コンテスト

「最軽量級からの挑戦」世界で活躍した男の17年間の筋肉歴史

最軽量級の60kg以下級(当時)からボディビルダーとしてのキャリアをスタートさせた佐藤貴規。2017年に引退するまで17年のキャリアのなかで4階級の増量に成功し、日本クラス別選手権では65、70、75㎏以下級と3階級制覇を達成。「食べる素質はなかった」という佐藤。「なかなか大きくなれない」「筋肉がつかない」というハードゲイナーと呼ばれる人たちに贈る、ジャガーからのメッセージとは。(IRONMAN2018年2月号から引用)

取材:藤本かずまさ 写真:中島康介、佐藤貴規

すべてのハードゲイナーに贈る話

――まず「ハードゲイナー」とは、どのような人を差す言葉なのでしょうか。

佐藤 ひと言でいえば「体重が増えにくい人」ということになります。そのなかには食べる量を増やしてもなかなか体が大きくならない人、たくさんの量を食べられない人、などのタイプがあります。私も体重を増やすのに苦労したので、「ハードゲイナー」の部類に入ると思います。食は細いほうです。減量中は絞るのに苦労し、オフのときは体重が増えないことに苦労しました。1年中、何かしらの苦労はしていました。

――体を大きくすることの必然性を感じたのは、いつくらいなのでしょうか。

佐藤 選手としてのキャリアをスタートさせた22歳からは、「少しでも体重を増やして筋量を残さなきゃいけない」ということを常に意識していました。最初は、少しでも食事量のキャパシティーを広げようと、1日トータルの食事量を増やすことから始めました。「1日3食」という回数を増やすことはできないので、1食の量を増やしていきました。

――栄養素としては、何を増やしたのですか。

佐藤 炭水化物です。体重増加に直結しやすいと思い、ご飯の量を増やしました。調子のいいときで1食に白米を2.5合くらい。かなりがんばって食べていましたね。市販の消化剤などを活用していた時期もあります。体重を増やすために脂肪が乗ってもかまわないという考え方で取り組んでいました。

――体のフレームを大きくする、というイメージでしょうか。

佐藤 そうです。でも、1回の食事量を増やすと、そのときは食べられても、次の食事がまったく喉を通らなかったり、間隔を開けないと食べられなかったり。ムラができてしまうんです。結果的には1日の食事量は減っているということもありました。

――「たくさん食べられる」というのも“素質”なのでしょうか。

佐藤 そう思います。少なくとも、私にはその素質はありませんでした。摂取カロリーを稼ごうとして寝る前にアイスクリームやポテトチップス1袋を食べるようなこともしていました。でも、翌朝に起きたときにおなかがすいていなくて、朝食が食べられない。朝食抜きでジムに行ってトレーニングをするということもありました。また、朝にたくさん食べたら食べたで、1日中おなかがすかないんです。それこそ、プロテインを飲むだけで、固形物をまったく食べられなくなってしまったり、消化剤を飲んでも、食べる量が増えたら消化には時間がかかってしまう。がんばって食べてはみたものの、そのような食事は1カ月間も続けられませんでした。寝る前にアイスやポテトチップスを食べることも早々に断念しました。

――そこからどのようにして現状を打破したのでしょうか。

佐藤 もともとの食事のキャパシティーが狭いので、打破のしようがないんです。ある一定期間、食事量を増やしても、増えた体重は1、2㎏程度。そこで体重の増加は打ち止めで、そこからは食欲も湧かず、食事量が減り、またもとの体重に戻ってしまう。食べられるようになったらまた食べて…、と自分の適正体重をいったりきたりするようなことを繰り返していました。一時期少しだけがんばったところで、まったく身にならずに、体重も増えない。そして、継続することもできません。だから、最終的には、他の人と比較すると少ないキャパシティーのなかで、必要な栄養素のみを取っていくしかないという考えに至りました。すると、口にするものは必然的に“減量食”になっていきます。次のステップとして、減量食を食べるようにしました。
――体を大きくするために減量食を?

佐藤 そうです。1日のなかの1食だけの量を増やすことはできても、それを継続することができない。だから、内容を減量食で固定して、継続できる範囲のなかで量を増やしていきました。なるべくたくさん胃に詰め込んで、満腹になるまで食べ続けるという取り組みをしていました。

――どのようなものを食べていたのでしょうか。

佐藤 そのころは鶏肉などが多かったです。炭水化物はお米。ほかにはブロッコリーなどの温野菜です。1食の量としては、鶏肉200g、ご飯は300gほどだったと思います。この食事を3食。これにプロテインなどのサプリメントをプラスしていました。

――プロテインは胃に隙間ができたら流し込んでいた?

