その競技の頂点を射止めた王者たちも、かつてはみんな初心者だった。トライ&エラーを繰り返し、階段を昇っていったレジェンドたち。その過程で経験したしくじりには、未来の優勝につながるヒントが隠されていたはず。Mr.日本14回優勝、生ける伝説・小沼敏雄選手に自分を育てた失敗を語ってもらった。
取材・文:藤本かずまさ
93年に大円筋を断裂インナーの重要性を痛感
失敗と言われて思い浮かぶのは、やはりケガですね。これまでに負ったケガでもっとも大きなものは93年の右の大円筋の断裂です。肩の後ろ側に痛みを感じていたのですが、原因がどこにあるのか、分からなかったんです。三角筋のリアヘッドを痛めたのだろうと思っていました。
何をやっても痛みが走ったのですが、それでもトレーニングをやり続けていました。すると、デッドリフトをやったときに大円筋が切れてしまったんです。今でこそインナーマッスルのトレーニングは当たり前になっていますが、当時は誰もやっていなかったんです。インナーマッスルに原因があるとは考えていませんでした。ケガをしてから、インナーマッスルのリハビリをやるようになりました。
普段からインナーのトレーニングをちゃんとやっていたらケガを防げたと思います。肩の痛みというものは、その原因はインナーマッスルにあります。三角筋自体を痛めるという人はいません。見ていると、胸のトレーニングで肩を痛めるという人が多いですね。
痛みの原因は二頭筋長頭無理をしなければ防げたかも
私はそれからも大会には出場し続けました。大円筋を切った年も、普通にトレーニングができるようになるまで3カ月ほどかかりましたが、ミスター日本に出場して、運よく優勝することができました。そこでさらにモチベーションが上がって、痛くてもトレーニングができるんだったらやろうと。すると今度は、2003年に右の上腕二頭筋の長頭を切ってしまいました。
大円筋が切れた状態でトレーニングを続けていたので、長頭の腱に負荷がかかっていたんです。実際に窪んだような形になっていたので、すでに切れかかっていたんだと思います。また、肩の前に二頭筋の腱があることを知りませんでした。そこもケガをしたことで分かった。確かに、二頭筋の種目をやるときに痺れが走っていました。
私が勤めていた中野ヘルスクラブが閉館することになって、これで大会に出るのは最後にしようと、もうどうなってもいいという気持ちでトレーニングをしていました。そこで無理をしなかったら、切れなかったかもしれません。でも、無理しないことは、当時私が目指していたマスターズ世界大会には出られない。プレス系ができなくなったので、大胸筋はしだいになくなっていきましたね。中野ヘルスクラブの時代はフリーウエイトしかなかったですが、ゴールドジムに勤めるようになってからは、マシンで工夫しながらトレーニングをするようになりました。