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【筋トレ ビフォーアフター】4カ月で12kg減のコツは「タンパク質を減らしたこと」ボディビルダーのオンとオフ

Before Afterボディビルダーに憧れ高校生から本格的にトレーニングを始めた『あっくん』(20)。暴飲暴食やトレーニングを半年間休んでいた結果、ポッチャリ体型に戻ってしまったが、大会に向けて約4カ月で絞っていった。減量のコツを聞いたところ「タンパク質の量を思い切って減らしたこと」という答えが返ってきた。身長154cm、体重65kg(体脂肪率28%)から体重53kg(体脂肪率10%)と、10kg以上も減量した、20歳のボディビルダーのビフォーアフター(オンとオフ)を公開する。

【ビフォーアフター写真】4カ月で12kg減のあっくんのポージング

「小学生から高校生までサッカーをしていました。中学生の頃からマッチョな人に憧れ、家でできるトレーニングから初めました。当時、兄が趣味で筋トレをしていて、ホームジムができるマシンを買ってきたので、週に3日程度のトレーニングを行ってきました」

高校へ進学したあっくんは、サッカーを継続するか、バイトを始めてジムに入会するかを迷っていた。結局サッカーを選んだものの、やはりトレーニングがやりたいと高校1年生の冬にサッカー部を退部。バイトを始めて高校2年生の4月からジムに入会した。

「中学3年生の頃に、高校生ボディビルのことを知り大会に出てみたいと感じていました。高2から入った近くのジムはJBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)加盟のボディビル系のジムで、壁には高校生チャンピオンのポスターが貼ってありました。自分も今から頑張って来年大会に出てみようと思いました」

当時ジムに飾ってあったポスターは、高校生チャンピオン(現在は全日本チャンピオン)の相澤隼人選手だった。そして翌年、高校選手権に初出場したあっくんは周りとの差に圧倒された。
「初めての大会は心が折れかけましたが、もう負けたくないとさらにこの競技に惹きつけられました。それまでは脚のトレーニングはほとんどしていませんでしたが、これをきっかけに本格的に脚トレを始めました」

初大会は悔しい結果に終わった。その翌年も翌々年もボディコンテストには出場し続けていたが、2021年冬、トレーニングを半年以上休んでいた時期に身体が崩れ始めた。大会がない時期だったとはいえ、トレーニングをせずに好きなものを食べたり飲んだりする機会が増えていたあっくん。さらに年末年始や成人式、専門学校の卒業、就職よる引っ越しなどのイベントごとが重なり、暴飲暴食が続くと体重はみるみる増加していった。

新しい環境にも慣れてきた2022年5月から大会に向けてのトレーニングを再開したあっくんは、2022年9月23日『マッスルゲート九州ジュニア』で3位入賞しゴールドジムJAPAN CUPへの切符を獲得。ゴールドジムJAPAN CUPへ挑戦するまでになったのは、減量の工夫がうまくいったという。

「どうしたら減量が進むのだろうと悩んでいたときに、うまく減量ができている人にアドバイスをもらったり、自分で調べたりしていました。その結果、これまでたくさん摂り過ぎていたタンパクを減らすことにしました。理由は、『タンパク質』の中にも『カロリー』があることに加えて、タンパク質は一度に多くのタンパク質をとっても全て吸収されないと感じたからです。食事を分けてタンパク質を摂ることも考えましたが、そうすると肝臓などに負担がかかり、臓器を休む暇がないと吸収率なども悪くなる。今までタンパク質だけに偏っていた分のカロリーを、炭水化物や脂質にふってあげました。そうすると絞れてきたんです。具体的には、食べ物の消化吸収や解毒に大切な肝臓を休めてあげるイメージで、タンパク質を今まで摂っていた分から半分減らしました。筋肉が減るどころか炭水化物に回した分、トレーニングの質も上がり重量が伸びて、筋肉量が増えた感じがします。しかし、大会当日でもまだまだ絞りが甘いと言われているので、次戦はしっかり絞り上げたいと思ってます」

トレーニングについて毎年試行錯誤した結果、自分の絞り方について分かってきたあっくん。しかし、まだまだ自分の中で課題があるという。20歳のあっくんが、これからボディビルダーのトップ選手たちと肩を並べる日が来るのを期待したい。

取材:FITNESSLOVE編集部

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