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無敗の男「重量にこだわらない」67歳の身体じゃないトレーニング歴43年の難波が行う意外な取り組みとは

日本マスターズボディビル選手権で無敗を誇る難波文義選手は、かつてジャパンオープンを制し、日本選手権のファイナリストになった経験もあるベテランボディビルダーである。現在67歳、競技歴43年の難波選手に、長い間ケガをせずに活躍できる秘ひけつ訣をお聞きした。(IRONMAN2017年11月号から引用)

取材:IM 編集部 写真:北岡一浩 試合写真:中島康介 取材協力:鈴鹿トレーニングクラブ

「若い頃から、重量にこだわらずフォームを重視しています」

――優勝、おめでとうございます。マスターズ無敗記録更新ですね。
難波 ありがとうございます。思い返せば51歳でマスターズに出始めてからずっと表彰台の一番高い所に立たせていただいていますね。
――ご自身で振り返ってみて、どんな理由があると思われますか。
難波 24歳でトレーニングを始めて以来、普通のことをくり返しているだけですね。特別なことをしている訳でもないですし。トレーニング環境で言えば、会社の近くにジムがあるので「遠いから行くのがおっくう」といったことはないですね。会社で働いて、ジムで鍛えて帰宅する。このルーティンで毎日過ごしています。会員さんはコンテスト選手があまりいなくて健康維持のために通っている方が多いので、ピリピリした空気感がないのが肌に合っているのかもしれません。誰かと重量を競い合うこともなく、フォームを崩さない重量で1セット12~15回、コツコツと鍛えることができています。
――中強度で回数多めですね。
難波 若い頃から、重量にこだわらずにフォームを重視しています。はやりの言葉で表現すれば、筋肉に効かせる、筋肉に負荷を乗せるといったトレーニングスタイルですね。私の場合は関節が太くないので、高負荷低回数のようなトレーニングはケガにつながるように感じているんです。実際、高負荷低回数を試したこともあるんですが、腰が痛くなってしまったのですぐにやめました。故障してしまったら元も子もないですし、自分に合っているかどうかが大切だと思います。
――故障をしないよう心掛けるのは選手生命の延伸にもつながりそうです。
難波 私は自分でコントロールできる重量でトレーニングすることで、大きなケガをせずに38年間続けてこられています。長く続けるという意味では、確かによかったのかもしれません。
――あまりガツガツと競争はしない方ですか。
難波 いや、優勝してやろうと思って大会に出場しますから決して闘争心や競争心みたいなものがないわけではないのですが。そもそもトレーニングを始めたきっかけも、幼なじみに追いつけ追い越せという感じだったので。私は高校卒業後に岡山からこちら(三重)に就職していますが、九州の大学に進学した幼なじみは、大学でボディビルを始めて、大学チャンピオンになったんです。お正月やお盆に帰省して会う度に鍛えてでかくなった体を見せてくる。彼を抜かしてやろう、と始めたのが24歳のときです。
――翌年には大会に出場されていますね。
難波 ええ。三重県の新人戦で優勝しました。のめり込むタイプなので、これと決めたら徹底的にやるんです。それからはジャパンオープン、日本選手権、クラス別、そしてマスターズと、気付いたらここまで続けてこられました。
――マスターズは06年、09年、12年、15年、16年、17年と出場されています。最初は3年おきですね。
難波 かれこれ44年間、本田技研で自動車の関係の仕事をしているんですが、受け持っている機種のフルモデルチェンジが3年ごとだったんです。繁忙期は仕事を優先しますから、コンテストに向けた調整がなかなかできませんが、3年に1回なら何とかやりくりできるので。ここ3大会は毎年出ていますが、これは60歳で定年を迎えて再雇用という形になっているからですね。
――60歳を超えた今もフルタイムで働かれているとお聞きしました。
難波 そうです。今はトレーニングも含めて一日のだいたいの流れがつかめていますし、日程調整も比較的できます。ただ、若かった頃、全日本のクラス別に出ていたような頃は2交代制勤務だったので、夜勤の前にトレーニングしてから仕事場に行ったこともあります。脚のトレーニングの日なんかは本当につらかった。
――そういうことを経てらっしゃるんですね。

とても60歳以上とは思えない、若々しい肉体の難波選手。かっこいい!