佐藤 いえ、トレーニング後や夜など、時間を決めて飲んでいました。大会に出場するようになったころのオフの体重は68㎏。16年は74㎏でした。コンテスト体重は、1㎏ほど増えた年もあれば、増えなかった年もありました。

――年1㎏のペースだと、筋量が増えていることを実感しづらいと思います。

佐藤 知識として、筋肉は簡単には増えないということは知っていました。計画通りにトレーニングができて、使用重量やレップ数が伸びていれば筋肉も増えているだろうと考えていました。だから、「しっかりと食べてしっかりとトレーニングをする」ということに結果を委ねているような感覚でした。体重を増やすというより、純粋に筋肉のみを増やしていくことに考え方が切り替わりました。たくさん食べられる「イージーゲイナー」の方でしたら、普通の食事量にタンパク質などを上乗せして
も大丈夫だと思うんです。ただ、私のようなタイプは食事のキャパシティーが狭いので、普通の食事だけでおなかがいっぱいになってしまう。そうならないように、クリーンな食事を食べるようにしたんです。急激に体重が増えるということはないですが、かといって減ることもない。

――そういった食事をどのくらい続けたのでしょうか。

佐藤 10年くらい続けたと思います。その期間で選手としてのベースを築けたような気がします。オフのあいだに体重を無理やり増やすことがなくなったので、減量幅が少なく、減量にも取り組みやすくなりました。シーズンの過ごし方は確立できていきました。ただ、たとえ減量食でも、たくさん食べるとおなかがすかないんです。何となくですが「無理やり食べている」という感覚もあり、おなかがすかないまま1日を過ごすことに疑問を感じるようになりました。食欲がまったく湧いてこないんです。毎日、胃もたれとの戦いでした。そこで、次の段階として、1回の食事量を「腹八分目」に抑えるようにしたんです。おなかがいっぱいになるまでは食べない。炭水化物の量を少し減らしました。

――「また体重が減ってしまうんじゃないか」という不安は?

佐藤 なかったです。必要最低限の食事量が取れていれば筋肉が減ることはないだろうと。早い段階からタンパク質は必要量をしっかりと取るという意識はありました。私の場合、大会に出場し始めたころは「体重×3g」、近年は「体重×3.5g」の量を取っていました。ただし、それ以上の量は必要ないだろうと。筋肉を増やすためには、最低限の食事量にプラスアルファが必要です。そのプラスアルファの分を炭水化物の量で調整するといったイメージです。

――トレーニングに関しては?

佐藤 摂取カロリーを減らしたからといって、トレーニングのパフォーマンスが下がったり、筋量が減ったりといったことはなかったです。逆に内臓が元気になったので、体調がよくなりました。

――週にどれくらいやられていたのでしょうか。

佐藤 5、6回です。

――筋量を増やすために取り入れた種目は?

佐藤 具体的にはないのですが、そのときに行っていたすべての種目の使用重量を伸ばすという気持ちでトレーニングをしていました。ビッグ3などの特定の種目だけを伸ばすということはやったことがありません。

――目標レップ数をクリアしたら、重量を上げていく?

佐藤 そうです。それを1セット目でクリアできたら、次のトレーニングからは重量を増やしていました。

――オンとオフの違いは、どのようにしてつけていたのですか。

佐藤 減量の初期段階では、食事の比率を変えていきます。例えば、オフの間にご飯を朝、昼、晩に300gずつ食べていたとします。減量スタート時は晩を200gにして、その減らした分の100gを朝、昼に振り分けます。1日トータルの食事量は変わらないのですが、割合を変化させていきました。だから、朝と昼の食事量が増えるので、食べるのに苦労することもありました。

――これまでに最も体重が増えた時期は?

