これまでの国際大会での経験を生かし、本田有希子選手がフィットモデルでオーバーオール優勝を果たした。世界フィットモデル選手権に続き、大きな勲章を手にした本田選手。世界選手権での経験から得た学び、そして今後のフィットモデル競技への展望について語ってもらった(ビキニでの大会写真は同日に出場した世界フィットネス選手権の予選での写真)。[初出:IRONMAN2025年2月号]
――今回はオーバーオールでも優勝を果たしました。
本田 すごく驚きました。というのも、私は10月の世界フィットモデル選手権のオーバーオールでは最下位だったんです。この競技では、オーバーオールになると身長が低い選手はどうしても不利になる傾向があったと思います。実際に世界フィットモデル選手権でも高い壁を感じました。今回の優勝はとてもうれしいです。
――フィットモデルという競技で日本人選手が優勝すること自体が快挙のように思えます。
本田 私自身も日本人選手がこの競技でどこまで闘えるのか、半信半疑の気持ちで臨んでいました。しかし、23年はアーノルドクラシックヨーロッパとワールドカップで2位になり、もしかするとアジア人でも通用するのではないかという気持ちが芽生えてきました。実際に、安井選手はフィットモデルで優勝されています。
――安井選手、本田選手の活躍もあり、日本人が世界で通用することが証明されたような気がします。
本田 世界フィットモデル選手権では中国の選手たちが多くのメダルを獲得していました。アジア人選手は欧米の選手と比べてウエストが細いんです。これがフィットモデルというカテゴリーにおいては強みになっているのではないかと思っています。そう考えると、ヨーロッパの選手たちに憧れてフィットモデルを始める方も多いと思いますが、もっとアジア人らしさを前面に押し出してもいいのではないかと感じています。私も、ヨーロッパの選手たちに近づけようとするのではなく、自身のアイデンティティーを生かせるように意識しています。
――世界フィットモデル選手権でクラス優勝しているからこそのプレッシャーもあったのでは?
本田 正直に申し上げますと、世界フィットモデル選手権で優勝した時点でワールドカップに出場するモチベーションが少し揺らいでしまいました。もしここで負けたり、大きく順位を下げてしまったりしたらどうなるんだろうと……。
――最終的に出場を決めるきっかけになったのは?
本田 やはり日本で開催されるというところが大きかったです。私の集大成となるステージを家族や、いつもご指導いただいているエクサイズトレーニングスタジアムの柏木三樹先生、ジムの仲間たちに見ていただきたい。そして、結果でも感謝の気持ちを伝えたいという一心で臨みました。
――こうした国際大会になると大会当日の進行スケジュールも把握しづらかったと思います。
本田 私にとっては今回が6度目の国際大会になります。初めて出場した23年のアジア選手権では、予想していたよりも競技のスタートが6時間ほど押したんです。
こうした経験が、その後の国際大会でかなり役に立っています。大会に向けて極端な調整方法を行ってしまうと、(ステージに上がる)タイミングがずれることで大きくコンディションを崩してしまうかもしれません。ですから国内外関わらず、極端な調整方法は行わず、余裕を持って仕上げるようにしています。今回も調整面では困ったことはありませんでした。
――安井選手に憧れて競技を始めた本田選手ですが、ご自身が憧れを与えていく立場になりました。
本田「ドリームモデル」というカテゴリーのセミナーに何度か行かせていただいている中で、私をきっかけにフィットモデルを始めたという方もいらっしゃるんです。また、この先に世界の舞台があるんだと思っていただけると、さらに高いモチベーションを持って取り組んでいただけるのではないかと思っています。これまでは自分のために競技をやっているという感覚があったのですが、こうして他の方たちに影響を与えられる存在に私がなっていけるのであれば、自分の人生を懸けてでも取り組んでいきたいという気持ちが少しずつ芽生えてきています。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材・文:藤本かずまさ 撮影:中原義史