難波 遠い昔の話ですけどね。当時は宮畑豊会長、朝生(照雄)さん、小沼(敏雄)さんが現役でバリバリ活躍されていた時代です。そんな方々を見ながら日本選手権に毎年、挑戦して。ファイナルまで進んだのは91年(9位)と94年(11位)でした。98年のジャパンオープンで田代誠さんに1ポイント差で勝って優勝できたのはいい思い出です。一般の部で最後に出たのは09年に岡山県で開催された日本クラス別が最後です。75㎏級で優勝して、それからはずっとマスターズで出ています。
――ちなみに、43歳で出られた98年のジャパンオープンから06年のマスターズまで、8年間のブランクがありますね。
難波 その時期はちょうど私の長男がオフロードバイクのモトクロスをしていたので、自分のボディビルは二の次でサポートをずっとしていました。あっちこっちのレース場をまわったり、バイクの整備をしたり。懐かしいですね。
――ご家族は試合を見に来たりはされないんですか?
難波 ウチは息子以外に娘が2人いるんですが、今回の日本マスターズには嫁さんと娘たちが友達や家族を連れて応援に来てくれたんです。実は娘が私のコンテストを見に来たのは初めてで(笑)。これまで、家族に応援に来てもらうのを、僕が拒否してたんですよ。と言うのは、コンテストに集中したいのと、照れくさい気持ちがありました。でも娘に「かっこ良かったよ」と言ってもらってうれしかったですね。
――最高の褒め言葉ですね。
難波 ええ。家族が応援に来てくれるのもいいもんだなと思いました(笑)。マスターズで優勝することを大きな目標にして、そのためにトレーニングを積んできたので勝ててよかったです。この、優勝した瞬間の喜びのために頑張ってますから。
――長年続けているボディビルは、どんな存在ですか。
難波 間違いなく生活の一部です。でも、趣味ではないんです。夏はエアコンのないジムで暑い中トレーニングをするし、コンテストに出るなら日焼け、減量。純粋にカーッと楽しめるのはウインドサーフィンですね。コンテストシーズンはライフジャケットなどの日焼け跡をつけないために控えているのですが、若い頃からもう何十年もやっています。
――意外です!
難波 ハマったものにはとことん、なので部屋にはボードが3枚ほどありますよ。コンテストに出るのが3年に1回だった頃は、出ない年の夏はウインドサーフィンをしていました。ただ、これから毎年マスターズに出るとなると、どうしましょうかね(笑)。大会に出るからには優勝を目標にしますし。特段これといって食事を変えたり、何かすることはないのですが、とにかくのめり込む性格なので。
――食事は変えないんですか?
難波 ええ。トレーニングを始めたときからずっと、家族も私も同じ食事をとっています。特別な食材は使っていないですし、脂が少なめで薄味であること以外は、ごく普通の食卓だと思います。会社では社食がありますが、これも至って普通だと思いますよ。違うのはプロテインを10時と16時ごろに飲むくらいです。あとは日焼けしたりポージング練習すると、自然に代謝が上がるのか勝手に絞れてしまいます。そもそも減量幅が1~2㎏と少ないですからね。
――それがなるべく体に負担がない状態で、長年競技を続けられる秘訣かもしれないですね。
難波 そうかもしれません。あと、私がこうしてボディビルを続けていられるのは、妻の存在が大きいです。食事のことや、私が気兼ねなくトレーニングできるのは妻のおかげです。本当に感謝しています。これからもケガをせずに続けていきたいと思います。


難波文義(なんば・ふみよし)
1955 年生まれ。岡山県出身
身長169㎝/体重69㎏(オン)、71㎏(オフ)
ボディビル歴38年
主な成績
1998 ジャパンオープン 優勝
2006 日本男子マスターズ50歳以上級 優勝
2009 日本クラス別75㎏級 優勝
2015 ~ 2021 日本マスターズ選手権60歳以上 級優勝

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