佐藤 15年と16年です。そのころは、少しずつ食事の量を増やしていました。炭水化物の量を腹八分目から腹九分目くらいまで増やしました。

――あまり量を食べられないからこそ、食べるものを慎重に選ぶ必要があるのですね。

佐藤 ハードゲイナーだからこそ、食事の内容には神経を使ったほうがいいと思います。そこはトレーニングと同じだと思います。体力と技術があればどんなトレーニングをやっても大丈夫ですが、体力も技術もない人は、できる種目が限られてしまう。取り入れるべき種目を見極めていく必要が出てきます。また、食事もトレーニングも「食べれば食べるほどいい」「やればやるほどいい」というものではありません。トレーニングも栄養も、考え方は同じだと思います。無理に食べようとしても、結局は続けられない。トレーニングも追い込みすぎたら、体のどこかが疲弊してきます。でも、自分にとって適度な範囲のなかでルーティンを回していけば、続けることができるはずです。

――ボディビルダーは、前年度よりも重たい体重で仕上げたいと思いがちです。

佐藤 確かにそういった傾向はありますが、体重が重たいからといって、必ずしもいい成績が残せるわけではありません。仕上がりやバランス、ポージングなど。勝つための要素は、体重以外にもたくさんあります。あまり数字には振り回されないほうがいいと思います。もちろん、体重が増えていることに越したことはありませんが、それがすべてではありません。現在のトップ選手たちも、仕上がり体重は毎年それほど変わってはいません。体重イコール結果、ではありませんから。

――数字にとらわれすぎず、計画的に継続していくことが重要なのですね。

佐藤 長期的に物事を考えていくことは大事だと思います。体重がなかなか増えない、筋肉が大きくならないという人は、結果を早く求めすぎていないか、見つめ直したほうがいいかもしれません。体重が増えないからといって食事量を増やしても、必要なものを取らないと意味はありません。目先の結果を求めてカロリーを上乗せしても、筋肉が増えずに足踏みしたり、もとの体重に戻ってしまったりします。これはあくまで私の経験則ですが、そういった悪循環に陥っている可能性もあります。また、昔の鈴木(雅)選手はとにかく量を食べていたそうです。

――ご飯を1日に9合食べていたと聞きました。

佐藤 「そのくらい食べないと大きくなれないんじゃないか」という固定概念を抱いてしまい、同じことに挑戦しようとした人もいると思うんです。でも、私のようなタイプの人は、その方法ではうまくいかない。食べられず、体重も筋肉も増えないという結果に終わり、「自分には素質がないんじゃないか」「自分には無理なんじゃないか」と諦めてしまった人もいるかもしれません。そうではなく、自分に合った方法で取り組んでいけばいいんです。自分に合った方法を見つけることが大事です。私には合いませんでしたが、消化剤を取るようになったら食べられるようになったという人もいますからね。

――佐藤さんは、なぜ諦めずに続けることができたのでしょうか。

佐藤 ボディビルを始めたころから全日本選手権を目指していたわけではありませんでしたから。全日本選手権という遠い目標だけを見つめていたら、「自分には素質がない」と、どこかで諦めていたかもしれませんね。そうではなく、今、自分がいる場所から一歩だけでもいいから上に上がりたいという気持ちで取り組んでいました。だから、途中で諦めることがなかったのかもしれなせん。「一歩だけ」でしたら、素質に頼ることなく、努力や工夫で上がることができますから。「何を食べる」「どういったトレーニングをする」というのは、あくまで技術的な話です。もちろんそれらも重要ですが、本当に大切なのは取り組む姿勢や考え方だと思います。


佐藤貴規(サトウ・タカノリ)
1979年6月28日生まれ、東京都出身。“ジャガー”の愛称で、広い世代に人気のボディビルダー。ボディビルを始めた当時の最軽量級から3階級上げ、日本ボディビル界の頂点で活躍した。
主な戦績:
2002年東京オープン60㎏級優勝、2012年日本クラス別70㎏級優勝、ジャパンオープン2位、東京選手権優勝、日本選手権7位 2013年日本クラス別75㎏級優勝、日本選手権7位、アジア選手権70㎏級予選敗退 2014年日本クラス別75㎏級優勝、日本選手権6位 2015年日本クラス別65㎏級優勝、日本選手権5位、アジア選手権65㎏級4位 2016年日本クラス別75㎏級2位、日本選手権5位 2017年日本クラス別75㎏級優勝、日本選手権5位、世界選手権70級7位


執筆者:藤本かずまさ
IRONMAN等を中心にトレーニング系メディア、書籍で執筆・編集活動を展開中。好きな言葉は「血中アミノ酸濃度」「同化作用」。株式会社プッシュアップ代表。

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佐藤奈々子選手
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