを記憶しています。私はトレーニングを人から教えてもらったことがなく、当時小沼さんが連載されていたトレーニングテクニックを参考にしていた懐かしい思い出があります。ミスター日本で2回ほどご一緒させていただきましたが、やはり素晴らしいチャンピオンで、2回ともあっさり負けたことは良い思い出です。私もミスター日本で何度か優勝させていただきましたが、回数を重ねるごとに、これを14回も成し遂げた小沼さんの偉大さを痛感しておりました。さまざまな意味で不世出の選手だと思います。

Yano’s gym Tokyo代表、2000年、2006年ミスター日本優勝、1996年、2000年アジアボディビル選手権75㎏級優勝・谷野義弘

小沼さんとは世界大会に4回一緒に行って、全てホテルは同部屋でした。そういうときは普段とは違う小沼さんを見ることができておもしろかったです。グアムの世界大会(1995年)ではプールではしゃいでいたり、ホテルの朝食の時間まで待ちきれずに部屋のなかをうろうろしたり、お茶目だなと思いました。でもジムでは厳しかったですね。コンテストを控えたある会員さんが小沼さんに「減量でお腹がすいてつらいです」とこぼしていたら、「腹が減らなかったら減量じゃないよ!」とビシッと言っていました。トレーニングに関しては特に厳しい人でした。厳しく指導してほしいから小沼さんのいるジムに行くという人も多いんじゃないでしょうか。

2009年日本マスターズ選手権75歳以上の部優勝・小林二郎

小沼さんのことは、中野ヘルスにコーチとして入社されたときから存じております。小沼さんは偶然僕と同じ大学(芝浦工業大学)出身でした。当時の学長から「大宮校舎の第二体育館落成記念パーティーをやるから、なにか良いアトラクションがないか?」と尋ねられ、小沼さんにポージングをやっていただいたことがあります。それを見て刺激を受けた学生たちがバーベル同好会を作ったり、ジムコンテストに出た選手たちが、小沼さんの影響でJBBFの公式試合に出るようになったりと、周りに良い影響を与える方でした。私自身も小沼さんに薦められて試合に出るようになり、マスターズ70歳と75歳の部で初代チャンピオンになることができました。とにかく小沼さんのオーラは普通じゃありません。私にとってはボディビルの鬼であり、神様です。

ミス日本6回優勝(1994~1998年、2003年)、1997年ワールドゲームズ52㎏級優勝・鈴木詠子

20数年前、中野ヘルスクラブに体験に行ったとき、なぜかうれしそうに近づいてきて「そのフォームで効いているの?」と話しかけられたのが小沼さんとの最初の出会いでした。その一言で入会を決めた私は、その後もたくさんの影響を受けてきました。近寄りがたいオーラを放ちながら黙々とセットをこなす小沼さんを見て、チャンピオンとはどうあるべきかなどを学びました。またゲストや小さなイベントでも、ギリギリまで大汗をかきながらパンプをして観客を喜ばせ、何より自分が一番楽しんでいる姿は、今も私のお手本です。お茶目で、面白い話を見つけたときのうれしそうな顔、ガハハと大声で笑う小沼さんが私たちは大好きです。

JBBF選手強化委員長、1980、1986年ミスター日本優勝・朝生照雄

小沼君は私より9歳年下で、最初に彼を見たのは1983年に福島県の常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)で開催された選抜大会でした。プロポーションがいい選手がいるなとは思っていましたが、数年後には自分が負けるとは思えなかったです。私はミスター日本で2度優勝していますが、1度目は小沼君は学生で、出場しておりません。2度目は小沼君が前年に日本を取っており、1986年はなぜか出場していませんでした。日本選手権では小沼君にいつも勝てる気で出場していましたが、勝てなかったことは残念でした。しかし、彼と何度となく競い合うことは自分にとって良いモチベーションになったことは確かだったと思います。

(株)マルヤジム会長、1992年アジアボディビル選手権優勝、日本クラス別選手権優勝多数・髙西文利

小沼君はプロポーションが非常に良くて脚も長く、日本人離れしたスケール感がありました。大腿四頭筋やハムストリングスといった下半身の筋肉も充実していて、それは他の選手と差をつける大きな武器になっていました。私は何度も小沼君に挑戦しましたが、常に一歩先をいかれてしまうという印象がありました。苦しいトレーニングを乗り越えるだけの精神力があの肉体をつくり上げたのだと思います。あそこまで『ボディビルが好き』と感じさせる人間は小沼君しかいないでしょう。今、日本人選手のレベルが上がってきたのも、小沼君が長年ボディビル界を引っ張ってきた結果だと思います。

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伝説を語る男たちのドラマ

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