ボディビル界のホープ「吉岡賢輝」飛躍の秘密

昨年度のシーズンで最大のアップセットを起こしたのが吉岡賢輝選手である。完全ノーマークのダークホース的な存在だったにも関わらず、日本クラス別選手権65㎏以下級でいきなり優勝。大本命だった須江正尋選手に勝利し、一躍ときの人となった。その勢いを持続したまま初めて出場した日本選手権では12位に入り、新ファイナリストに。一気に時代の表舞台に躍り出た。一体、「吉岡賢輝」とは何者なのか。その履歴を探った。

取材・文:藤本かずまさ 撮影:舟橋賢、中島康介(大会写真) 写真提供:吉岡賢輝

――今日は胸のトレーニングを拝見しました。基本的な種目で構成されていて、「普通の種目を普通に行っている」という印象を受けました。
吉岡 確かに言われてみたら、全体的にそんなに変わった種目は行っていません。 普通のことしかやっていないと思います。ジムでないとできない種目というより、ホームジムでもできそうな種目が多いかもしれません。以前から僕のトレーニングはこういうスタイルなんです。

――最初、トレーニングは誰に教わったのでしょうか。
吉岡 独学です。種目数は自分の感覚を頼りにしながら増やしていきました。唯一、情報源にしていたのは、加藤昌平さんのYouTube チャンネルです。そこで紹介された種目を見て、真似をしていました。だから、最初に見た教科書と言えるのは加藤さんのチャンネルかもしれません。加藤さんもオーソドックスな種目しかやっていないので、その影響はあるのかもしれません。

――学生時代にスポーツは?
吉岡 高校1年生から3年生まではサッカーをやっていました。そして3年生になったときに僕の高校にラグビー部ができたんです。サッカー部は春くらいで引退したんですが、ラグビーの試合は9月くらいから始まります。実は僕は小学校1年生から6年生まではラグビーをやっていて、中学校にラグビー部がなかったからサッカーを始めたんです。

――もともとラグビーをやっていたんですね。
吉岡 そして高校にラグビー部ができたんですが、部員が15人集まらなかったんです。そこで僕が「助っ人で入ります」と自分から名乗り出て、1年生に混じって練習に参加していました。

――その補強でトレーニングを始めたのでしょうか。
吉岡 兄貴もラグビーをやっていて、補強でトレーニングをやっていました。僕が再びラグビーをやることになって、兄貴に誘われてジムに行くようになったのが最初です。ここ2、3年は出ていないのですが、兄貴もボディビルダーだったんです。

――筋肉質な身体ではあったのですか。
吉岡 中学のころにサッカーをやっていたときに、「以前はラグビーをやっていた」という話をすると、 「だからいい身体をしてるんだね」と言われることが多かったです。まだトレーニングはやっていなかったんですが、そこで僕はマッチョなんだと勘違いして(苦笑)。だから、ジムに行くようになったときは誰よりもマッチョになりたいという気持ちでトレーニングをしていました。最初のモチベーションとしては、誰よりもベンチプレスを挙げたいと思っていました。

――人生初のベンチは?
吉岡 確か45㎏ を10回挙げられなかった記憶があります。これまでのマックスは170㎏が1回です。

――ボディビルを始めたのはお兄さんの影響?
吉岡 兄貴の影響もあるかもしれませんが、当時から今の僕の所属先である横浜マリントレーニングジムに通っていて、そこで谷澤一矢会長に勧められて始めました。

――トレーニング開始からデビューまではどのくらいの期間があったのですか。
吉岡 18歳からトレーニングを始めて、2016年の神奈川県ジュニアで21歳のときにデビューしたので、3年くらいです。最初はボディビルに出るつもりは全くありませんでした。僕がデビューした時期は、メンズフィジークがすごく流行りだしたころだったんです。僕もめちゃめちゃ出たいと思っていました。

――最初はメンズフィジークに興味があったんですね。

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